七章 コーデラル&アレイア 88 試練に耐えて
・・・九・・・
当初はどうなるかと気を揉んだ夜中の逃避行も、森を抜けて綱を解いてからは早くなり、白々と夜が明ける頃には砦からかなり離れた場所までたどり着いた。
「ここまで来たらもう大丈夫だ。少し休もう」
ショダンは休息をとることにした。山の民として育った者には、普段なら疲れが出る距離ではないが、結び合った綱に制約され、追手気にしながらの歩きは辛いのもがあった。
・・・上出来だ。満月の光に照らされて、誰も迷わなかった・・・
ライクレスとの約束を果たせた安堵感に包まれていたが、危ないところでサイノスが六人の敵を斬ってくれたとは想像だにしなかった。
「食事の用意をさせるのか?」
「そこまでの余裕はない。この先の谷を渡ってしまえば、敵が追ってきても大丈夫だ。それまで我慢しよう」
「仕方がない。油断は禁物だからな」
「ところで・・・次の砦の手入れはそんなに時間はかからないだろう。早く終わらせて皆が待つ砦に戻らないと戦いが始まってしまう」
「そうだ、俺達がいなくなって心細く思っている人もいる。年少者だけ渡り終えたら、引き返さないか?戻ってしまえば、追い返されないに違いない」
「賛成だ。引き返そうぜ」
夜明けと共に子供達に元気が出てきた。闇夜は不安を助長するだけだが、明るい日差しは勇気と希望と冷静さを与えてくれる。長老から命じられた手入れの役目は、よく考えたら最初の砦が攻め落とされたら、意味がないことに気がついた。昨夜は追い立てられるようにして出発したから、詳しいわけを知らないでここまで歩いた者もいた。
「ショダン、お前はどう思う?」
「そうだ・・・・俺はライクレス様から『話が他にもあるが、全てショダンとサイノスに話しているから、後で聞けばいい』とも言われた」
座り込んでいる者達の視線が、ここまで先頭に立って来たショダンに集まった。休んでいる中でも早く戻りたい者は、膝を小刻みに揺らしながら無言で話催促した。
・・・困った。砦に残った者が一人残さず死んでしまう真実をまだ話せない。血気盛んな者は納得せず、戦うために戻ろうとするだろう。一人や二人であれば引き止められるが、それ以上であれば自信がない・・・サイノスがいれば心強いのに、引き返したきりだ・・・
話すのがいいのか悪いのか、隠し通せる話し方はあるのかないのか、味方になってくれる者はいるのかいないのか、戻ろうとする者がいるのかいないのか等々、目を閉じて考えられる限りのことを懸命に考えた。だが、二つの選択肢をあげても悪い方ばかりに転がりそう気がして、益々気持ちが滅入ってしまった。調子よくライクレスの頼みを引き受けたことを後悔した。
「ショダン、事実は事実として話そう。戻りたい者がいれば説得するしかない」
その言葉を聞いて目を開けると、バーブルとポレルがいつの間にか傍に来ていた。
「そうよ、私も力になるわ」
ポレルも後押しした。
「よし、決めた。話すぞ」
ショダンは一人ではないと勇気づけられ、仲間達に話す決心をした。
「いいか・・・落ち着いて聞いてくれ」
静かな口調でライクレスが自分達を砦から遠ざけた本当の理由を説明した。よく聞こうと子供達が集まり、ショダンを中心にした円を作った。しかし一度も笑いの起きない内容に話しの深刻さが表れていた。
「うそだ!信じないぞ」
口に出す者、出さない者がいたが、気持はこの言葉に集約されていた。砦の手入れ話は口実で、生き延びるのが真の役割と聞かされた者は、どう受け取っていいか考え付かず、ただ茫然としていた。ほとんどの者が幼い妹や弟、両親を砦に残しており、昨晩の別れが最後になるとは思ってもいなかった。唯一考えていたのは、ライクレスに命じられた役目を素早く果たし、砦に戻って戦いに参加することだった。
「俺は嫌だ。弟達を犠牲にして生き延びても、一生後悔するに違いない」
「そうだ。俺もすぐに引き返して、戦うぞ」
何人かはそう叫ぶと立ち上がり、砦に向かって引き返そうとした。
「待て!引き返すのは俺が許さない。もう少し話を聞いてくれ」
ショダンが必死で止めても、一度火がついた気持ちは押さえられない。戻ろうとする者と押し止めようとするショダン。睨み合いがすぐに揉み合いになった。剣を抜く者はいないが、感情が激するとどうなるかわからない怖さがあった。
年少の子供達はどうしていいのかわからず、不安げに繰り広げられる争いを見るしかなかった。娘達も止めようと声を上げるが、かえって若者達の気持ちだけを高ぶらせてしまった。バーブルも引き止める方に回ったが、引き返そうとする若者の方が多くて押さえるのが難しくなった。
「お前達、なにを揉めている?」
全然違う所から声がした。
争いが止まり声の方に一斉に目が向いた。サイノスだった。昨夜から姿を消していたサイノスが帰って来たのだ。
「待っていたぞ」
ショダンが駆け寄り、事の成り行きを話した。サイノスは立ち止まらず歩きながら聞いた。
「話は聞いた。まずは座ってくれ」
円の中心に立つと、両手で座るように促した。気色ばんでいた者も逆らえず渋々座ったが、心から従ったわけではなかった。何かの理由で一気に燃え上がる火種を抱えていた。
「これは長老達の意見を聞いて、ライクレス様が決められたのだ。お前達の両親はもとより、若い母親達も承知している。知らないのは砦を離れた俺達と、幼い子供達だけだ。思い出してみろ。別れ際に変わったことはなかったか?」
ショダンの話に付け加える。
「そういえば、お母さんが肌身離さず大事にしていた鏡をもらったわ」
「初めて親父の泣き顔をみた」
「俺も『家代々に伝わる剣を持って行け』と渡された」
「私は指輪をもらったわ」
無理に明るい調子で送り出した母親、泣きそうな顔で耐えていた父親、ずっと手を握りしめてくれた親族者の顔等を思い浮かべた。
「もっと優しくすればよかった。ごめんよ、母さん」
そんな事情を知らず皆の前で抱きしめられ、恥ずかしさのあまり素っ気なく振舞った者は頭を抱えた。誰かがすすり泣き始めると、堰を切ったように泣き声が沸き上がった。サイノスは腕組みをして、皆が落ち着くのを待っていた。
・・・心ゆくまで泣かせてやろう。今どんな言葉を掛けても、耳に入らないだろう・・・
約一ジータ(一時間)過ぎた。餌を求めて小鳥の群れが飛び立ち始めた頃、ようやく泣き声が途絶え、次の話に聞き耳を立ててくれそうな落ち着きを感じた。
「みんな悲しいだろうが、真の役割は生き延びて村を再建することだ。そのためには振り返らず、進まなければならない。それに砦の戦いで全員が死ぬと決まってはいない。生き残る者もきっといる。今はそう願うしかない。さあ、出発するぞ。ここまで話せばきっとわかってくれたと思う」
サイノスはそれだけ言うと歩き始めた。戻ろうとする者がいても構わない、いや全員がつき従ってくれるという自信に満ち溢れた態度だった。
「行くぞ」
「さあ、お姉さんと一緒に歩きましょう」
バーブル、ショダンが続き、ポレルも子供の手を引いて立ち上がった。ついさっきまで憤慨していた者も気持ちの整理ができたのか、ゆっくりと歩き出した。砦に引き返す者は一人もいなかった、
サイノスは追跡者を追い返したと告げ、後の警戒や罠の仕掛けを止めさせた。子供達や娘達、そしてポレルの顔を見ると、全員斬捨てた真実は言えなかった。もちろんコーデラルのことはバーブルにも言えない秘密であった。
「この先の谷を越えれば砦が見える」
ライクレスから預かった地図だと、もう少し先に深く大きな谷がある。仲間達を無事に渡せば託された使命は終わり、遙か先を行くヘドロバの本隊を追いかけることができるのだ。
・・・約束を守るために何人も斬ってしまった。あの娘がいなければ、今頃俺はどうなっていたのだろう・・・
血の騒ぎを静めてくれた昨夜の娘は、忘れられない存在になっていた。何度も愛し合ったのに、名前はとうとう聞けずじまいだった。一眠りした後で起きた時には、もういなくなっていた。一晩限りの出会いにしたくなかった。
「サイノス、引き返したけど、何かあったの?」
ポレルが並んで歩きながら、自然に手を握った。ポレルはサイノスやバーブルの手を幼子同士のように、前触れなく握ること多かった。
「別に・・・奴等を追い返しただけだ」
そう答えながら握られた手を引いた。今までなら大喜びして跳ぶ様に歩いたはずなのに。
「どうしたの、サイノス・・・」
意外な振る舞い振りにポレルは怪訝な表情をした。
「・・・」
サイノスが何も答えず大股で歩き出した。その姿は何か聞かれるのを嫌って逃げだしたように見えた。
「待ってよ・・・」
ポレルは追いつくと、もう一度横に並んだ。サイノスの横顔に朝日が当たって眩しく見える。
・・・何かあったのね。今聞いても教えてくれそうにないわ。でも必ず突き止めるわ・・・
手をかざして視線を送ったが、眩しく感じたのは朝日のせいだけでないと気付いた。昨夜別れた時とは、まるで違う雰囲気に変わっていた。幼さが消えて男の精悍さを感じた。
・・・剣の修行でも、一晩でこんなに変わらなかった・・・
ポレルはサイノスの目を覗き込んだ。サイノスが慌てて目を逸らした。
・・・よほど後ろめたいことに違いないわ。私に言えないのね・・・
いつの世も男の嘘を見抜くのは、女の直感力だ。危ういかな、サイノス。




