七章 コーデラル&アレイア 84 惜別
・・・五・・・
「あなた、あなた、どうしたの?」
目を閉じて出会いを懐かしんでいたライクレスは、コーデラルの声で現実に引き戻された。目を開けると怪訝な表情の妻がいた。
「昔を思い出していた。今でも綺麗だが・・・あの時のお前は綺麗だった。」
「ありがとう、楽しい夜だったわ」
ライクレスが目を閉じて何を思っていたのかがすぐにわかった。その日からずっと共に歩んで来たのだから、夫の記憶は自身の記憶に重なるのだ。
「『追いかけられる娘はわざとゆっくりと歩く』と聞いていたのに、お前は走ったり跳んだりして掴まってくれなかった。それにいきなり走り出したから、お前との試合もできなかった。試合をすれば間違いなくわしが勝っていたはずじゃ」
「あなたと競いたくなかったの。それに誰にも邪魔されずに愛されたかったの。娘の恋心はそんなものなのよ」
年甲斐もなく恥じらいを見せた妻をライクレスは引き寄せ、もう一度強く抱きしめた。
「ああ、あなた・・・愛しているわ」
ライクレスを誘惑するかのような甘い吐息と香り。
「コーデラル、こうもしていられない。若者達を砦から出さねばならない」
身体を半回転させ、合図を待っている長老を指差した。ランプを上下に振れば、それが出発の合図となる。
「あのかがり火を見て」
並んで周囲を見ていたコーデラルが、夫の腰に回していた右手を離し、下方にまっすぐ伸ばした。
「子供達を逃がす方角の警戒は確かに手薄だわ。でもそんなに簡単に逃げ出すのを許すかしら?罠を仕掛けているに違いないわ」
三方を固める夥しいかがり火が、一方角だけ全くなかった。高い櫓から見下ろせば尚更それがはっきりしていた。
「お前の考え通り罠だ。奴等は一人でも逃がしたくないはずじゃ。一方角開けてわしらに女、子供だけでも逃がそうと考えさせ、潜ませた兵で討ち取り、戦う気力を削ぐつもりだろう」
ライクレスは攻城戦ではわざと一方角を開けるのを知っていた。同時に周囲を隈無く取り囲み、籠城者を一人残らず殲滅する戦法も知っていた。兵数から考えれば四方を囲められるだろうに、何もしていないのは何らかの意図があるからに違いなかった。
「それがわかっていながら、子供達を行かせるの?」
「そうじゃ。奴等の企みを逆手に取ってやる。潜ませている兵は多分昼間の生き残り組だ。多くはない。サイノスが何とかしてくれる」
「またサイノス・・・あの子にばかり責任を負わせるのは可哀相だわ。人を何人も斬らなければならないのよ。そうなった時に彼の心を癒してやらなければ、殺人剣を振う悪魔になってしまうわ」
コーデラルは夫に強い口調で言った。敵の隊長を斬った腕と見事な剣舞。その力を知ってはいたが、心の重荷を背負わせることには抵抗があった。
「それはわかっているが、サイノス以外に子供達を守れる者はいない。殺人鬼になるかならないかは運に任せるしかないだろう」
「それでは余りに無責任よ。いいわ、一緒に行けないけど、私が遠くから子供達を守るわ。こんな格好になったのもそうしたいからよ」
「しかし・・・あの時のお前ではないだろう。そんな危ない真似はさせたくない。お前に任すくらいであればわしが行く」
「あなたがいなければ明日の戦いはどうなるの?大丈夫!私を信じて。もう決めたことよ」
妻の黒服姿を見た時から覚悟はしていた。妻の性格を知っているライクレスは、わざと彼女がそう言えるように仕向けた。
「一度言い出したらわし以上に頑固者だからな・・・お前は」
思い止まるよう説得しても、頑として首を縦に振らないのはわかっていた。ライクレスは決して無謀なことはしないと約束させ、渋々と認めた風に演技した。強く諫めて喧嘩はしたくなかった。最後の最後までいつもと変わらない夫でいたかった。
「嬉しいわ。じゃあ・・・あなた・・・行くわ」
夫に何か言いたげな顔をしたが、振り払うようにして背を向けて歩き出した。
「コーデラル!」
ライクレスは妻が階段を少し下り、振り返っても顔しか見えないところで呼びとめた。そこまで待ったのは妻が引き返して来たら、そのまま行かせる自信がなかったからだ。もう一度顔を見たかった。
「何?」
「一緒に暮らした日々を忘れないぞ。いつまでも長生きしろ」
「私もよ・・・ライクレス・・・」
妻は夫の目をじっと見た。
「あなた、けっして忘れない」
夫の厳しい表情が、コーデラルの好きな穏やかな表情に変わった。
「じゃあ、行くわね」
妻として最後の笑顔を見せ、明るく手を振って軽い調子で櫓を下りて行った。
「行ってしまった・・・」
コーデラルに二度と会えない気がした。
・・・これでこの世に未練は何一つなくなった。明日の戦い振りをどこかで見てくれるに違いない。いつまでも若さが衰えない妻との別れは、いつか来るのだから・・・
髪を白くし、化粧を厚くして年を重ねたように装っていたが、いつまでも年をとらない若々しい身体。明かりを消して愛されるのを好んだのは、それを隠すためであった。コーデラルは最後まで打ち明けなかったが、ライクレスは昔から妻の秘密を知っていた。




