一章 シュットキエル 8 最初の戦死者
・・・八・・・
少々気弱で痩せた若者への通知を最後に、使者の訪れは途絶えた。シュットキエルの村人達の生活は鐘の音に合わせて暮らす元の暮らしに戻った。
「うちの息子は要領が悪いので心配だわ。大丈夫かしら?」
「大丈夫よ。家で甘えても外ではしっかりしているわ」
「そうね。でも手柄などいいから早く戻ってきて欲しい」
若者を送り出した興奮から醒め、冷静に考えられるようになると母親達は息子のいない寂しさを感じるようになった。洗濯物や食事の手間が少なくなって楽にはなったものの、叱る相手が夫だけでは面白くなかった。夫も息子の分の小言を引き受けさせられてうんざりした。
「戦場での手柄は大事だ。それで息子の将来が決まる。一度は危ない橋を渡らねば一人前の男にはなれん」
「そうじゃとも。わしらもそうして生きてきた。女は男の気持ちが分からない」
父親達の望みはもっと大きかった。今までそうだったように、息子の華々しい手柄が家名と育て上げた自身の評判を押し上げ、長老への道を開いてくれると思っていた。図抜けた力を持っていても名声が伴わなければ、周囲の人々は尊敬してくれないのだ。ともあれ母親は息子の体を、父親は多少の犠牲は払っても名声を望んだ。しかし双方の思いは多少異なっているものの、自分の息子だけは出かけた時の姿で無事に帰ると信じ切っていた。
或る日のことだった・・・
人々が使者のことなど忘れかけた頃、国王の使者が村に現れた。これまでのような長老達への事前通知もなく、突然の訪れだった。黒服の御者と黒色の馬車。扉に描かれた渋い銀色の鷲と剣の紋章がなければ、村人達は国王の使者であることに気づかなかっただろう。
御者は馬のひずめで土埃があがらないように気を配りながら、今までにない程のゆっくりした速さで馬車を進めた。たまたま通りにいた村人達は、何ともいえない暗い雰囲気を撒き散らして進む姿に不安を感じ、誰ともなく馬車の後を追った。馬車が遅いため子供にも追いかけられ、それがために大勢を引き連れる格好になった。
馬車は表通りの中程で右に折れ、並木道に入った。黒塗りの馬車に風景が映り、ゆるやかに流れて行く。木漏れ日が洩れる中、黒い馬車が走る様は美しいものであった。
馬車は最初にセレヘーレン・テスを受け取ったセシル家の前で止まった。
使者が馬車から静かに降りた。
村人達は使者の全身像を目にした。セレヘーレン・テスを届ける時のきらびやかな格好ではない。
上着はゆったり目で足首まで隠す長さで、両側は腰から裾まで大きく切れ目が入り、装飾的なボタンは一個もない。肩口から胸元を通り腰まで斜めに合わせ目が走り、目立たない小さなボタンで止められていた。かがむと裾が地面に着くのか、馬車から降りる時には少し上に持ち上げた。歩くにつれてズボンの銀色の線が見え隠れしたが、立ち止まると上下黒一色になった。
帽子も羽飾りなど装飾的なものが一切ない黒色で、円筒形の本体に申しわけなさそうに小さなつばが縫い合わされ、つばの部分には銀糸で刺繍された月桂樹が光る。手袋も勿論黒で、顔と帽子のつばの刺繍、ズボンの線以外に色は無く、全身黒ずくめの格好だ。
使者が家の扉を叩く。すぐには誰も出ず、何度か叩く内にようやく扉が開き、女性が顔を見せた。彼女は使者の訪れをたった今知ったらしく、口を小さく開けた。そして使者の姿と付き従った村人を見て、目を大きく見開いた。
「国からの使いで参りました。御主人はいらっしゃいますか?」
「おりますが、何の御用でしょうか?」
「御主人にお話しします」
「お待ち下さい」
一度扉を閉めて女性が姿を消した。程なく扉が開き、ラルフルが現れた。外の状況を聞いてきたようで驚く様子は見せなかった。使者に世慣れた丁寧な応対をした。
「私がセルフルの父親、ラルフルですが、何かご用でしょうか?」
「国の使いでセレヘーレンから参りました」
「それは御苦労様です。そうだ・・・あなたには見覚えがある。息子にセレヘーレン・テスをお届け頂いた方ですな。今日は息子についてのお知らせでしょうか?」
「はい。ご子息の件でお伺い致しました」
「わしの思った通りだ。忙しくなりそうだ・・・ところで長老にもあなたの来ることが知らされているのですかな?」
意外な質問に使者は右の眉を上げた。整った顔立ちの使者が初めて感情を現した。
「長老?私の役目はここに来ることです。他に立ち寄る所はありません」
「それはいけません。長老からあなたの訪れを何も聞いていません。きっと国からの知らせが届いてないのでしょう。申し訳ありませんが、長老を訪ねて本日の用向きを伝えて下さい。この村では長老の知らない行事は進められないのです」
ラルフルは村の仕組みを説明した。長老の知らないことを勝手に進めるわけにはいかなかった。
「そんなばかな・・・それはできません。私は与えられた役目を済ませ、すぐにセレヘーレンに帰らなければなりません」
「それではあなたの話を聞くわけにはいきません。国の方で何か手違いがあったのでしょう。役目を終えたいのなら是非、私の言う通りにして下さい」
「あなたは国法を御存じないのですか?私は法に決められていないことはやれません」
「シュットキエルでは、村の習わしの方が国法より重いのです」
「何と!・・・言い過ぎですよ・・・今の言葉は聞かなかったことにしましょう」
国王の僕として聞き流せない暴言を浴びて、憤慨しかけた気持ちを無理に押し込めた。今回の役目は何事にも我慢しなければならない。
「そんな配慮は結構です。何度でも言いますぞ。長老をないがしろにはできないのです」
ラルフルも負けていなかった。
「また・・・長老ですか・・・どう言われようと、私は役目に忠実に従います」
「それは困ると言っておる。あなたもわからないお人ですな」
「それはあなたの方です。ご子息の大事な話ですよ」
使者は訪れの内容を少し漏らした。こうでも言わないとわかってくれないと思った。
「息子の・・・尚更長老の所へ行って下さい」
「できないと申したはずです」
「困ると何度も言いましたぞ」
「こちらも困ります」
二人は押し問答を繰り返した。二人の声が次第に大きくなって、見守っている村人にも長老に知らせるかどうかで言い合いをしている様子が伝わっていく。
「いいですか・・・よくお聞きなさい」
ラルフルは使者が譲ろうとしないので、仕方なく息子が召集された時の話をした。使者が来る何日も前に、国から長老達に知らされた一件である。息子だけでなく、他の招集者の場合も一緒で、事前の通知があったから各家で盛大な見送りができたと説明した。今日のようにいきなりの訪れは、今までの経過からすればだまし討ちに等しかった。
「誰がそうしたかわかりませんが、国法では許されないことです」
使者は断言した。使者もそれなりの教えを受けていたから、すぐに違法なやり方だと気づいた。
「我々は大変助かりました。宴の手はずも整えられ、息子に恥をかかせなかったのです」
「・・・・・・」
「今からでも用件を長老に伝えていただきたい。正直申しますとすぐにでも息子のことを聞きたい。しかしそれはあなたでなくて長老からです。この村で長く守られて来た習わしを息子が変えたと言われたくないのです」
ラルフルには譲る気持ちは全くなかった。両腕を組んで足を踏ん張り、使者を睨みつけた。
・・・何故こうまでこだわるのだろうか・・・
使者はラルフルが頑として拒む理由が理解できなかった。父親として直接聞くべき大切な知らせを、長老から聞きたいとは・・・。長老重視の閉鎖的な慣習に違いなかった。
この頑固な父親をどう説得しようかと頭を巡らせる。
「召集された息子から一度も手紙は来ないし、帰って来る者も一人もいない。誰も口には出さないが、不安を抱えて毎日を過ごしています。こんな時にあなたが姿を現しました。何でもいいから話を聞きたいのです。後ろを見て下さい」
父親は思案顔の使者を見て、言葉を続けた。言われて使者は振り返った。気付かない内に更に多くの村人達が集まっていた。噂を聞きつけてまだまだ集まる者が続くだろう。
「あなたの役目が手柄の報告であれば、私はここに集まってくれた人達と共に聞き、そして喜びたいと思っています。いい話を聞けば、息子達を送り出している親達も安心できるのです。暗く沈んでいる村の空気が一度に明るくなります」
ラルフルは自慢の息子だけに、送り出した時同様にできる限りのことをしたいと思った。国王の使者が来たからには、息子について何か聞かされるのは間違いなく、それはきっといい話に違いないと思い込んでいた。大勢の村人達の前で発表され、息子の将来を決定付ける輝かしい瞬間になると予感した。
使者の顔は曇った。この息子思いの父親に、手柄話とは違う真実を告げるのは残酷だが、使者の使命は果たさなければならない。一目自分の格好を見て、用件を察して欲しかった。これだけの人数が集まってしまうと、解散させてゆっくりと家族だけに伝えるわけにもいかない。父親には気の毒ではあるが、何度も繰り返してきた役目から今さら逃げ出すわけにはいかなかった。ふと空を見た。南から西へ雲が速い流れで動き、さっきまで澄んでいた空で灰色の暗い雲が大きくなろうとしていた。雨の予感がした。
「残念ながら手柄の御連絡ではありません。この村にこの用向きで来るのは初めてです。他の町や村には何度も行きましたが・・・」
期待に反する使者の途切れがちな言葉と態度を見て、家族はかすかな不安を感じ始めた。改めて使者を見ると、そのまま葬儀に出られそうな格好だ。
一家の長であるラルフルの顔からそれまでの笑顔が消えた。初めて大きな思い違いをしたことに気付いたのだ。ラルフルは視野が狭くなり、顔が青ざめていくのを感じた。使者から告げられる内容が想像でき、暗澹たる気持ちなった。できれば家に駆け込みたいと思ったが、息子の名誉を汚してはならなかった。
「勝手な思い違いをしたようで、許して下さい。お役目御苦労様です。何なりとお伝え下さい」
使者も気の毒に思ったが、役目を果たさなければならない。鞄から巻紙を取り出すと紐を切り、ちょっと躊躇ったが・・・
「通達する。セルフル・セシルはナバロー大戦で名誉の戦死をとげた。その忠誠心をここに称え、その名を永遠に残すものなり。ショコラム王国・国王 ショコムラム・アーバンハイツ・・・残念ですがあなたの御子息は、お亡くなりになりました。国のために立派に戦われました。これは戦死を告げる正式な通知書です。御心中お察し致します」
と、言い渡した。
瞬間その場は、真冬の真夜中を思わせる無音世界になった。母親は両手で顔を覆って座りこみ、父親は両手を握り締め震えながらも目を見開いて使者を見つめた。村人達は瞬間ざわめき、息を殺して成り行きを見守った。言葉が出せないのだ。
「息子の最後の様子を教えていただきたいのだが」
父親は気持ちを奮い起こし、家族や取囲んだ村人達の一番聞きたいことを尋ねた。
「これには詳しい状況は書かれていません。私はお亡くなりになったことをお伝えするために来ました」
「おい!それはないだろう。いつどこでどうなって死んだか・・・・家族が一番知りたいことだぞ」
「いい加減過ぎるぞ。言われた家族の身になって考えてみろ」
村人から非難めいた声がとぶ。怒号に近かった。
「それだけ戦いが大変な状況になっているのです。私もこんな使者に立ちたくはないが、役目だから仕方がないのです。どうであれセルフル様が亡くなられた事実を受け入れて頂くしかありません」
毅然と使者は言い放った。これまでの経験で、こんな場面では強く突き放した方がいいと知っていた。必要以上の同情は国を非難する言葉を引き出し、一緒に涙する姿は国への非難を容認する態度になる。使者は決して自身の感情を表に出してはならなかった。
彼は敵意に満ちた視線の中で読み上げた巻紙を元に戻し、遺品になった血染めの軍服を手渡すと、無言で馬車に乗った。御者は来た時と違って、馬にぴしゃりと一鞭入れると慌ただしく馬車を走り出させた。
砂塵を上げながら遠ざかる馬車を、ぼんやりと父親は見送った。馬車が見えなくなると泣きじゃくる妻の肩を抱き、村人達に一礼して家に入った。
残された村人達も、無言でそれぞれの家に向かった。息子を送り出している家族は悲劇を目の前で見て、言葉にできない位の衝撃を受けた。これから先、不安を抱えた日々は始まるのだ。悲しみが最初の召集者の家から始まったのは偶然だったが、これからは何度も襲ってきそうな予感がした。そう思えるだけの多さで若者が召集されていた。
誰かが知らせたのか、死を悼む鐘がヨードルによって鳴らされた。精一杯の鎮魂の願いを込めて鳴らしているのであろう・・・心に響く陰鬱な鐘の音であった。




