六章 ザイラル 77 希望を託す
・・・十一・・・
広間からさほど離れていない部屋に、十二才以上の子供達が集められていた。サイノス、ポレル、バーブルもその集められた者達の中にいた。
「サイノス、凄かったそうじゃあないか」
「隊長の剣を両断して、そのまま斬り下げたとか・・・」
「その場にいた敵兵も、腰を抜かして見ているだけだったらしいな」
「いつの間にそんなに強くなったのだ?」
ライクレスを待っている間に仲間に取囲まれたのは、攻め込んできた敵の隊長、オクキタヨを倒したサイノスだ。彼自身一言もその時の様子を語らなかったが、隠れて見ていた仲間の口から皆に伝えられ、既に知れ渡っていた。話を聞いた者達は、敵兵を、しかも隊長を一人で倒したサイノスに驚いた。そして自分のことのように興奮した。しかし当のサイノスは、斬った時に浴びた生暖かい血と、頭蓋骨を断つ音が今でも嫌な感覚として残っていた。遠くから槍や弓矢で倒したのと違って、自身の手で他人の命を奪った感覚は全く異なるものだった。
・・・あの感覚は忘れられない。これから先、俺は何回も同じ思いをしなければならない。ずっと耐えられるのだろうか?・・・
仲間達はサイノスが一人で先に砦に戻り、部屋の中で血のついた剣を握りしめて震えていたのを知らない。ましてや握りしめた剣をはずし、返り血を浴びた顔を拭いてやったのがポレルというのも知りようがなかった。
「あなたは悪くないわ。剣に生きる男になるのでしょう。しっかりなさい」
ポレルはそう励まし、サイノスの震えが止まるまで体を抱きしめた。
「ポレルの言う通りだよ。お前は一歩前に進んだだけだ」
バーブルも慰め、シュエードを弾いて心を癒した。ポレルの行為の方がサイノスにとって落ち着かせるものだとわかっていたが、友達として何もせずにただ見守るだけでは気持ちが収まらなかった。この二人の友情がサイノスを短い時間で元に戻した。
サイノスを褒め終えると、仲間達は昼間の戦いについて語り合った。サイノスのような派手さはないが、大人顔負けの働きをした者が多く、娘達でさえ何人もの敵兵を倒していた。剣で斬り合いをしていないだけに、罪深さを悩んでいる者はいなかった。幼い子供達は目を輝かせながら、叱る大人がいない部屋を走り回りもせず、その話に聞き入っていた。
「楽しそうだなあ」
「広間は大騒ぎだ。僕らも行きたいよ」
大人達のいる広間から歌声と笑い声が聞こえ始めると、今度はじっとして耳をそばだてた。
「ライクレス様の話とは何だろう?」
長老から特別な話があると集められた子供達は、その中身についてあれこれ想像を巡らして待っていた。夜襲命令を期待している者もいたが、小さな子供や女の子も呼ばれていると知ると、目的が全く想像できなくなってしまった。
「待たせたな」
扉が開いて、ようやくライクレスが部屋に入って来た。宴の席にいた割には酒を飲んだ様子に見えない。
「みんな集まっているな」
「はい。お話というのは何でしょうか?早く済ませて下さいよ。僕達も早く広間に行きたいのです」
お調子者のショダンが、皆の気持ちを代弁した。誰もが早く話を聞き終え、広間に行きたいと思っていた。
「そうですよ。早く食べて早く寝て、明日の戦いに備えなくては」
「明日も今日と同じように勝てますよ。なあ、みんな」
「そうだとも!僕達に任せて下さい」
「今日の戦いで自信がつきました」
請われたわけでもないのに、一人一人が決意を述べた。サイノスの活躍と昼間の勝利が刺激となって、何でも簡単にできそうな気になっていた。
「それは頼もしい限りだ。本当に今日はよくやった」
ライクレスは満足な表情を浮かべ、頷きながら子供達に感謝した。そして次に予想外の言葉を発した。
「ここに呼んだわけを言おう。今夜の内にお前達はこの砦を出るのじゃ。夜陰に乗じて裏手から出れば敵の目につかない」
「え!どういうことですか?」
「砦を出るつもりはありません」
「僕達がいなければ、明日は戦いになりません」
砦から出てしまえば、明日の戦いに加われない。一斉に反発の声が上がった。
「よく聞け。今日の戦いはわしらが勝った。だがわかっていると思うが、敵の軍勢はまだ多く残っている。戦いの状況によっては、この砦を去ることも考えねばならない」
ライクレスはにこやかな表情で話を続けた。子供達が純真なだけに、丁寧に答えてやる必要があった。
「待って下さい。この砦以外に戦える場所はありません。森での戦いに見切りをつけて砦に入ったのはそのためでしょう。ここで僕達がいなくなったら、守りが手薄になります。攻め手は守り手の何倍もの人数がいると聞いています。守り手は多ければ多いほどいいはずです」
森でもう一度戦いたかったショダンが食い下がった。
「その通りじゃ。しかし明日はこの砦だけでは防ぎきれないほどの激しい戦いになる。谷を渡った先にある次の砦で、第三の戦いをする必要があるのじゃ。しかしその砦はここほど手を入れてない。この砦に籠もれば敵が引き揚げると読んだわしの過ちだ。そこでじゃ・・・その砦にお前達が先に行って、戦えるように整えて欲しいのだ。暗い夜道を歩き、深い谷を渡れるのは身軽なお前達の他にいない。ここに残りたい気持ちもわかるが、わしの思い違いを助けてくれないか?」
説明に不審な点はなかった。確かに夜道は老人や子供達にはあまりにも危険過ぎる。明日の戦いに加われないのは不満だったが、戦いが一日で終わるわけではなく、戦う機会はこの先いくらでもありそうだった。
「わかりました。とても大事な役目ですね。よ〜し、みんな、頑張ってやり遂げよう」
「おおっ」
ショダンの呼びかけに仲間達が腕を突き上げて同意した。
「よくぞ言ってくれた。時間はないぞ。食事をしてすぐに出発するがいい。家族との別れも済ませておけ。サイノス、バーブル、ポレルの三人はわしについてこい。櫓に上がるぞ」
やっと広間に入る許しが出た。子供達は歓声を上げて親達の待つ広間に戻るために部屋を出て行った。
櫓に上がると、砦を取囲んでいる敵の様子がよく見えた。かがり火は煌々と燃やされ、敵の陣地の位置と敵軍の多さを示していた。しかし砦の後方はほとんど兵士がいないのか、大きな闇が広がっている。今夜の内なら、砦から少人数が抜け出ても気付かれそうになかった。
ライクレスは櫓の手すりに身体を預け、無言で敵陣を見つめていた。三人はその後に並んでいた。
「お前達をここに連れて来たのは、家族が誰もいないせいもあるが、打ち明けたい話があるからじゃ」
振り返った時には沈痛な表情になっていた。にこやかな表情で子供達に話していた時とは別人だった。悪い予感が三人を襲う。
「お前達だけには真実を話しておこう。明日の戦いで砦に残る者達は皆死ぬ。生き残るのは難しいだろう」
「えっ!何とおっしゃいました?」
「砦に残る者は皆死ぬと言った。何度も聞くな」
「次の砦があるのでしょう。『明日ここで戦って、次の砦に移る。今夜砦を離れてその準備をしろ』と言われました」
「それは子供達を安心させるためだ。親が死ぬとわかって、自分だけ助かりたいと思う薄情者はシュットキエルにはいない。いいか、次の砦はわし達が入るための砦ではない。お前達が生き延びるための砦なのだ」
三人は衝撃を受けた。砦に立て篭もり今日のような戦いをすれば、明日も勝利するものと思っていた。実際ライクレスは一度もその言葉を否定しなかった。
「どうしても勝てませんか?」
「無理だ。今日は地の利を活かして勝ったが、立て篭もった以上それも出来まい。正規軍の正攻法にさらされると、わしらでは無力に等しい。奴等は敗北で気持ちも引き締め、その上仲間を殺されているから復讐心に燃えているだろう」
「それでは砦に入ったのが間違いなのですか?」
「そうではない。老人、女、子供での戦いでは限界がある。現にあのまま森に残り、後続部隊と戦っていたら、今頃は皆死んでおる」
「死ぬのを伸ばすために砦に入ったのですか?」
「そうだ。現に敵軍を一晩足止めにし、お前達を安全な場所に逃す時間が作れた。お前達が生き残り、シュットキエルを再建してくれることが、死に行く者達の望みなのだ」
沈黙が流れた。ライクレスに反論できるはずがなかった。
「幼子はどうなるのですか?」
ポレルはさっき呼ばれてなかった幼子達の顔を思い浮かべながら、聞かずにはいられなかった。
「夜道は幼子では無理だ。明日の戦いの中で、生き残れる機会も少しはあるだろう・・・が・・・それが叶わぬ時・・・つまり最後を迎える時は、母親の傍がいいだろう。苦しまない死に方は母親に教えた」
ライクレスはやっと柔和な表情に戻ると笑ってみせた。何とも痛ましい笑顔だ。
「何とか救えませんか?」
ポレルは必死だった。戦いの中で村人達につかの間の喜びを与えてくれたのは、無邪気な幼子達の振舞いだった。優しいポレルには、幼子がいつもまつわりついていた。彼女はその幼子達をどうしても助けたかった。
「わしだって幼子を救いたい。母親ならもっと強い気持ちだろう。だがな・・・戦いの中ではそんな甘い感情は通用しないのだ。若い母親は敵兵に辱められ、その子供達は間違いなく殺されるだろう。そんな苦しい目にあうならば、苦しまずに死ぬ方がいいはずだ」
ポレルもこの手の悲惨な噂話は聞いていた。誰もが口にする話ではないが、聞いた時には嫌悪感で思わず耳を塞いでしまった。それが現実なものとして、身近に迫っているのだ。一人の娘として自分も死を選ぶだろうと思った。
「わし達は話し合ってそう決めたのじゃ。一人でも生きていけるお前達をこの砦から逃し、将来の夢を託したいと思っている」
「俺は納得できない。そんな夢は見ない方がいい。皆でこの砦で死ねばいいんだ。逃げ出す時間を稼ぐために、親兄弟が死んでいくのを黙って見過ごすわけにはいかない。今から皆に話してくる。俺達が残れば何とかなる」
憤慨したサイノスがそう言って背を向けた。彼は言葉通りに櫓から下りて、広場に行くつもりらしい。
「ばか者!」
サイノスの肩を掴むと、老人と思えない力で殴りつけた。鈍い音が部屋に響く。
「人が人のために自身の命を投げ出す時は、それなりの理由が必要なのだ。戦いでも同じだろう。国王や国のために戦うわけではない。身近な者を守るために戦うのだ。わし達は幼い子供も含めて、明日への夢のために死んでいくのだ。人は必ず死ぬ。早いか遅いかは、その者が生まれ持った定めなのだ」
「ライクレス様。定めは変えられるのでしょう」
「この歳まで生きると、何事につけて人生の節目が見えるのだ。これは理屈ではなく、体に感じるものだ。お前達にもいつかわかるだろうが・・・」
「この話を皆知っているのですか?」
「主だった者は知っているし、母親達にも既に話しておる」
「そうですか・・・」
「お前達に話したのは、お前達の力を信じているからだ。期待を裏切らないでくれ。わし一人の願い事ではない。祖先から流れるシュットキエルの血を守ってくれ。頼む」
深い沈黙に包まれた。櫓の階段を伝わって、広間の宴会の声が聞こえる。酒が回り歌でも始まったのか、賑やかさが増していた。
ライクレスが許した家族との別れが永遠の別れになるが、そこまでの真実を子供達は知らない。明日の夜までの短い別れと考えているに違いなかった。彼が三人に秘密を話したのは、無事に砦から逃れた後で事実を話す依頼でもあった。
「ライクレス様、砦まで連れて行くことは引き受けました。全力を尽します。でもその後は砦には残りません。勿論この砦にも戻りません」
サイノスは砦までの先導役に限定した約束をした。バーブルの気持ちと見知らぬ世界への強い憧れを何よりも優先させたかった。
「お前達の気持ちはわかった。次の砦までは頼むぞ」
ほっとした表情を見せた。次の砦にさえたどり着けば、希望がより現実に近づくのを知っていたからだ。
「出発の準備ができました」
話し終えるのを待っていたかのように、ショダンが櫓に上がって来て報告した。彼はサイノス、ポレル、バーブルの沈痛な表情に驚いたが、そのわけは聞かなかった。
「そうか。降りるとするか・・・。ショダン、子供達は別れを済ませたのだな。そうであるならば見送りはなしだ。わしらも明日の支度をせねばなるまい。お前とサイノスで皆を無事に次の砦まで連れて行くのだ」
「僕が皆を引き連れる・・・わかりました。任せて下さい」
若者隊を指揮する指示を受けてショダンは小躍りした。そして今の指示を仲間に告げるため階段を派手な音を立てて降りていった。三人は大きな秘密を打ち明けられ、その重さに押しつぶされそうになっていた。




