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六章 ザイラル 75 撤退

・・・九・・・


「ここを引き払って砦に向かうぞ。時間がない。すぐに出発だ」

 緒戦の勝利を喜ぶ村人達に長老のライクレスは撤退指示を出した。

・・・沼地と窪地で敵のニ隊を完膚なきまでに叩いたが、これは始まりに過ぎない。まだ数部隊が待機していて、戦いの様子は逃延びた兵から伝えられたはずだ。正規軍が同じ過ちを二度も起こすとは考えない方がいい・・・

 そう深く考えての命令だった。

「ここでもう一度同じ目に逢わせてやろう。死体を片付ければ痕跡は残らない。この悪魔の袋地は何度でも敵を吸い込んでくれるだろう。矢と槍はまだ十分にある。同じ戦法で叩こう」

「駄目だ、駄目だ。逃延びた敵兵が一人でもいれば二度と誘い込めない。戦いはそんなに甘くない。これからが本当の戦いになのだ」

 ライクレスは道を知った敵が一気に攻め込んで来ると考えた。そうなるとこの場所では敵をくい止められない。まだ砦の方が一瞬にして攻め落とされる心配はなかった。

「お前がそこまで言うのなら従うしかないな」

 ライクレスの言葉に差し迫った危うさを感じた村人達は、武器をとりまとめると砦に向かって急いだ。まだここで十分戦える気もしたが、長老の意見は何よりも重視しなければならない。それはシュットキエルの伝統でもあり、これまでにも誤った結果が出たことはなかった。

 ライクレスの指示が村人達を救った。

 村人達が去って幾許もしない内に、ザイラス軍を先頭にして多数の騎馬兵が窪地に殺到した。騎馬兵は茂みにも届く長槍を小脇に挟み、潜む村人を燻り出すために投げ込む松明を手にしていた。坂の上にはいつでも射られるように弓隊が配置され、茂みに狙いを定めていた。

ザイラルはここまで来る間にオクキタヨの敗戦理由を掴んでいた。 

 この袋地までまっすぐ来ると沼から驚くほど近かった。それは沼の襲撃者と袋地の襲撃者が同じだったことを意味していた。騎馬隊を森の中で迷わせて時間を稼ぎ、その間に沼の兵を襲撃し、それが終わってから袋地に誘い込んだ騎馬兵を攻撃したのだ。敵ながら心憎いまでの策略と采配だった。

「見事な策だ。あのオクキタヨでは相手にならなかったな」

 攻め寄せる兵士達に臆病心を植え付けるためなのか、袋地には騎馬兵の死体がそのまま残されていた。しかし村人の死体は一体として見られなかった。

「ザイラル様、直前に逃げ出したようですよ」

「なかなかやるな。追い詰めるぞ」

 村人達の後を追って奥へ進んだ。地面には大人数の足跡が残り、追跡は容易かった。足跡は森を抜け、険しい山道を何度か上下してもはっきりと残っていた。追尾者達に対して所々に罠は仕掛けられていたが、注意深いザイラルのためにほとんど用を為さなかった。

 

 辺りが夕闇に包まれ始める頃、古びた家並みが見える小高い丘の近くにやって来た。その家々から人の気配を感じさせる数丈の白煙が上がっていた。

「ふん、どうやら奴等の住み処らしいな。おい、誰かを見にやらせろ」

 出された偵察兵はその家並みを砦と判断して、すぐにその様子を報告した。

「やはりそうか・・・レヨイド、一緒に来い」

 ザイラルは自ら確認するため偵察兵に案内させた。

・・・確かに砦だな。大きな門があり、武器を持った人影が見える・・・

 二人は砦の全体像を掴もうと、時間をかけてその丘を一周してみた。丘上の砦として自然の地形が最大限に活かされていた。

 門に向かって進むには急な坂が邪魔をし、門を避けて攻めるにしても険しい山肌が拒むように迫っていた。それに砦を囲む丸太柵が何重にも巡らされ、防御の要所、要所には高櫓が立てられていた。

・・・少しは手を入れたようだな。だが、正規軍の城とは比べようもないほどの脆弱な造りだ・・・

 要衝地の城であれば周囲に堀と高い城壁を巡らせるが、砦にそこまでの防御を望むのは無理だった。最低限、矢が届かぬように考えられていた。

「ザイラル様、一日で抜ける砦ですね」

「そうだ。正面の守りは堅いようだが、他はそれ程でもない」

  攻城戦に精通しているザイラルは余程自信があるのか、余裕の表情で砦を見上げていた。

「力攻めしますか?」

「それがいいだろう」

「十重二十重に取囲めば、誰も逃げ出せません」

「逃げ出したい者には好きにさせろ。死に物狂いで抵抗されるよりも犠牲が少なくて済む」

「一人残らず始末するはずでは?」

「状況が変わった。間違っても大敗はできない。オクキタヨの敗北によってわしらは兵数が足りず、完全な包囲戦は難しくなった。四軍であれば東西南北に分かれて布陣できるが、三軍ではどうしても一方角が抜け落ちる。ここは無理せず砦を落として主立った者を片付ければ格好もつこう。各部隊長達に連絡して、野営の準備をさせろ。明日には決着をつけるが、夜襲されないように見張りの兵を十分に立てさせろ」

 それぞれの部隊を砦の周りに配置させた。逃げ口のない殲滅戦を止め、攻城戦の基本である一方角空けの布陣にした。ザイラルは砦側が守りを最も固めている正面を選んだ。

「レヨイド、長い一日だったな。今日はゆっくり休め」

一番怖れた布陣中の襲撃を受けないまま各部隊が布陣を終えるのを見届けると、やっと安心して鎧を脱いだ。

 ザイラルは各隊に重ねて警戒をするように伝令させたものの、砦から夜襲を受ける怖れはないと考えていた。むしろ労せずして姿の見えなかった相手を捉えられてほっとしていた。夜襲を警戒させる伝令は、攻撃する側の緊張の糸を切らないための方策だった。砦の村人も攻城軍の夜襲を警戒しているのか、かがり火を焚いて警戒していた。双方が警戒している中での夜襲はあり得ない。

・・・明日の作戦は立て終わった。砦を夜明けと同時に一斉に攻撃し、短時間で決着させる。そしてヘドロバの後を追えば、数日中に本隊に合流できるに違いない・・・

 ヘドロバに問い詰められたら、何食わぬ顔をして全ての罪を死んだオクキタヨに背負わせて言い逃れるつもりだった。コレーション将軍を斬ったようには自分を扱えないと強気の読みをしていた。昔から自分の身の置き所を作る方法には絶対の自信を持っていた。

 砦は籠城者と包囲軍のかがり火に赤々と照らされ、幻想的な姿を浮かび上がらせていた。戦いがなければさぞかし美しい光景であろうに、揺らめく光は胸の底に潜んだ物悲しい気持ちよりも狂気じみた気持ちを引き出しそうだった。


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