六章 ザイラル 74 深謀
・・・八・・・
「『侮るな』と言ったのにばかな奴だ」
オクキタヨ軍の戦果を後方で待っていたザイラルは、苦々しく言い捨てた。先陣を任せた以上口出しはできなかったが、こうも無残に敗北するとは予期していなかった。これでは偵察兵の話をしてやっても同じ結果に終わっていただろう。
・・・目で見える敵との戦いにいくら強くても、策略に嵌るとあっけなく敗れてしまう指揮官では部下は死んでも浮かばれまい・・・
オクキタヨなどどうでもよかったが、自軍兵士と遜色ない兵士の死を哀れんだ。沼地でと森で壊滅的な損害を被ってオクキタヨ軍は消滅した。サイノスに両断されたオクキタヨの剣を持ち帰った兵士は、森での惨劇と彼の最後の様子を涙ながらに克明に告げた。
「これほどの腕の男がいたとは・・・」
オクキタヨの剣を見て、偶然折れたのではなく、凄まじい力で切断されたと断じた。彼を死に追いやった者の人並み外れた剣勢に息を呑んだ。
「奴は名乗ったのか?」
「サイノスと告げました。まだ童顔でしたが、剣の腕は凄まじいものでした。我々は眼中にないようでそのまま立ち去りましたが、斬る気があれば我々には為す術がなかったでしょう」
兵士はほぼ両断された顔を思い出したようで唇を振るわせた。
「童顔?若者なのか?オクキタヨを斬った男は?」
「そうです。体は大人以上ですが、どう見ても兵役前の年です」
「本当か!」
「間違いありません」
ザイラルは十代の若者だと聞かされて驚きを重ねた。オクキタヨが自負したように、ザイラルと剣の腕は変わらない。その彼でさえ全く歯が立たず、剣まで切断されるとは・・・。
「・・・サイノスだな・・・よく覚えておこう」
面前に現れた時には相手しないように、サイノスの名前を脳裏に刻み込んだ。
・・・恐ろしい奴だ。だが若者には持ち合わせのない汚れた策謀を巡らせば、剣を抜かなくてもどうにかなる・・・
戦場では剣技に長けた者を側に数十人置き、自らが戦うことはなくなっていた。軍団を率いて戦場を縦横無尽に駆け回る指揮官もいたが、ザイラルは戦況を見ながら部下を動かし、力任せの軍団より常に何倍もの戦果を挙げていた。駆け引きには自信を持っていた。
「ザイラル様、先陣は潰えました。奴等はほとんど無傷のようです。いかがしましょう?」
レヨイドは陣内に動きの出て来たドニエリ軍とソイジャル軍を見ながら尋ねた。両部隊長ともオクキタヨ軍の敗戦を知っていて、思わぬ幸運が転がり込んだと思い、出撃準備を大慌てでやっているに違いなかった。
「さすがに奴等も鼻が利く。わしも出撃するぞ。オクキタヨの過ちで全ての妨げは取り除けた」
「この先戦いはどうなりますか?前進の妨げだった沼は埋まりましたが、それ位で我々は勝てましょうか?」
「勝てる。レヨイド、騎馬軍を森に突っ込ませろ」
「えっ、いいんですか?」
レヨイドもオクキタヨ軍のあっけない敗戦が信じ難かった。ドルスパニア王国軍の正規軍が一軍そっくり消えてしまった衝撃は大きく、沼の他にも多くの障害が控えている気がして、ザイラルの自信に満ちた言葉の意味が今ひとつ理解出来ていなかった。村人が待ち構える先へ騎馬軍を突入させたら甚大な被害となる恐れがあり、部下を大事にするザイラルの命令とは思えなかった。
「何だ?その顔は・・・ははーん、お前はこの状況が読めていないな」
「申し訳ありません。おっしゃる通りです」
レヨイドは素直に認めた。ザイラルの機嫌は悪くないと判断した。
「いいか、教えてやる。オクキタヨの敗因は油断に他ならない。戦場での油断は死につながるとよく覚えておけ。だが、戦いはこれで我々に有利になった」
「負けても・・・ですか?」
「そうじゃ。ドニエリ、ソイジャルの部隊を見てみろ」
遠目でも兵士達間に緊張感というか、殺気立つ雰囲気が見てとれた。眼前で多くの仲間が殺された怒りが、凄まじい敵愾心となって燃え上がっていた。
・・・なるほど・・・やる気になったのだな・・・
「さっきまでの空気が一変しています」
「そうだろう。お前にも兵気がみなぎっているのがわかるか・・・。やっと本気になって戦おうとする意識が出てきたのだ。オクキタヨ達には犠牲になってもらったが、これからの戦いは楽になった」
「前進の障害というのは沼ではなかったのですね」
ザイラルの目は前進の妨げとなる沼ではなく、違うところに向けられていたと初めて気付いた。
「当たり前だ。沼なんぞはどうにでもなる。ただ兵士達のだらけた心が最大の障害だったのだ。思ったより多くの犠牲者は出たが、わしのせいではあるまい」
「ザイラル様はオクキタヨ様の敗北を予測されたのですか?」
「勝手に考えろ・・・それよりレヨイド、他の部隊長に伝えろ。一気に前進してあの者達を全滅させる。士気が上がり、障害のない今が攻める絶好の機会だ。急げ!」
レヨイドは伝令のために馬を飛ばしながら、「これからの人生をザイラルにかけてみよう」との思いを湧き上がらせていた。
・・・ザイラル様を補佐して出世させ、その功績で自身の未来を切り開こう。勢いのある人の力を利用するのだ。それが栄達の近道に違いない・・・




