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六章 ザイラル 73 オクキタヨの転落

・・・七・・・


 緩やかな坂道を下り、右に大きく曲がった先は円形劇場のような窪地になっていた。そこは周囲の巨木に遮られて風もなく、日だまりとなっていて、久しく見なかった青空が臨めた。身体を屈めながら寒々とした森の中を進んで来た兵士達には、身体を暖められるありがたい場所に思えた。

「ここで一休みしたいものだ。鬱蒼とした森は不気味だった」

「ああ、これだけ捜しても奴等の気配は何一つ感じられない。そろそろ引き返した方がいいと思う」

 戦う相手がなかなか見つからず、兵士達は厭いていた。出発時の戦闘意欲は何時終わるともわからない行軍で急激に薄れ、オクキタヨの引き返し命令を待ち望んでいた。三軍のいる元の出発地に戻り、一眠りしたかった。村へ引き返すために昨晩から一睡もしていなかった。そんな時、突如として元の世界を思わせる場所に出くわしたものだから、自然と足の動きが止まってしまった。

「おい、行軍が止まったぞ。ここで大休止するのか?」

「わからんが、そう願いたい。三ジータ(三時間)仮眠すれば、元気も取り戻せる。そして引き返せば夕食の時間だ。今夜はたっぷりと眠れるぞ」

 兵士達は上官達が話し合うために行軍を止めたと思っていたが、そうではなかった。この時先導役の将校は日射しを浴びる余裕もなく、一人で頭を抱えていた。何とか隊形を維持しながらここまで進んで来たが、人一人通ることができない巨木に行く手を遮られ、前に進めなくなっていた。日射しと広さに目を奪われて他の兵士達は気がついていないが、騒ぎになるのは時間の問題だった。

・・・どうすればいいのだ?坂の上までは道幅も広く、進む方向も何とか定まった。坂下で道が大きく曲がり先が見えないのは気になっていたが、行き止まりになっているとは思わなかった。迂回したくても巨木と大きな茂みに遮られ道がない。坂道を上がり引き返さない限り、この大きな窪地から抜け出せない・・・

「坂の上まで引き返す。お前達は後方に行き、『前進を止めその場で待機せよ』と伝えろ。ここで転回するぞ」

 将校の決断は早かった。部下に伝令として走るように命令した。

「引き返す?オクキタヨ様の命令は出ていません。前進しましょう」

「そうできないのだ。進めないのだ」

「えっ」

 部下は将校と馬を並べ、前方に目を向けてようやく事態を飲み込んだ。

「しかし・・・見て下さい。後ろの連中が横に広がっていて、転回する場所がありません」

 将校は足に力を入れて、立ち上がって後方を見た。確かに部下の言葉通り、転回命令を下しても実施するのは無理な状態だった。前進できないと知らずに後続の騎馬兵は窪地に次々に入って来て、前が進まない者だから自然と横に広がっていく。

「これは・・・」

 将校は目を剥いた。見ている間に窪地は騎馬兵で埋まって、馬体と馬体が接するほどの混雑振りとなった。

「どうしましょうか?」

「こうなっては全員が動かなくなるまで待つしかあるまい。動かなくなったところで、口伝えで後方に引き返しの命令を出す。後方から順次戻ればここから出られる」

「いいお考えです。オクキタヨ様には報告しますか?」

「ばか者!俺の過ちが全員に伝わるではないか。黙っていればいい」

 将校は全員が止まっても、過ちの発覚を恐れて口伝えで後方に伝えなかった。後方の将校が待ちくたびれて勝手な引き返し命令を出してくれれば、自分の過ちは問われないと思い直したのだ。後で責められても、「私は先頭で何とか進撃路を見つけ出し、進もうとしましたが後方が引き返しました。オクキタヨ様の命令が出たと思いました」と言えば、部下が暴露しない限り過ちは表に出ない。

 

「どうした?なぜ止まる?」

 オクキタヨも窪地の中にいた。日射しを受けて気持ちが和らいでいたが、前進がぴたりと止まり、いつまで待っても動かないから不審に思った。華々しい戦いをしたくても村人が一人として現れず、いつ抜け出せるとも知れない暗い森の延々とした行軍に苛立っていた。自軍の強さには自信があり、襲撃を待っているのにその兆候も全くなかった。

・・・森にも厭きた。そんなに深い森とは聞いていない。先頭の奴は何をやっている?・・・

 オクキタヨ自身はどこに向かっているのかには関心がなかった。先導役からも進軍に支障があるとの報告もされてなかった。

「理由がここからではわかりません。叫び声は聞こえず、襲撃されたためではないようです」

 この位の返事しか聞けなかった。伝令を出ししたが、密集度合いがひどくて進めないのか、一人も戻らなかった。

「もう我慢ができん。後で関わった者を処罰してやる」

 怒りが爆発しようとした時、兵士達をかき分けるようにして前方から伝令に出した将校が戻って来た。彼は機転を利かして馬を降り、歩いて状況を見て来たのだ。

「オクキタヨ様。これ以上前進できません。戻って下さい」

「敵か?」

「そうではありません。立木の間隔が急に狭まり、一列になっても馬はおろか兵も通れないのです。両側も茂みで動きが取れません」

「木を切り倒せ」

「それが切り倒せるほどの大きさではないのです。一人で抱えきれない太さの巨木が立ちはだかっているのです。巨木もここだけは並んで育ったのか、隙間もなくまるで壁のようです。それに切る道具もありません」

「状況はいい。もっとわかりやすく話せ!」

 オクキタヨの顔に青筋がたった。相当苛立っていた。

「我々は今坂道を下がった袋地にいます。坂道の上からは道が曲がっていて、行く手を遮る巨木があるとはわかりませんでした。全軍が坂道を下りてしまい、前進も後退も出来ず立ち往生しています。簡単に言うと細首の酒瓶の中に入ったようなものです」

 将校はうまい例えで説明ができたと思った。

「何!坂下の袋地に全軍いると!それも馬ともども・・・」

 背中に寒気が走った。破滅的な匂いを嗅いでしまったのだ。精強軍が窪地と袋地の二つの地相を持つ場所で立ち往生状態になっていた。

・・・狭くて身動きもままならないところに騎馬隊がいる。この瞬間に襲われたら防ぐ手段はない・・・これは巧妙に仕掛けられた罠だ・・・

 過去の戦いでも、敵味方を問わず、これほど簡単な罠にかかった例はなかった。軍学書にも載せられそうもない初歩的な罠だ。部隊に先行する偵察兵を一人として出さなかったことの報いだった。

「引き返すぞ。後列を先頭にして進むのだ。坂の上に出れば我々の勝ちだ。奴等はこの近くに間違いなく潜んでいる。坂を上がり次第、全員戦闘準備をしろ。剣を抜いて盾を構えるのだ。坂道を上がる自信のない騎馬兵は、下馬して徒歩で上がれ。急げ!」

 命令に従って下馬する騎馬兵と、乗馬のまま転回しようとする騎馬兵がぶつかって、混乱に拍車が掛かる。馬のいななきがあちこちで聞こえ、袋地は騒々しさで満ちあふれた。

「見ろ、大慌てで引き返そうとしている」

「気付くのが遅すぎたな」

「見事にはまりおった」

「攻撃だ。遠慮するな」

 オクキタヨ軍の混乱を見透かしたように、突如矢の風きり音がした。周囲の木の上、茂みの中から次々に矢が窪地の兵士達に襲いかかる。矢の狙いは正確で兵ばかりでなく馬にも向けられた。矢を受けた馬が棒立ちになり兵士を振り落とし、狂い駆けして投げ出された不幸な者を次々に踏みつぶしていく。

「弓隊ばかりに手柄を立てさせるな」

「そうじゃ、わしらの出番じゃ」

 弓隊に呼応して投げ槍隊が加わる。

 オクキタヨ軍の密集隊形が皮肉にも飛躍的に命中率を高めてしまった。矢の斉射を受ける度に兵士達がなぎ倒されていく。沼地と同じ惨状がここでも繰り返されたが、味方からはこの状況は一切見えず、援護軍は誰も駆けつけなかった。オクキタヨ軍は徹底的に叩かれて、戦死者がとめどもなく増えていった。

「どけ〜っ、邪魔だ」

 オクキタヨは馬上で剣を振り回しながら夢中で駆けた。指揮するより逃げる方を選んでいた。自慢の馬だけあって、坂道を苦にすることなく駆け上がっていく。

「お助け下さい」

「私も乗せて下さい」

 多くの部下が駆け上がるオクキタヨに助けを求めた。しかし止まることは死を意味する。彼は誰と確かめることなく、鞍に手を伸ばす者は斬り捨てた。自分が生き残るにはそうするしかなかった。

「オクキタヨ様、ここまで来れば大丈夫です」

 必死で周りを固めた部下の助けもあって、やっと殺戮の場所から抜け出せた。まだ窪地からは助けを求める声が聞こえるが、引き返す気持ちにはなれなかった。

「これだけか?生き残りは・・・」

 やっと気を取り直して部下の人数を数えた。十数人しか従う者はなく、大なり小なり傷を負っていた。文字通りの大惨敗だった。大部分の兵があの窪地で身動きの取れないまま一方的に殺されたのだ。虚しく死んでいく様が目に浮かんだ。

「そうです。我々だけです」

 オクキタヨはそう答える部下の目が、多くを置き去りにした自分を卑下しているように感じた。

・・・わしの過ちだ。ザイラルの話を全部聞けばよかった。功を焦って取り返しがつかないことになった・・・

 帰り道を辿る内に、自分達が巧妙に窪地に誘い込まれたのに気付いた。一つの方向に進むように意図的に切られた切り株がいやでも目に入る。身の安全を優先させて行軍の中央に位置し、先頭に立たなかった自分を悔やんだ。

・・・全てを失った今、ザイラルにこの戦いから離脱する話をしよう。多くの部下を一瞬で失い、本隊に復帰できる道は完全に閉ざされた。ドルスパニア王国にももう帰れない。どこかで逃亡兵として日陰の道を歩むしかない・・・


 肩を落とし、悄然として帰途についたオクキタヨは、部隊を密集隊形に変更した広場までたどり着いた。

・・・あとわずかで忌まわしい森を抜けられる。ここで部下に別れを告げよう。命令に従った部下には罪はなく、ザイラルに頼れば彼の部隊に入ることもできよう・・・

 オクキタヨはザイラル宛の書状の文面を考え始めていた。しかしこの日はどこまでも運に見放されていた。彼の帰りを静かに待ち構えていた者が現れた。

「オクキタヨ様、敵です」

 今まで無言だった部下が、突然声をかけてきた。

 部下の指差す方を見ると、一人の男が腕組みをして立っている。この辺りの村人の服装だったが、長い剣を腰に帯びていた。戦場で武器を持った他国者は敵以外の何者でもない。

「誰だ?お前は」

「お前を待っていた。どうやら他の者は帰って来ないようだな」

「見事な策略に引っかかってしまった。若造・・・先回りしたのか?」

「お前が隊形を変えた時からこの場所にいた。ここには戻らないと思ったが、運の強さはあるようだな。先の袋地でよく生き延びたものだ」

「袋地・・・初めから知っていたのか?」

「俺達がまともに戦っては勝ち目がない。袋地に獣を追い込む方法を応用して仕かけた。あれしか強力な正規軍と戦う術はない」

「そうだな・・・お前達を軽く見すぎたようだ・・・どうするつもりだ?」

「敵の隊長をこのまま帰すわけにはいかない」

「わしと戦うというのか?」

「そう願いたい」

「望むところだ。森の中ばかりで飽き飽きした。無惨な敗戦でもう国には帰れない。お前を斬った後他国で生きるつもりだ」

「ここで潔く死んだ方が名誉ではないのか?」

「わしはそこまで青くない。ところでお前は若いが、その腕は確かなのか?あまりに手応えがない相手だと寝覚めが悪くなる」

「そんな心配は無用だ」

サイノスは剣を抜いた。

「見ろ!」

 大木に近づくと両手で上段に構え、斜めに振り下ろした。抱えきれないほどの大木が切断され、派手な音を立てて倒れた。オクキタヨの部下達も驚く鮮やかさだった。

「ほ〜、なかなかの腕だ。楽しめそうだ。手を出すなよ」

 オクキタヨはゆっくりと馬から降りた。相手は逞しい体つきに似合わないまだ幼さが残る顔立ちだった。

・・・若すぎる。しかし甘い判断が失敗するのをザイラルとコボスとの立ち合いから学んだ。たった今大木を切断した腕は見事なものだった・・・

「名前を聞こうか・・・わしはオクキタヨだ」

「俺はサイノス。相手になろう」

「ではまいるぞ」

 サイノスに走り寄ると片手で斬り付けた。サイノスは余裕をもって受け止めた。金属音がオクキタヨの耳に心地よく聞こえた。

・・・実に爽快な音だ。この音をわしは聞きたかったのだ・・・

 二度、三度打ち込んだ後、オクキタヨは両手で渾身の力を入れて振り下ろした。片手の時とは違って、剣は比べようもないほど速くて力強かった。これまでの相手だとこの段階で決着が着いた。片手の剣の速さに惑わされた相手は、倍以上の速さになった剣を受け切れないのだ。

「どうだ!」

「何のこれしき」

 サイノスは動じる様子も見せず、片手で受け流す。

・・・う〜む・・・強い・・・

 オクキタヨはしっかりした受けに驚きながらも、尚も両手で鋭く剣を繰り出していく。

 サイノスには斬りかかって来る剣の行き先が全て見えていた。相手の剣の動きが遅すぎるのだ。 

「えいっ」

 大きく打ち込んできたオクキタヨの剣を下から上に払った。

「あっ」

 思いがけない力を受けて剣を弾き飛ばされそうになったオクキタヨは、よろめきながらも何とか踏み止まった。その間にサイノスは剣を大きく振りかぶっていた。

・・・来る・・・

 頭上に振り下ろされるのを予知し、剣尻と剣先を両手で掴み両足を踏ん張って斬撃に備えた。息を殺して二人の立会いを見ていた部下達は、受けの態勢を取るまで敵が待っているように思えた。

 その思いは当たっていた。サイノスは相手が十分に受けの体勢を取るまで待つと、ぐっと腰を落としながら鋭く剣を振り下ろした。

 うなりを上げる刃音が、オクキタヨがこの世で耳にした最後の音となった。

 サイノスの剣はオクキタヨの剣を易々と両断し、そのまま体を二つに斬り下げた。オクキタヨは両手に分断された剣を持ったまま、おびただしい血を吹き上げて前に倒れた。

 サイノスはそのままの格好でしばらくいたが、静かに姿勢を戻した。

「その剣を持ち帰り、お前達の仲間に見せるがいい」

 目の前で隊長を倒され恐怖に震える兵士にそう告げた。部下達は隊長の仇を討とうともせず、魂が抜かれた表情で立ち去る後ろ姿を見送っていた。



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