六章 ザイラル 72 沼地の敗戦
・・・六・・・
「沼を埋め立てて進撃路を開く。騎馬隊は既に出発した。我々も遅れをとるわけにはいかん。急げ!」
分隊指揮者のコイデドーが、右手に持った指揮棒で手の平を叩きながら声を荒げた。オクキタヨから刻限を決められ、遅参は許さないと厳命されていた。
「聞いたか?誇り高い俺達、ドルスパニア王国軍兵士に、バイトルの真似事をしろだと」
「夜を徹して駆け戻って、このざまとは・・・」
「橋を壊されたのはザイラル様の失策だ。どうして俺達がこんな貧乏くじを引かされるのだ?ザイラル軍でやるのが当然だろう」
「そうぼやくな。オクキタヨ様は承知の上で先陣役をお決めになった。俺達の部隊だけで奴等を殲滅すれば、手柄は全部オクキタヨ軍のものとなる」
「本当か?」
「間違いない。ヘドロバ様の恩賞と奴等の隠した財宝、かなりのものになるぞ」
「ようし、そうとわかれば話しは別だ。仕事にかかろうぜ」
無駄な作業を命令され、不満を抱いていた兵士達にもやる気が出てきた。計算高い部隊長のオクキタヨが、割に合わない役目を引き受けるわけがなかった。
剣や弓を無人の家から持ち出した鍬や鋤に替え、もうもうと上がる土煙も厭わず必至で働いた。埋め立てを早めるために、近くの家を打ち壊して沼に投げ込んだ。最初ぎこちない手つきだったが、慣れるに従って要領がわかったのか、埋める速さも増してきた。村人達が長時間攻撃軍をくい止めると期待した沼が、こうして見る間に埋められていった。
「こんな沼で俺達を阻もうと思ったのか」
「奴等の目論見を打ち破り、度肝を抜いてやろう」
軍服が汗と土埃に塗れて汚れてひどい格好になったが、埋め立てもほぼ終わりに近づき、兵士達の士気は少しも衰えていなかった。最初は森方向に見張り兵を立て、武器を手元において用心していた。しかし騎馬隊が森に消えた頃からは警戒心は失せ、武器を置き去りにする者が多くなり、中には暑さに負けて鎧まで脱いでしまう者もいた。攻め込むつもりでいたから、攻撃されるとは考えていなかったのだ。
・・・武器を持たず、狭い場所に固まっているのを見過ごすなんて・・・やはり戦いを知らぬ村人では、所詮正規軍の敵にはならない・・・か・・・これではオクキタヨ軍だけであっけなく片付くかも知れない。ザイラル様は控えの二部隊長に口約束されたが、恩賞に替わるものを渡せるのだろうか?・・・
レヨイドは後方の陣から沼地の様子を見ていた。埋め立てが終わると進撃路が完成するだけに、何らかの襲撃があっても不思議ではなかった。兵が油断している完成間近の今が絶好の機会であった。しかし・・・彼の危惧は的外れなのか、弓矢一本飛んで来なかった。
・・・これから先の金策を考えると憂鬱になる。ザイラル様にその役目をお願いするわけにもいかない・・・
顔馴染みの商人の顔を何人か思い浮かべながら、どの商人から工面しようかとあれこれ考えた。商人達の間でもザイラルの評判はよく、これまで断られたことはなかった。ただ、欲深いドニエリとソイジャルを満足させるためには相当の金がいりそうだった。
・・・と、何か妙な空気が沼から漂って来るのを感じた。
・・・うん?ただならぬ気配を感じるが・・・何だろう?・・・
沼に目をやった。大勢の兵士達が忙しくしている中ではなかった。
・・・兵士達の中からではないな・・・
レヨイドは目を閉じ大きく深呼吸した後、感覚を集中させて周囲を凝視した。兵士達の様子は前のままだが、彼等を取り巻く空気がやはりどこかおかしかった。
・・・見えた。森が前よりずっと近くに見える。何故だ?・・・
森から離れた沼であるのに、木々の緑がはっきり見えるのだ。沼も森も動くわけがなく、なぜそのように思えるかがわからない。周囲の兵士達は長い埋め立てを見飽き、眠り込んだり話し込んだりして沼地のオクキタヨ軍に気を配っていなかった。誰かに意見を聞こうにも、それには「森が動いている」と馬鹿げた話から始めるしかなかった。信じてくれる者はまずいない。笑い物にされるのは耐えられない。
・・・こんな時はザイラル様にお聞きすればいいが、眠られたままだ。とにかくもう少し様子を見よう・・・
胸騒ぎを覚えながらも、終わりに近づいた作業を見守っていた。
「よし、作業は終わりだ。小休止の後、鶴翼に展開する。騎馬隊が追い出して来る村の奴等をここで待ち受けるのだ。お前達が作りだしたこの平地が奴等の墓場になる」
「お〜」
兵士達は終了命令を聞くと喚声を上げながら鍬と鋤を力一杯遠くに放り投げた。そしてその場に腰を下ろしたり、額の汗を拭ったりして束の間の休息に入った。その間コイデドーは埋め立てられた地面の固さを確かめ、その出来栄えに満足して何度も頷いた。
・・・いい出来だ。騎馬兵もこれなら騎乗したままで進める・・・
地面に待機軍の展開形を描き、各隊の配置を決めていった。騎馬隊が敵兵を追い、歩兵が待ち受けるやり方は戦場で何度も経験があった。正規軍相手でないから、ただ横に展開すれば事は足りたが、初めての指揮で気持ちが高ぶっていた。
・・・これでオクキタヨ様から認められたら昇進も夢ではない。もう一度全員を整列させて、陣の展開と作戦を言い聞かせよう・・・
「よし、休息は終わりだ。全員集合しろ」
大声で部下達に整列を命じた。
休憩を終えた兵士達が武器を持って平地に集まり始めた。武器を持つと訓練された兵士に精悍な顔つきが戻り始めた。
「ん?森まで離れていたはずだが、茂みがやけに近くに見える。俺の思い違いか?」
何気なく森を振り返った一人の兵士が発した言葉が、戦いの幕開けを告げることになった。
「沼がなくなったからそう見えるのだろう。目の錯覚ってものだ」
物知り顔で仲間の兵士がそう解説した。
「おい・・・やはりおかしい・・・森が近すぎる」
最初に疑問を抱いた兵士は納得せず、立ち止まって目を細めて凝視し、今度は指差してその場所を示した。
「何を馬鹿げたことを・・・森が動くはずなどない」
「確かにそうだが・・・う〜ん、なあみんなどうだ?」
立ち止まった一団に気づいて、数十人が集まって来た。兵士は自分の疑問を説明した。 その言葉を多くの兵士が否定したが、同調する兵士もいた。しかし、これまでに森が動く話しなど聞いた者は誰もおらず、首を捻りながらただ見るしかやりようがなかった。
「どうしても気になる。何人かで様子を見に行こう」
妥当な提案も出たが、既に隊毎の整列が始まっていて、勝手なことができる状況ではなかった。
「わざわざ見に行かなくても、こちらから攻め込むのだ。早く整列しないとどやされるぞ」
「コイデドー様に報告すれば十分だ」
「それがいい。勝手な行動は許されない」
「お前達はそう言うが、俺はどうしても気になる」
仲間達はそれ以上相手にせず、平地の集合地に歩き出した。最後まで粘った兵士は一人取り残されそうになって、慌てて並び始めた自分の隊に急いだ。もう頭から疑念を取り払っていた。
盾を何枚か重ねた上に乗って、コイデドーは整列した兵士達を手招きして更に一塊にした。その方が全員に自分の意志を説明しやすいと思ったからだ。完璧な待ち伏せをして自分の評価を上げようと目論んでいた。
コイデドーの話しは自分の言葉に酔ってしまい、何度も同じ話しを繰り返したものだから、兵士がじれるほど長かった。兵士達は森に背を向け、姿勢を正して聞くしかなかった。
異変が起こった。整列した一人の兵士が急に倒れこんだ。
「ほれ見ろ、長い話しで気分が悪くなったようだ。いいかげんにしてもらいたいよな」
剽軽な兵士が小声でささやく。その声を聞いて何人かが笑った。しかし・・・その笑いが凍り付く出来事が起こり始めた。一人、また一人と兵士が倒れていくのだ。
「おい、どうした?」
茫然と見ていた回りの者達は、倒れた者の背中や首に矢が刺さっているのを見て、現実に引き戻された。
「矢だ」
「俺達を狙っている」
「どこからだ?守りを固めろ」
口々に叫んでいる間にも、矢は次々に飛んで来て兵士達の命を奪った。矢を防ぎたくても盾は手元になく、離れた場所に剣や斧と一緒に綺麗に並べられている。コイデドーが話しを聞く邪魔になると思って、そうするように命じていた。全兵士が無防備状態であった。
「わあ〜、助けてくれ」
大声を出して一人が逃げ出すと、他の兵士達にも一挙に恐怖が伝わり、誰もが先を争って走り出した。森に背を向け、後方に控えているソイジャル、ドニエリの陣を目指した。大混乱になったことが呼び水となり、本格的な攻撃が始まった。空を真っ黒に染めて矢が降り注いだ。手投げされた槍は矢を遙かに上回る獰猛さで兵士達を襲った。
「この機を逃すな!奴等は浮き足立っている」
茂みから村人が飛び出して来て、情け容赦なく矢と槍を逃げまどう兵士達の集団に打ち込んだ。槍に串刺しにされ立ったまま苦痛に顔をゆがめる者、身体中に矢を受け針鼠と化した者、恐怖の余り闇雲に剣を振り回して味方を斬り捨てる者など、目を覆いたくなるような凄惨な場面が繰り広げられた。逃げ惑う兵士達の靴で埋められた土が巻き上げられ、はっきりと姿が見えない中で怒号や悲鳴が飛び交う。それでも投槍や弓矢の攻撃は途切れなかった。
「わあ〜、勝ったぞ〜」
「わしらの力を思い知ったか!」
「何度来ても同じ目にあわせてやる」
どっと勝利の歓声が沸き上がった。茂み全体が大きく揺れ、村人達が姿を現した。
兵士達に茂みと錯覚させたものの正体は、服に木枝をさし込み、両手にも持てるだけの木を持った村人達だった。体を寄せ合って一塊となって少しずつ沼に這い寄り、兵士達の緊張が最も緩んだ時に奇襲したのだ。見張り兵を一人も置かず、武器を手放させ、必要以上に長話をしたコイデドーが敗因を作ってしまった。そのコイデドーは敗戦の惨状を見ることもなく、血にまみれて地面に息絶えて転がっていた。混乱の中で真っ先に狙われ、何が起きたかも知らずに死んだに違いなかった。
「ようし、十分だ。引き揚げろ」
攻撃終了の命令と共に森の中に村人が去り、ようやく静寂な時が訪れた。巻き上がった砂埃が収まった平地では、かすかなうめき声と血の匂いが漂った。短時間の一方的な戦いだったが、攻撃される者にとっては気の遠くなるほどの長さだった。立ち姿の兵士はいなかった。先陣の壊滅的敗北は明らかだった。
後方に控えた三部隊はあまりに急な展開のため助けに出る間もなかった。それでも俊足を誇る騎馬兵が駆けつけたが、既に襲撃者達は森に姿を消していた。騎馬隊はそのまま森に突っ込んでも行けず、コイデドー隊の惨状をそのまま悪い話として部隊に持ち帰ることになった。
その頃オクキタヨが率いる騎馬隊はコイデドー隊の敗戦も知らず、森の中を突き進んでいた。村人が潜んでいると思われる所はザイラルから絵図面で教えられたが、偵察兵が同行しているわけでもなく、居場所を特定できなかった。それに森の中は最初考えたよりもずっと薄暗く、見上げるような大木と大小の茂みが交互に現れては消えていく。同じ光景の繰り返しで部下がいるからいいようなものの、一人では到底耐えられそうにない重苦しさがあった。
「この森は寒い」
見上げたオクキタヨの目は、何重にも交差する枝に邪魔されて、少しだけしか太陽を捉えられなかった。坂道を上がった頃の汗が引き寒気を感じた。燃え上がっていた闘志も森の冷気に触れて薄れ、冷静に物事を考えられるようになっていた。
・・・まずいことになった。隊列が伸びている今、横から急襲されたらひとたまりもない。騎馬隊が自在に走れなければまともに戦えない。このまま進むにしても、すぐに反撃できる隊列に変えた方が安心だ。それにしても・・・小鳥の声さえ途絶えたこの静けさはどうにもこうにも無気味に思える・・・
用心深くなったオクキタヨは、茂みの多さがやたら気になった。大小の茂みは馬を邪魔し、村人が潜めば至近距離から防ぎようのない矢の猛射を浴びてしまう。部下には言えない大きな脅威だった。また隊列も縦に伸び過ぎていた。前後の守りは堅いが両側は無防備だった。いつ矢を受けても対応できるよう気配りはしていたが、極度な緊張で上半身が硬直し、そのこりをほぐすために時折神経質に首や肩の部位を回していた。
「隊列を密集隊形にする。横からの攻撃に備えよ」
オクキタヨはとうとう我慢できなくなり、立木のない場所で隊列変更の命令を下した。密集隊形にすればどの方向から急襲を受けても応じられると考えたのだ。
「ぐずぐずするな。急がせろ」
「先頭を呼び戻し、中央はその場に止れ。後ろは駆けさせろ」
多少混乱はあったものの隊列は無事に変更できた。オクキタヨは一番安全な中央に身を置き、全てが整うまでは苛ついていたが、ようやく安心した。
「短時間でよく整えた。褒めてやる。先頭にこう伝えろ。『密集隊形を維持できる方向を最優先にして進め』とな」
騎馬隊はオクキタヨの命令を受けて、襲撃を警戒しつつ一層緩やかな足取りで進んだ。先導役の将校は隊形維持を厳命されて、道の曲がりより道幅を重視した。まっすぐ進むより列が細くならないように隊を引き連れた。
不思議な行軍が続いた。立木の間隔が狭まり進むのが難しくなると、うまい具合に違う方向に広く空いて前進できる道が見つかった。木がその方向に進むのに都合良く切られた感もあったが、それに注意を払う兵士はいなかった。誰もが前進を続ければ村人達に出くわすと思い込んでいたのだ。それに急に戦いを仕掛けられても、対応できる兵数がいると安心していた。
・・・弱った。隊形を維持することばかりに気を取られ、方向を見失った・・・
騎馬隊が順調に進んでいる中で、先導役の将校は口にできない不安を抱えていた。命令を忠実に守り何度も方向を変えるあまり、自分の位置を見失っていたのだ。用心のために進んだ道には目印は付けていたが、オクキタヨに「道に迷ったので戻りましょう」とは進言できなかった。
一方その事情を知らないオクキタヨは、先頭の兵が効率よく探索しながら進めていると思い込み、信頼できる部下を送ってまで状況を問い質さなかった。
こうした思い違いが重なった騎馬隊は、方向感覚を失い集団で進める方向だけを求めて迷走し始めていた。




