五章 仮面 66 耐えて待つ
・・・十四・・・
スターシャとピピとの付き合いは途方もなく長い。互いに多くの出会いと別れを経験していたが、二人は手を携えて同じ道を歩いて来た。
二人の出会いは、スターシャの祖母、コンドレアが作った。
生まれながらに不思議な力を持つ娘が両親の悩みだった。理解を超えた力が子供の口を通じて噂にならないように、同年代の子供達と遊ばせなかった。それが娘を守る唯一の手段と思い込んでいたからだ。我が子を愛する気持ちは他の親に負けなかった。
子供心は両親の気持ちを敏感に察知する。友達が遊びに誘いに来てもじっと我慢した。それが両親の望みと知っていたからだ。外から聞こえる子供達の歓声を尻目に、家での一人遊びが多くなった。人形を相手に遊び孫娘の寂しげな背中を見て、コンドレアは涙を流さずにはいられなかった。
「こんな幼子に気を遣わせて、悪いお父さんとお母さんだね。でもお前は神様から選ばれた子供なのじゃあ。きっと幸せになれる」
そう言っていつも慰めた。自分と同じ力を持つ孫娘が可愛くてたまらなかった。
「お前に宝物をあげよう。誰にも内証だよ」
両親がいない時、コンドレアは小さな袋を手渡した。
「おばあ様、これはなあに?」
幼いスターシャが無邪気な顔で尋ねる。
「さあ・・・何だろうね。取り出してごらん」
祖母の笑顔がスターシャを勇気付けた。
小さな手で探ると、指先が冷たいものに触れた。手触りだけでは何かが分からず、恐る恐る取り出してみると綺麗な卵だった。今でこそ地味な銀色をしているが、最初見た時は美しい絵が描かれていた。
コンドレアはこの卵を自分の娘、つまりスターシャの母親には見せなかった。卵を譲れるだけの力を持ち合わせていなかった。その母親を嘆かせている孫娘にこそ同じ血が流れていた。それを見抜いた時の嬉しさは、娘を産んだ時以上だった。
・・・わしの真の娘じゃ。母親は宿主に他ならない・・・
コンドレアは一切の世話を引き受けた。その慈しみ振りに母親は感動した。
「お母さん、私もそんな風に育ててくれたのね。ありがとう」
母親はコンドレアの真意を善意に受け止めていた。
「当たり前だろう。子供はかわいいものじゃ」
少し心が痛んだが、血筋は守っていかねばならなかった。
・・・この子はわし以上の力を持っている。楽しみじゃあ・・・
日毎に高まる力を側で感じ、自分の思いが違ってないと確信した。そして物心がつく日を心待ちにしていた。早く卵を譲ってやりたかった。
「きれいな卵だわ。この中に何か入っているの?」
「知りたいのかい?じゃあ、それを軽く回してごらん」
「こう・・・?」
教えられるままにいじると、卵の上部が簡単に取れた。卵が二つに分かれることを学んだ。 その蓋を取って中を覗き込んだら、小さな女の子が椅子に座って微笑んで見上げていた。
「かわいいお人形さん」
手を伸ばそうとした時、「こんにちは」と挨拶された。
「えっ」
人形を動かして遊んでいたが、挨拶されたのは初めてだった。目をぱちくりさせた。怖がらず声をかけた。
「あなたはだあれ?」
「私にはまだ名前がないの。名前をつけて頂戴。お友達になりたいの」
小さな女の子が答える。
「どうすればいいの?」
どうしていいか分からず、振り向いて祖母に聞いた。一目で小さな女の子が気に入ったが、人形や小鳥に名付けるように簡単にはいかない。
「その子の望みよ。名前を付けておやり」
コンドレアは笑顔でスターシャに勧めた。
「わかったわ。じゃあ・・・あなたはピピ。どうかしら?」
「とても素敵な名前だわ。ありがとう」
その女の子はにっこりと笑って嬉しそうに答えた。
「私にもやっとお友達ができたわ。これからは一人でお家にいても大丈夫よ」
「そうかい。気に入ってくれてよかったよ。でもピピのことは私とお前だけの秘密だよ」
「約束するわ。ピピも大切にするわ」
その日から二人は同じ時間を過ごして来た。
ピピもスターシャの成長に合わせて大きくなった。それでも片手で軽く持ち上げられるほどであった。卵の家に入る時にはもっと小さくなった。
二人の関係は全てうまくいっていたが、スターシャには一つだけ引っかかりがあった。それはピピが自分を主人として扱い、言葉遣いもそのようにすることだった。幼い頃は普通に話してくれたが、いつの間にか言葉遣いが変わってしまった。
「あなたの主人ではないから気安い言葉遣いをしてね。私達は姉妹でもあり、友達でもあるのよ」
何度もそう言ってピピが変わるのを辛抱強く待っていた。
ピピにもその気持ちは伝わっていたが、どうしても遠慮してしまう。幼い頃は姉妹のような感覚で接していたが、いつの間にか対等な立場で物言いができなくなってしまった。成長するに従って放ち始めた力と、輝きが増していく美しさに近寄り難いものを感じたからだ。スターシャを敬いながら、慰めたり励ましたりして支えるのがピピの生甲斐となっていた。しかし・・・いつかはまた幼い頃のように気ままに話したいと願っていた。
「ねえ、あの人に天馬の薬を渡した方がよかったかしら?」
夫に渡した薬についてピピの意見を聞いた。天馬の薬とは、酒場の二階で長い時間をかけて作った秘薬の中の一つだった。馬に飲ませれば脚が見えないほどの速さで走らせることができる。その姿はあたかも翼を得て飛んでいるように見えることから、ヘドロバがそう名付けた。自信作であった。
「引き返して欲しくなかったのですね。無理にでもお引き止めされたかったけれど、コボス様の気持ちをお考えになって仮面と薬をお渡しになった・・・でも・・・天馬の薬はお渡しにならなかった・・・無事を願われていらっしゃるためでしょうが、コボス様に言えないものを心に秘められている。そうではありませんか?」
ピピはスターシャの心の内を言い当てた。天馬の薬を飲ませれば、遠く離れた場所へも短時間で到達できる。しかし夫に渡したのは、それよりずっと弱いものだった。天馬の薬がありながら違う薬を渡したところに、スターシャの隠された本音があった。
「あなたの言う通りよ。そうなの。あの薬では村まで一日はかかるわ。それまでにはザイラル達が攻め滅ぼしているはず。天馬の薬を渡してあげれば、スープが冷めないくらいの時間で引き返せるわ。無敵の仮面軍が着きさえすれば村人達は救える。でも・・・私は嫌なの。あの人が故郷を想う気持ちを持ち続けるのが。私が故郷で私の所にしか帰る場所がない人になって欲しいの。そのためには村人達には悪いけど・・・死んで欲しいのよ!」
テーブルに顔を伏せて大声で泣き始めた。ピピには自分の気持ちを偽らない。口に出すのが憚かるようなことでも打ち明けた。ピピは時には微笑み、時には大声で叱りながら励ましてくれる。
「そんなにお嘆きにならないで下さい。あなたはずっとお一人で耐えられました。御自身の力で困難に立ち向かい、見事に切り抜けられて来ました。私も精一杯お仕え致しましたが、私の支えなど取るに足りない小さなものです。そのスターシャ様がやっと頼れるお方に巡り会われたのです。愛する方を独り占めされたいのは当然のことです。シュットキエルに向かうコボス様を騙したと気にされていますが、人の命は無限のものではありません。半日で引き返せるのも薬があればこそできることなのです。コボス様が事実をお知りになっても、スターシャ様のせいと責められないでしょう。あなたが後悔されなくてもいいのです。引き返されて残酷な場面に出くわされるかも知れませんが、見逃しにされたのではなく、間に合わなかったからと納得されるでしょう・・・そして心の傷を癒されたいと、スターシャ様の元にお戻りになられます。故郷をなくしたコボス様を二人で温かくお迎えしましょうよ・・・さあ、涙を拭いて私達も出発しましょう」
「そうね、それしかないのよね。私はそう考えてもいいのよね」
スターシャの目にかすかな希望の輝きが戻った。
コボスに出会ってからのスターシャは、恋と愛の狭間で心揺らし、悩める純情な娘に戻っていた。勿論恋は初めてではない。しかし普通の娘のように男との甘い思い出をいつまでも引きずらなかった。出会いから恋におち、愛に到るまでの憧れ、喜び、悲しみ、驚き、恥じらい、悩み、疑い・・・。そんな若々しい感性を持ち続けるために、一つの物語が終わる毎に全ての記憶を消し去らねばならなかった。この力がなければ違う時代、違う場所で違う人生は歩めなかった。
「あなたに話せてよかった」
「これからも遠慮なさらないで下さい。スターシャ様のためなら何でも致します」
「ありがとう、心強いわ。ところであの人をどう思う?」
「まだお話ししていませんが、スターシャ様が愛されたお方であれば素適な方でしょう。私の姿を見ても驚かれないと思います。お会いできるのが楽しみです」
スターシャから恋の悩みを何十年か振りに打ち明けられ、自分なりにコボスを理解し、会わない前からいい感情を持っていた。それにスターシャがこれまで節目、節目での判断を誤らないのを知っていた。その彼女が見込んだ男であれば間違いがあろうはずはないと信じていた。
・・・コボス様がシュットキエルから帰った日に紹介されたら、まずは母親としての笑顔を見せよう。それにしてもお美しいこと・・・
スターシャの初々しい表情を見ながらピピはそう思った。




