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五章 仮面 65 ピピ

・・・十三・・・


「仮面を付けろ」

 クレデポーの命令する声が聞こえてきた。どうやら副官に選ばれたらしい。首に巻かれた妻のスカーフに気付いて、親しみを覚えたに違いない。

 時を置かず、

「馬に水を飲ませろ」

「全員乗馬しろ。出発するぞ」

 今度はコボスの声が聞こえた。クレデポーは仮面を付けた瞬間、もの言わぬ忠実な一兵士に変身し、司令官の夫しか仮面軍団に命令できない。

・・・あらあら、あんなに嬉しそうな声を出して。「部下などいらない」と言っていたくせに、やっぱり男なのね・・・

 目論見が当たってスターシャはくすりと笑った。その笑みが消えない内に全力で駆け出す蹄の音が響き、少し間を置いて慌てて追いかける多くの蹄の音が聞こえた。最初は勿論コボスの馬で、急ぎたい心を表わすように急速に遠ざかって行った。一人残ったスターシャはその音から逃れたくて、長い時間力一杯両耳を押さえていた。夫の空気が薄くなるのを感じた時、何も音は聞こえなくなっていた。

「ああ、とうとうあの人が行ってしまった」

 言葉に出して嘆くと、魂が抜けた風に椅子に座り、身動きもしないで長い時間を過ごした。

 コボスは先に進むように言い残したが、スターシャは進みたくなかった。鐘を手に入れたからには帰還を急ぐ必要もなく、出発を中止にして帰りをここで待つことができる。数日であれば何の問題もなかった。それより引き止めなかったのをもう後悔し始めていた。・・・時間だけが過ぎて行く・・・出発すべきか留まるべきか・・・それを決めかねていた。

・・・どうしよう?ここでひたすら待ちたい気持ちもあるし、信じて先に進みながらいじらしく待つ新妻の気持ちも感じてみたい。そうよ、そうよ。出発を中止してここに留まっていても、一日中セルタに閉じ籠もるだけの日々になるわ。遠征軍を率いて出発すれば、移り変わる風景を見て少しは気分も晴れる・・・

 いつものように即断できないのは、占い師として不吉なものを感じていたからだ。それはまだぼんやりとしたもので、脳裏に形として浮かばないだけに余計始末が悪かった。親衛隊を創って幾分薄らいだものの、すっきりした気持ちにはなれなかった。

 スターシャは悩み続けていた。結論を出さずに引き延ばすにも限りがあった。出発しないならば、それを兵士達に告げなければならない。時間を気にしてやきもきしているイロガンセ将軍の顔が目に浮かんだ。セルタを撤収するために待っている兵士達の気配も感じていた。

 ようやく行動に移った。ため息を一つつくと、ポケットを探り銀色の卵を取り出した。願い事をする娘のように両手でそっと包んで念じる格好をしたが、すぐに頭を左右に振って自嘲気味にポケットにしまい込んだ。

「迷いから抜け出すには、後ろ髪を引かれても出発しなければならないわ。そう決めたはずでしょう、スターシャ」

 自分をむち打つ言葉を口に出し、すっと立ち上がった。しかし最初の一歩が踏み出せない。また椅子に座った。

「ふ〜」

 今度はさっきよりずっと大きなため息をつくと、ポケットの中からもう一度卵を取り出し、手の平に載せてじっと見つめた。スターシャの迷い顔がそのまま卵に映った。

 その格好のままで考え込んでいた。そして・・・今度こそ決心がついたのか、卵の下部を左手で支え、右手で頭の部分を包むようにして回し始めた。上部が蓋で、下部が中身を入れる器らしい。

 スターシャはそのまま回し続け、回し切ったところで少し力を入れて、蓋を持ち上げてテーブルにそっと置いた。器になる下部は猫足飾り彫りされた四本脚の台座に載せられた。上面が卵型にくり抜かれていて、その穴にぴったりと収まった。

「ピピ、久しぶりね」

とスターシャはテーブルに頬杖をついてにこやかに話しかけた。ピピと話すのは結婚以来初めてだった。彼女への最初の声は、どんなつらい時でも精一杯明るくし、笑顔を見せていた。

「ええ。本当に。御機嫌いかがですか?」

「私?いいに決まっているわ。結婚したばかりの新妻よ。毎日が楽しく、悩みなどないわ」

 さっきまでの憂い顔を隠して明るく振舞う。

「それはよろしゅうございますこと」

 スターシャの話し相手は、卵の中から落ち着いた物腰で出て来た手の平に乗れるほどの娘だった。卵から出ると少し大きくなったが、テーブル上の水差しより低かった。耳にかかった黒髪を片手で払いながら薄緑色のドレスを来た娘は、静かな微笑みを浮かべてスターシャを見詰めていた。

「意地悪ね・・・久し振りにあなたと話がしたかったの」

 揺れ動く心を隠そうと、目を逸らしてしまった。

「嬉しい限りです。でも・・・何か悩まれているのでは?」

 ピピは心の迷いに気付いているようだ。

「そんなことはないわ。ほら私はこんなに元気」

 スターシャは体を華麗に回転させ、ピピに強がってみせた。夫への愛をそのまま打ち明けるのが恥ずかしかった。

「でも・・・お悩みが・・・違うと首をお振りになっても駄目ですよ。スターシャ様が悩まれる時は、お隠しになっても顔に出ます。今そのお顔をされています」

 胸の前で腕組みし、目に力を入れてピピが少し怖い顔をした。

「あなたには隠せないわ。悩みがあるの。あなたに話そうかどうか随分迷ったわ」

 もう一度見詰められて、スターシャは観念した。

「やはり・・・。結婚されてから今日まで卵を取り出されませんでした。私は寂しい思いをしましたが、幸せな日々を過ごされているからだとお喜び申し上げていました。どうされたのですか?」

「あの人を行かせたわ。傷つかないように手を尽したけれど、それでも顔を見るまでは心配だわ。ねえ、聞いて頂戴。実はね・・・」

 一度打ち明け出す止まらなくなった。シュットキエルと夫との関係、コレーション将軍の処刑、ザイラル達の反転、コボスに付けさせた仮面、親衛隊の急設、魔力を秘めた仮面軍・・・順を追って全てを話した。

「行き届いた気配りをなさいました。後は信じてお待ちになるしかありませんわ」

「あなたもそう思う?」

「そう思います。自信を持ってそう言えます」

・・・相談してよかったわ。また助けられた・・・

 今までもそうだったが、ピピに話せばどんなに荒んだ時でも心が安らぐのだ。ピピはスターシャにとって母であり、姉であり、妹であり、友達だった。自然な形で何でも相談できる心許せる相手だった。まだコボスには紹介していなかったが、シュットキエルから帰って来た時にそうしようと思った。

「聞いてもらってよかった。夫が戻ってきたら真っ先に紹介するわ」

「楽しみですわ。スターシャ様が久し振りに愛された方ですもの」

「まあ!久し振りだけは余計だわ。絶対に秘密よ」

「お約束できませんよ。私は気に入った殿方には隠し事ができません」

「意地悪!もう知らない。

 わざと仏頂面をしたものの顔を見合わせて二人は吹き出してしまった。スターシャは二人の対面場面を想像すると心が浮き立つ思いがした。



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