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五章 仮面 62 イロガンセの冷や汗

・・・十・・・

 

「お早うございます。今日もいい天気ですな」

 本陣に急いで帰った二人をイロガンセ将軍が出迎えた。将軍は部下に任せず、顔にかかる疾走直後の馬の激しい鼻息を少しも気にしない様子で、自ら轡を取った。

「朝駆けなさるとは思ってもいませんでした」

「そう気にせずともよいと申したであろう」

「そうはいきません。ヘドロバ様あっての私であります」

 へドロバが見込んだ通りの律儀さで、毎朝用があってもなくてもセルタに顔を出していた。自身の思いがけない昇進がヘドロバの一言で決まったものだから、盲目的な忠義者として、彼女の些細な言動にも最大限の注意を払っていた。

・・・間違いは許されない。将軍職を解任されたら、俺には戻る余地はない・・・・

 軍隊では部下の失敗は命令権者の失敗になる。そんな姿勢が高じて日々の指示命令も部下に任せず、自身で聞くように努めていた。当初は部下にその役回りをさせていたが、気難しいヘドロバを立腹させたらどうしようとか、間違えて聞いてきたらどうしようかなどと心配しながら待つことに耐えきれなくなった。その悩みから抜け出すために自身でヘドロバの元に通うようになっていた。

 その朝もいつものように訪れたが、コボスと早くに出かけたのか彼女はいなかった。しかし将軍はそのまま帰らず、辛抱強くヘドロバを待っていた。毎日顔を出す者が姿を見せなかったら、逆に目だってしまうと思ったのだ。

「今日も来たのか・・・入るがよい」

 いつもは言葉少なく用を言いつけ、手で払うようにして追い返すヘドロバが、馬を下りながら将軍に声をかけた。心が帰る方に向いていた将軍は、この誘いに驚きより戸惑いの表情を見せた。

「遠慮するな。たまには朝食でも一緒にどうじゃ?わしを待っていて食べていないのであろう」

 炊事兵がヘドロバから命令され、食事の準備を始めた。ヘドロバは時には自分で作るが、ほとんどは炊事兵に任せていた。

「朝からどちらに行かれたのですか?」

 取り止めのない質問をした。ヘドロバと一緒のテーブルではどうしても食が進まない。コボスがいるからまだほっとする面もあるが、早くすませて帰りたい気持ちの方が大きかった。まだ遠征軍全体を掌握していないイロガンセは、難しい問いをされるのではと身構えていた。

「将軍、我軍の食事は兵士達に評判はいいののか?」

 ヘドロバは将軍の問いに答えず、別の話を切り出した。

「食事ですか?兵士達から別段不満は聞いておりません」

「もう少し詳しく説明するのじゃ」

「わかりました。原則からお話ししましょう。敵地を行軍する時は兵士の緊張感を維持させるために、兵数よりも減じて軍食を用意させます。空腹気味の方が警戒心や戦う気持ちが強くなるからです。しかし今回の遠征では戦う必要もなく、部隊の兵数だけ伝えておけば、人数に合わせて調理する形になっております。それにヘドロバ様が十分に食糧を手配されていて、少々遠征予定が延びようとも不足する心配はありません」

 食事が話題にされると将軍の口も滑らかになった。自身が関わっているだけに詳しく話せるのだ。

「なるほど・・・理にかなっている」

「そうでしょう。兵士達を戦いに専念させ、士気を持続するためにはとても大切なことです。戦いもなく昇進の望みも少ないこの面白くない遠征での楽しみは食事だけです。量が少ないと不満が出ないように実際の兵数より千人分程多めに作らせています。兵士達が食べきれない分はバイトル達に回します。それと・・・炊事班にはベルサラマデタがいます。彼は王宮の元料理人でもあったのです。彼の作る料理は軍食の域を超えています。兵士達から不満をきいたことがありません。ザイラル殿は戦いでお役に立つお方。私は平時で役に立つ男ですかな」

 ザイラルを引き合いに出して話を終わらせた。兵士間では自分よりもザイラルが新将軍にふさわしいと思われているのを知っていて、ヘドロバに自分を選んだ選択は間違ってないとそれとなく伝えたつもりだった。つい調子に乗って面白くない遠征と失言し、ヘドロバの目が一瞬きつくなったのにも気づかなかった。

「確かに味がいい。だがな・・・イロガンセ、わしは先程炊事兵が朝食の残りを捨てているのを見た。それも手付かず分を入れてかなりの量であった。わしの見たところ四千人分を捨てていたが、それをどう思う?」

 ヘドロバは自慢気な将軍の鼻をへし折る問いをした。クレドポーからの四千人分の教えを、いかにも自分が判断した風に話した。指揮官としての見栄も必要なのだ。

「料理を捨てるなど考えられません。何かの思い違いではないでしょうか?」

 イロガンセはいきなりヘドロバに斬りつけられた気がした。残飯がでる理由が思いつかなかった。

・・・食事を楽しみにしている兵士達以外にも、下働きをするバイトル達がいる。バイトル達は遠征軍の給金もそうだが、栄養満点な軍食にもっと魅せられている。兵士以上に食欲旺盛な彼等の存在を考えると、多少不味くても残飯が出るのは有り得ない。その上美食家のベルサラマデタがいるから、万全なはずだが・・・

 言葉に窮した将軍が冷や汗を流すのを見て、ヘドロバは間違いのない答えを見つけた。クレドポーの言葉通り、兵士数が著しく減じているのだ。

「イロガンセ様、ここは急いで各部隊長を集められた方がいいのでは?多くの兵が軍食を食べてない何らかの理由がきっとわかりますよ」

 見かねたコボスが助け舟を出してやった。残飯の出た理由がわかっていた。それを確かめなければならない。

「早速皆を集めます」

 下腹に急な差し込みの痛みを感じた。気の弱いイロガンセの持病でもあった。言いしれぬ不安を払拭するにはコボスが言ったように全部隊長を集める必要があった。

「まったく仕方のない奴じゃ」

 腹を押さえながらよろけるような格好でセルタを出るイロガンセを見て、ヘドロバは苦々しい口調で吐き捨てた。

 すぐにセルタの外で、各隊長に集合を告げるラッパの音がけたたましく鳴り響いた。


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