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五章 仮面 59 ザイラルの独断

・・・七・・・


 遠征軍はドルスパニア王国を目指して広場を帰還の途に就いた。先発軍から殿軍まで十部隊に分かれて順番に進軍して行く。ヘドロバは先発軍の次、イロガンセ将軍の部隊の中にいた。ザイラル軍は六番目だ。各部隊とも騎馬隊を先頭に立て、歩兵が後に続いた。部隊毎に隊旗を掲げ、堂々と進軍する様は軍事大国の威容を示すのには十分だった。

 広場を出てから峠に向かう道は、鐘を載せた荷車が何とか通れる細さであった。各部隊が隊列も狭くしたものだから自然と長い列になってしまった。それに重い鐘を峠の上まで引き上げるのは大仕事だ。六頭の馬に曳かせていたが、峠の途中で止まってしまった。

「将軍、鐘が重すぎて動きません」

 イロガンセ将軍へ将校が大慌てで報告に来た。

「ヘドロバ様、いかがいたしましょうか?」

 将軍は自分で判断せず、ヘドロバの指示を求めにやって来た。いつものヘドロバであれば「ばか者、自分で考えろ」と一喝するところなのだが、コボスが側にいてスターシャと見ている前では怒鳴ることもできなかった。慎ましい妻の姿を見せなければならない。

「将軍、馬にこの薬を飲ませなさい。それと歩兵に荷車を押させるのです」

 そう言って将軍の馬に自馬を並べ、鞍に取り付けた鞄を開けて薬を取り出すと将軍に自らが手渡した。

「わかりました。すぐに飲ませて来ます」

 将軍はその薬を押し抱くようにして受け取ると、隊列の前に向かって姿を消した。その姿をヘドロバは見ていたが、自分を見て笑っているコボスに気がついた。

「ねえ、どうして笑っているの?」

「えっ?笑ってないよ」

「だめよ。目元は見えないけど口元は見えるわ。確かに笑っていた。どうしてなの?」

 ヘドロバはコボスの馬に自分の馬を寄せて問い質した。

「言うよ。将軍への丁寧な言葉遣いが可笑しかったからだ。以前のヘドロバ様なら『ばか者、自分で考えろ。わからなければ自分で荷車を押せ』と怒鳴るだろうし、薬を使うにしても地面に放り投げていたよ」

「だって・・・あなたの前では恥ずかしいもの。スターシャでいる時に乱暴な言葉遣いや下品な振る舞いはしたくないわ」

 小さな声で気持ちを告げ、俯くスターシャにコボスの胸は熱くなった。

「スターシャ。からかって悪かった」

 立場を忘れて、思わず手を回して抱きしめようとした。

「だめよ、あなた。兵士には老婆のヘドロバにしか見えないのよ。あなたが抱きしめたら大騒ぎになるわ」

 スターシャの方が冷静だった。前後を開けるように兵士達には命令していたが、馬上の姿は丸見えだった。抱きしめるなどされたら、とんでもないうわさ話になってしまう。

「危なかった・・・可愛い子猫ちゃん。夜まで待つよ」

「まあ」

 スターシャの顔が赤く染まった。もちろん兵士達にはわからないことであった。

 薬を飲ませた効果が現れたようで、隊列が動き出した。ほどなく将軍が満面の笑みを浮かべて戻って来た。

「さすがにヘドロバ様ですな。薬を飲ませるとたちまち馬も元気を取り戻しました」

「そうか、それはよかった」

「そうですね。ヘドロバ様、そのお薬を私も飲みたいくらいです」

 隣のコボスが口を出した。

「ばか者!余計な口を出すな!」

 ヘドロバが大きな声で叱責した。声の届く範囲にいた兵達の体が瞬間ぴくっと震えた。

「申し訳ありません。ヘドロバ様」

 コボスが頭を下げた。ヘドロバはコボスの口元がさっきより緩んでいるのが見えた。

・・・もうこの人ったら・・・覚えてらっしゃい・・・

 何とも言えない幸せな気持ちに浸っていた。これがずっと望んでいた遠征軍での暮らしだったのである。ようやくそれを手にすることができた。これからサービアに帰るまで毎日続くと思うと、歌い出したい位の気持ちよさだった。

 

 峠の坂道を上る遠征軍は荷車の進みと細い道のせいで長蛇の列になった。前衛軍が遠くにかすむ位置に進んでも、後衛軍はまだ広場で出発する順番を待っていた。

「ザイラル様、そろそろ私達の順番です。前進の号令をおかけ下さい」

 ようやくザイラル軍の番になった。レヨイドがいつものようにザイラルに出発を促した。しかし今日に限って何回もの催促を無視し、目を閉じたまま考え込んで動こうとはしなかった。

先に出発した部隊は見えなくなった。それでもザイラルは動かなかった。次の部隊はひたすらザイラル軍の出発を待つしかなかった。ヘドロバの命令なしで部隊の順番を変えることは許されない。

「貴軍が出発しない限り我軍も動けません。早く出発して下さい」

次の部隊から催促の伝令が何度もやって来た。それでも無視していたら、とうとう副官のコデナールが殺気だった顔をして乗り込んで来た。

「貴様が側にいて何をやっている?これ以上わが軍は待てないぞ。見ろ、先の部隊の影さえ見えない。ザイラル様はどこにいる?会わせろ」

「わかっている。準備に手間取っているのだ。もう少し待ってくれ」

 レヨイドは顔見知りのコデナールをなだめすかして時を稼いだ。そうしながらザイラルに強く進軍の命令を下すように迫った。

「ザイラル様、副官までもが催促に来ました。かなり苛立っています」

「そうだろうな。わしの回答を持たずに部隊にも帰れまい。ここに呼んで来い。わしが会おう」

 レヨイドに案内されてコデラールがやって来た。目が血走っていて、返答次第では剣を抜きそうなほど興奮しているのがわかった。

「ザイラル様!」

「わかっておる。みなまで言うな」

 ザイラルは不敵な笑みを浮かべてコデラールを迎えた。

「御返事を!このままでは部隊長に報告できません」

気が気ではない様子で対処を迫った。ここで剣を抜いて斬られるか、自軍に戻って不始末者として部隊長に斬られるか、どちらにしても命は風前の灯と化していた。

「そう高ぶるな。わしは思うことがあって軍をこの広場に止める」

「えっ」

 レヨイドと副官が驚きの表情を見せた。

「それではわが軍はどうなるのですか?貴軍より先に行くわけにはいかないのですよ。お判りなのですか?」

「承知している。そうじゃ、レヨイド。お前は副官に同行して部隊長に会って、先行するように申し入れてくれ。わしの部隊は『特別命令を受けて最後に出発する』とでも言っておけ」

「いいのですか?軍規違反になりますが」

「構わん。わしが責任をとる」

「わかりました。早速手配致します」

 レヨイドはその命令を部下に伝え、次の部隊のために自軍を下がらせた。そしてコデラールに同行して部隊長に会い、ザイラルの先行要請を伝えた。コデラールの部隊だけでなく、後ろに続く四部隊長に先行を頼んだ。

「わしらが先行していいのだな。お前が証人だぞ」

 後方の部隊長達は出発の遅れをなじったが、先行する要請を何の疑問も持たず了解した。遠征軍の中でも図抜けた力を持つザイラルの信用度は高かった。特に何かと緊張を強いられる殿軍を命じられていた部隊長は、渋々引き受けたような顔をして見せたが、「ザイラル殿によろしく伝えてくれ」とレヨイドに金貨の入った袋を渡した。

動かないザイラル軍を横目に次々に後続部隊が出発した。遅れを取り戻そうとして、各部隊は大慌てで峠を上っていく。部隊間もできる限り詰めていた。

「ザイラル様、これからどうされるのですか?」

 本来の殿軍の最後尾が細い道に消えた後、少し青ざめた顔のレヨイドが現れた。部下から突き上げられ、四苦八苦しながらも騒ぎになるのをどうにか押さえ、これからの策略を聞くためにやって来たのだ。

「どうした?顔が青いぞ」

「そろそろ我々も進みましょう。『取り残された』と兵士達が騒ぎ始めました」

 ザイラル軍だけが残されてしまい、何も聞かされていない兵士達が不安にかられ、副官のレヨイドに詰め寄る一幕もあった。

「よし、では命令する。軍列を解き、宿営の準備をさせろ。他の部隊がいないから、我が軍全部がこの広場を使える。敵襲は考えなくてもよい」

「ここで宿営ですか?最後の出発と他の部隊長には言いましたが」

「奴等はわしの部隊など気にはせん。ヘドロバも全部隊長を集めて点呼などとらぬ。当分は気付かぬ」

「ここで何をなさるのですか?」

「しれたことよ。村の奴等を一人残らず討ち果たす」

「え!」

 レヨイドは耳を疑った。

・・・勝手に殿軍になったこと自体大変な軍律違反なのに、その上戦うとは!後でどんな言い訳も通らない事態になる。ザイラル様は誰もが思いもしないとんでもない決断をしたものだ・・・

「ヘドロバ様は勝手な行いを嫌う方ですよ」

 今なら間に合うと思い、無駄だと知りながら説得にかかった。ザイラルだけではなく自身の運命を賭けた正念場だった。急げば先の部隊にも追いつけ、その言い繕いはザイラルであれば何とかできると思った。

 一方のザイラルも腹心の部下を説得し始めた。レヨイドの手助け無しでは無理な作戦なのである。

「ヘドロバなど気にするな。国に帰ったらあの婆さんはお役御免だ。陛下の御命令で鐘を持ち帰るために、今回の遠征軍の指揮者になったに過ぎない。陛下の紋章まで手に入れているとは思わなかったが、軍隊にあのようないかがわしい婆さんは不要だ。考えてみろ。王国軍の幹部将校になるまでにわし達は長い間の試練に耐えてきたのだ。それが魔力かまやかしか知らないが、老婆に牛耳られている。悔しいと思わないか?それに鐘に細工を施した者どもを処罰もしないで見逃すことは、陛下の御意志にそぐわない。お前には打ち明けるが、あの婆さんに殺されたコレーションはわしの親友だった。敵討ちも兼ねている。わしに恥をかかせた警護役のコボスは敵国の脱走兵だ。奴の村を焼き払ってやる」

 ザイラルはヘドロバより国王に対して忠誠心を示し、併せて手柄も立てようと考えた。彼が標的に選んだのは細工をしたと誰もが思う村人であり、彼等に対する制裁は付近に敵の正規部隊が見当たらない以上、赤子の手をひねるよりも簡単なものになる。

「国に帰って戦の様子を大きく吹聴すれば、わし達の名も一躍上がるだろう。勝者は戦の内容などいくらでも作り変えられる。村人を敵兵に置き換えるのは簡単だ」

 レヨイドはザイラルの話を聞いて、やれそうな気になっていた。

・・・俺はザイラル様に賭けている。今がその時だ・・・

「レヨイド、お前もいつまでも今の地位に甘んじたくないだろう。容易い戦いで確実に戦果をあげられる機会などめったやたらにないぞ。幸いなことに本国から遠く離れており、ちょっとした小細工で大きな成果を得られるのだ。わしに賭ける気はないか?」

 ザイラルは顔が紅潮し始めたレヨイドを見て、答えを聞けた思いがした。

「わかりました。私も腹を決めました。兵士達をどう納得させますか?」

「わしが話す。ヘドロバの命令と聞いたら文句も言うまい。婆さんの恐ろしさを利用するのだ」

「いいお考えです。それなら部下達も納得します」

「そうじゃ。悪く考えなくても大丈夫だ。てっとり早く済ませて本隊を追いかければ、ヘドロバも何も言うまい。本人の願いをかなえてやるのだからな。何なら少し手柄を分けてやってもいい。大喜びするぞ」

「おばば様に祝福されますよ・・・ザイラル様にお受けできますか」

「それはお前に任せる」

「いえ、その名誉は是非ザイラル様に・・・」

「まあ、目をつぶれば何とかなるかな」

 二人は大笑いした。ヘドロバを嫌悪している者にとって、抑圧され続けた呪縛から解き放たれる企みは気持ちのいいものだった。

 ザイラルは部隊を整列させ、兵士達に命令を伝えた。

「ヘドロバ様の命令でシュットキエルを殲滅させる。鐘によからぬ細工をした罪だ。鐘に細工などしなければコレーション将軍も命を失うことはなかった。言うなればコレーション将軍の弔い合戦だ。手柄報告はわしが行う。いいか、村人相手でも正規軍として扱うから、働きによっては思わぬ昇進もできよう」

「お〜」

 軍団が雄叫びを上げた。兵士達は敵の正規軍がいないことを知っていた。村人相手でも正規軍相手扱いとするザイラルの話しは魅力ある内容だった。やっと手柄を立てられる時を得たのだ。それもこんな楽な戦いで。


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