表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/230

五章 仮面 57 スターシャの願い

・・・五・・・


 コボスをテーブルにつかせた後、ヘドロバは鞄から包みを取り出すと開き始めた。何重にも包まれていて、コボスに『誓いの書』を思い起こさせた。

「何が飛び出すのかな?僕の可愛い子猫ちゃん」

「さあ・・・何でしょう・・・お楽しみよ」

 ヘドロバは嬉しそうに包みを開いていく。皺だらけの手が、その娘じみた言葉と似つかわしくないが、コボスは気にならなかった。スターシャであれば後ろから抱きしめ、頬を合わせて邪魔をしていた。

「どう?素敵でしょう」

 最後の薄紙を開き、ヘドロバが手にしたのは一面の白い仮面だった。仮面を愛しむように撫でた後、コボスに渡した。

「仮面か?意外に軽いものだなあ」

 仮面を手にとった。緑色の石が目に埋め込まれ、鼻の部分が盛り上がっている。下は鼻から両頬骨の線で切られていた。

・・・不思議な仮面だ。これを付けると額、目、鼻、こめかみは覆われるが、口元は素肌が見えて自由に動かせそうだ・・・

 裏にしてみた。裏も白く塗られていた。

「付けてみて」

 仮面に見入っていたコボスはそう促されてヘドロバの顔を見た。拒めそうもない雰囲気を感じた。

・・・どうやって付ければいいのだろう?・・・

 面をひっくり返したが面に結び紐はなく、付け方がどうにも思い付かなかった。

・・・え〜い、ままよ。ヘドロバの持物だから何とかなるだろう・・・

 片手に持つと、そのまま顔に押し付けた。ひんやりとした裏側を感じた途端、いきなり仮面が生き物のように貼り付いた。何とも言えない嫌な感触に驚いて外そうとしたが、ぴったりと貼り付いていて取れなかった。

・・・この気味悪さはたまらん・・・

 力を入れると、生皮を剥がされるような痛みが走る。それでも気持ち悪さから逃れたくて、苦痛を堪えながら強引に仮面を外した。顔がひりひりと焼けるように熱く痛かった。

「この仮面は顔に貼り付いて離れようとしなかった。生き物のようだったぞ。」

「そうよ。生き仮面ですもの」

「そうよって!!冗談じゃない。こんな気味の悪いものは早くしまってくれ」

 仮面を突き返そうとしたが、ヘドロバの悲しそうな目に気付くと手を引いた。

「ひょっとしたら、この仮面を俺が付けるのが君の望みなのか?」

「ええ。でもあなたに無理強いはできないわ。そんなに気持ち悪がるとは思っていなかった。ごめんなさい」

 仮面を受け取って包み始めたヘドロバ。手元を見ていたコボスは、皺だらけの手の甲に涙が落ちるのを見た。

「待ってくれ。もう少し考えさせてくれ」

 ヘドロバの手に自分の手を重ね、包みかけていた仮面を開いてもう一度手にした。

・・・願いをかなえる約束をしたばかりなのに、慌てふためいて恥ずかしい。考えてみればスターシャが俺に嫌がることを強要するはずがない。たかが仮面じゃないか。恐れることはない・・・

「悪かった。気が動転してしまった。この仮面について話してくれ」

「いいのよ。誰も仮面が生きているなんて思わないわ。蛙を何十匹も一度に貼り付けられた感じでしょ。初めに言ってあげてもよかったけど、悪戯好きはヘドロバになっても変わらないの・・・」

 片目をつぶって見せた。

「ヘドロバちゃんに一本取られたな」

 そう言って小柄なヘドロバを抱きしめた。

「その仮面を付ければヘドロバの姿がスターシャの姿で見えるのよ。他の人には老いた姿でも、あなたにはそうは見えないわ。私はいつでもスターシャになれるのよ」

「素晴らしい。最初の気持ち悪さだけを我慢すれば、後は俺達には都合のいい仮面じゃあないか。悩まずにもっと早く話してくれればよかった。君らしくないな」

「そうでもないのよ。とんでもない災いが降りかかる場合もあるわ」

「どんな災いなのだ?」

 コボスはまだ熱く感じる顔を両手で撫でながら尋ねた。あの薄気味悪い感触がまだ消えず、執拗に蘇ってくる。でもこの程度は災いではないらしい。

「この仮面を付けた時に悲しみとか憎しみ、怒り、怖れなどで自分を見失った時は、仮面がつけている者と同化するの。そうなれば仮面を外せなくなり、表情も感情も仮面の下に閉じ込められてしまうの。あなたは私だけの命令を聞く忠実な男になってしまうわ」

「今でも、君の忠実な僕だよ。お姫様!」

 コボスは軽口を叩いた。ヘドロバは左右に頭を振りながら、

「感情のある僕よ。感情を失うと、私の命令でしか動かないのよ。『そこに立っていなさい』と命令されると、何日でも立ち続けるの。話すこともできず考えることもできないわ」

「そうなのか・・・・」

「仮面を付けた時は、絶対に感情を乱さないでね。これだけは何があっても忘れないで。自分をなくして、戻れなくなってしまうわ。だからあなたに仮面を見せなかったの」

「肝に銘ずるよ」

「あなたにとっていい話も聞かせるわ。仮面の魔力で無敵の男になれるのよ。シュットキエルに安心して送り出せるのはこれがあるからなの」

「無敵とは?」

「剣はもとより、弓を持てば遠くの的も正確に射抜け、馬に乗れば馬にも命令ができる。全ての力が桁違いに強くなるのよ。ザイラルなどもう足元にも及ばないわ」

 ヘドロバは仮面の力を説き明かした。今までにこの仮面を付けさせた男はいなかった。長い間眠りにつかせていた仮面をようやく役立てる時が来たのだ。

「永遠の愛に青鞘の剣。そして今度は仮面か・・・。魔王も裸足で逃げ出すほどの男になってしまった。しかしそれよりも、いつもスターシャが見えるのがいい」

 コボスはヘドロバの話を聞いた後で、思わず本音を漏らしてしまった。

「ほら、やっぱりヘドロバの私が嫌いだったのね」

 ヘドロバがすねて背を向ける。コボスは仮面を付けずに老婆のヘドロバを後ろから強く抱きしめ、振り向かせるとがさついた唇に若い自分の唇を重ねた。

 ヘドロバは恥かしがって身体を離そうとしたが、コボスはそうさせないで長く熱い口づけをした。ヘドロバもいつしか激しく応じていた。

「さあ・・・兵士達も待っているし、出かけましょう」

 満ち足りた表情でヘドロバが身体を離した。

「わかった」

 コボスは仮面を付けた。仮面は待ち侘びていたかのように吸い付き、その感触に身震いしてしまった。この先も好きになれそうにない気がした。外したい気持ちを我慢して、落ち着いたところでヘドロバを見ると、背筋を伸ばしたスターシャが黒服で佇んでいるのが見えた。コボスを見つめる目が、引き込まれるように美しい。

「本当だ。スターシャがいる。これなら昼間も楽しい時間が送れそうだ。ただ君が話したように、仮面が外れなくなるのは困るよ」

「自分がなくなるから?」

「そうじゃない。この身だしなみを最も気にする俺が、顔が洗えないのは苦痛だよ」

「まあ・・・なんて人なの・・・あなたって人は・・・」

 コボスが身だしなみを少しも気にしない男だと知っていた。最初に屋敷を訪れた時の姿はとんでもない格好だった。この場に及んでも自分に気を遣ってくれているのがその言葉に出ていて、泣きたくなるほど嬉しかった。

 ヘドロバはコボスの軽い冗談を重ねて聞き、最後まで心に渦巻いていた心配事がようやく瓦解するのを感じた。こんなに深く愛されていると知って、感謝の気持ちを押さえきれなくなり、自分の方から胸に倒れこんだ。感動の涙を流さずにはいられなかったのだ。 

 コボスもスターシャを強く抱きしめた。可憐な妻の甘い匂いに包まれてしまい、そのまま外に出られなくなった。

「スターシャ、まだ時間があるのだろう・・・」

 コボスは妻の黒服を優しく脱がし始めた。ヘドロバのままの彼女をここで愛して、彼女の心に残っているこだわりを完全に取り去ろうと思ったのだ。

 ヘドロバは仮面姿のコボスに服を脱がされながら、恥かしさに身体を固くしていたが、悩みだった年齢への後ろめたさを夫の手で一枚、一枚取り除かれていると思うと、この上ないほどに喜びを感じた。それでも目を開ければ自身でも老いた身体が見えるのでしっかり目を閉じていたが、コボスには長い睫をそっと閉じて愛されるのを待つスターシャの美しい裸体に見えるのであった。

 こうしてヘドロバを待っている部隊は、思いもよらない理由でまたそれから少し待たされることになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ