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五章 仮面 56 センテライル

・・・四・・・


 兵士達を追い返したコボスは裏口から家に入った。ヘドロバは既に着替えを済ませ、椅子に座っていた。コボスの顔を見ると立ち上がった。

「どうだ、支度は済んだのか?」

 ヘドロバに戻ったスターシャに声をかけた。

「ええ。あなた・・・でも・・・そんなに見ないで」

 手で隠すようにして顔を背けた。今のスターシャは輝くばかりの美しさを見せた昨夜の姿と違って、ヘドロバを象徴する黒服をまとい、老いばかりが目立つ気味の悪い老婆に戻っていた。瑞々しい肌のつやは失われ、大小の染みの浮いた顔。自慢の金髪はちぢれた白髪に変わっていた。

「朝は大嫌い。あなたにこんな姿を見られるのは辛いわ」

 力なく肩を落とすスターシャ。ヘドロバとスターシャの使い分けに自信が持てなくなっていた。屋敷内であればずっとスターシャのままでいられるが、遠征先では若返りの魔力が使える夜を待つしかなかった。それでもシュットキエルに来るまでは何とか持ち堪えていたが、白昼コボスに醜い老婆姿を曝しながらドルスパニア王国まで帰らなければならないと思うと、気が変になりそうだった。他人に裸を見られるより何倍も恥ずかしい思いをスターシャに抱かせた。

「そんなに気にするな。本当の君を知っているのは俺だけだ。それで十分じゃないか」

 そう慰めてもヘドロバは俯いたままだった。老婆に戻っているスターシャの白髪が余計に目について、コボスから見ても痛々しい。何とか気持ちを変えてやろうと言葉を続けた。

「気持ちが楽になるなら、昼間は離れて行軍しようか?」

「それは嫌。夜だけ会って、あなたに抱かれるだけなんて娼婦みたいだわ。昼間も話したいのよ」

「俺も同じ思いだ・・・そうだ!君のことだ。何か方法があるのだろう。君の言う通りにするよ」

 スターシャの途方もない魔力を考えると、解決策は必ずあると感じていた。妻が望めば何でもかなうのだから。ただすぐに言い出さないのは、言い辛い理由があるからに違いなかった。どうしようか迷っている気がした。

 俯いたヘドロバの顔を両手で包んでそっとあげ、目を見つめて真剣な顔で言った。

「俺達はもう夫婦だ。君の望みは俺の望みだ。前にも約束したはずだ。遠慮するな」

「ありがとう」

 涙が出そうなほど嬉しかった。

・・・私が愛されるのはスターシャでいられる時だけだわ。ヘドロバは愛の対象にはならないはず・・・

 いつも自分にこう言い聞かせていた。ヘドロバが気弱になる理由があった。それは遠征途中の道端で珍しい花を見つけ、コボスに教えた時のことだった。馬上から何気なく下を見た時、その小さな花があるのに気がついた。一番好きな花を思わぬ所で見つけて心が躍った。

・・・まあ、こんな場所で出くわすなんて。コボスに教えよう・・・

「コボス、ちょっと馬を降りて。見せたいものがあるの」

「ん?」

 ヘドロバは先に馬から降りるとそのまま道にしゃがみ込んだ。不審顔で馬を降りたコボスを見上げた。

「この花を見て。センテライルよ。こんな所で見つけるなんて運がいいわ」

「花?」

 ヘドロバの横にしゃがんで指先を追った。目を皿のようにしたが、花らしいものはどこにもない。

「何も見えないよ」

「よく見て。ほら、これがそうよ」

 ヘドロバが指先で萎れていた花を持ち上げて見せた。

「これか・・・」

 コボスの目にもようやく雑草の中に埋もれた白っぽい花が映った。力なく首を垂れた茎と純白色からかけ離れた薄汚れた白色の五弁花だった。

「この萎れた花が好きなのか?」

 コボスは首をひねった。ヘドロバがわざわざ馬から降りる位だから余程美しいのだろうが、萎れた花を見ても彼女のような感動が湧き上がらなかった。

「これはね、昼間は萎れているけど、夜になると立ち上がり美しい花を咲かせるの。それに満月の夜にしか咲かないのよ。神秘的でしょう」

 見たくてもよほどの幸運がないと見つけられない花に出会って、まだ興奮醒めやらないヘドロバは夫に夢中で説明した。夫にも自分の好きな花を好きになってもらいたかったのだ。

「・・・夜咲く花か・・・でも俺は昼間咲く花の方がいい。花びらを濡らす朝露のきらめきと優雅な蝶の舞い。見渡す限り赤や黄色、そうだ紫、白、水色もある。そんな色に染められた野原を歩く。花敷物の上を歩いているようで、その気持ちよさは言葉では言い尽くせないほどだ。月の淡い光の中で咲く花にも趣はあるが、俺好みじゃないよ。そうは思わないか?」

 娘は花に繊細な想いを抱くと知っていれば、もう少しましな言い方をしていただろう。そこまで花に執着した記憶がないコボスは、多くの男同様に妻に対して気配りができなかった。

「そうね・・・夜見て欲しかったけど・・・・残念だわ・・・」

 夫に「センテライルが一番好きな花」とは言い出せなくなったヘドロバは、寂しそうな笑顔を浮かべて立ち上がった。花を見ていたコボスはその表情を見過ごしてしまった。

・・・私を花に例えるなら、ヘドロバが萎れた花でスターシャは可憐な花だわ。口には出さないけれど、私以上に昼間のスターシャを望んでいるに決まっている。老婆の私とは無理して話しているんだわ・・・

 センテライルの一件が心に重くのしかかり、その後ずっと塞ぎこんでしまった。シュットキエルに先行したコボスはヘドロバの抱える悩みを見抜けなかった。


「ヘドロバ、どうだ?」

 再度の問いかけに現実に引き戻された。決心する時は今しかない。

「わかったわ。私の願いを打ち明けるわ」

 夫の言葉に勇気づけられ、やっと頼む気になった。本当は遠征に出る前にそうしたかったが、あまりにも身勝手な頼みに思われそうで、思い切ることができなかった。話を切り出してくれた夫に感謝した。


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