五章 仮面 55 アリバイ
・・・三・・・
「ヘドロバ様〜、ヘドロバ様〜」
「どこにいらっしゃいますか〜」
ヘドロバの名を大声で叫ぶ一群の兵士達から一日が始まった。兵士達はイロガンセ将軍に命じられて迎えに来た警護兵だ。地図で示された場所まで来たが、どの家も形が似ていて見分けがつかなかった。コボスがヘドロバにできるだけ目立たない家を教えていたから、なおさら難しかった。一軒一軒調べるよりも叫んでヘドロバ自身が現れるのを待つ方が早いと判断した。
「まだ起きられていないのかな?」
「そんなことはあるまい。年よりは朝が早いはずだ」
勝手なことを話しながら、時折大声で叫びつつ通りを歩いた。陽はようやく昇ったばかりで、日陰に入るとまだ肌寒い感じがした。人気のない通りを歩くのはあまり気持ちがいいのではなかった。
「どうした?お前達」
後ろから声を掛けられて、ぎょっとして振り向いた。兵士の中で臆病な者はもう逃げ腰になっていた。
「誰だ?」
逆光でよく顔が見えないが相手が一人だとわかると、ようやく確かめる余裕が生まれた。それでも剣に手を掛け、いつでも抜ける格好をとった。
「俺だ。コボスだ」
警護役の顔は誰もが知っている。味方とわかるとコボスを取り囲んだ。
「それはすまなかった。何をしているのだ?」
「将軍の命令でヘドロバ様をお迎えに来たのですが、家がわからないのです」
上役の出現は兵士達を一安心させた。コボスに判断を任せば自分達で考えなくてもいいのだから。
「ヘドロバ様の家に行くのか。丁度よかった。俺も行くところだ」
「えっ、コボス様も」
兵士達の顔がほころんだ。願ってもない解決策が見つかった。
「そうだ。ヘドロバ様の命令で遠征軍から一時離れていた。その報告に来たのだ」
「そういえば暫くお姿を見かけしませんでした。で、どちらへ行かれていたのですか?」
「どちらへ?ばか者!お前達は俺の上官か!」
一喝されて兵士達は震え上がった。
「余計な詮索はするな。さあ行くぞ」
先頭に立って歩き始めた。実は兵士達の声をずっと前に聞きつけていた。ヘドロバの家にいることを知られたくなかったから、家の裏口から出て兵士達を捜し、後から来たようにして声をかけたのだ。
「この家だ」
兵士達とあった場所から数十歩歩いた先で立ち止まると、一軒の家を指差した。
「ここですか?私達も近くまで来ていたのですね」
コボスは顎で兵士に命令した。
「ヘドロバ様、お迎えに参りました」
大声で声をかけた。その声は大きくポレルやサイノス、バーブルにも届いた。
「ヘドロバ様〜」
数回呼びかけてみた。ヘドロバが出てくる気配はしない。
「コボス様、この家にまちがいありませんか?」
「間違いない」
兵士は初めて扉を小さく叩いた。それでも扉は開けられない。
「お年のせいなのだろうか?」
「もう少し強く叩いてみよう」
今度は遠慮なしで扉を打ち破るような強さでドンドンと叩いた。家の中では大きな音として響いているに違いない。手が痛くなるまで叩き、扉に耳を当ててみたが家の中からは物音一つ聞こえなかった。
「こんなに叩いているのに聞こえないはずがない」
「おかしい」
「どうする・・・まさか・・・御病気で倒れられているとか・・・」
兵士達の目が判断を求めるようにしてコボスに集まった。コボスはヘドロバがいるのを知っているから悠然と構えていた。
「イロガンセ将軍にお知らせしましょうか?」
兵士達は黙っているコボスを見て、将軍の名を持ち出した。コボスが判断に迷っていると思ってのことだった。
「慌てるな。俺が裏口に回ってみよう。すぐに出られないのはヘドロバ様にも何かと支度がおありだからだろう。俺がお連れする。お前達はもう先に帰っていいぞ」
ヘドロバと全く無関係と思わせる芝居を終わらせるいい頃合いだった。
「いいのですか?お任せして?」
「俺は警護役だ。問題ない」
「それなら助かります。なあ、みんな」
「そうですとも。そうか・・・ヘドロバ様のお支度か?」
「女の身支度は時間がかかる。まさか化粧でもされているのでは?」
「それはあるまい。あのお年で・・・」
「はっはっは」
引き返す目処がついて軽口と笑いが飛び出した。外での話しだから聞こえないと思って勝手なことを言った。ヘドロバに聞かれたら只では済まないやり取りを聞いて、コボスは笑いを噛み殺していた。
「お前達、コレーション将軍の件で懲りてないのか?俺が告げ口したらどうする?」
「えっ、まさか・・・」
「俺は警護役だ。俺の言葉を疑われることはない」
にやりと笑った。それを見て兵士達は一喝された時以上に青くなった。ヘドロバの一番近くにいる警護役の言葉はそれほどに重いものであった。
「も、申し訳ありません」
「気をつけろ。自分の命は大切にしろ。もう行け。俺はいつ気変りするかわからないぞ」
「はっ」
兵士達は命令されたわけでもないが、一斉に走り出した。呼び止められても聞こえない振りをするには、必死で走るしかなかった。走る者同士の剣がぶつかってがしゃがしゃと賑やかな音を立てた。一息つける所まで走って立ち止まった時には、全身が汗だくになっていた。
「やあ、ぞっとした。つい軽口を叩いたが、危ないところだった」
「ああ。コボス様の役目をすっかり忘れていた」
まだ胸の動悸が収まらなかった。
「正体不明のコボス様をヘドロバ様はいきなり警護役にされた。ザイラル様との立ち合では何とか勝たれたが、あれはザイラル様が役目を譲るためにわざと負けられたと噂になっている。ザイラル様はヘドロバ様がコボス様を特別視されているのを御承知なのだ。あのザイラル様がそれほどまでに気を遣われているのだ」
「イロガンセ様にどう報告する?」
「コボス様がお迎えに行かれたと報告すればいい。コボス様に叱られたことは黙っていよう」
兵士達がイロガンセ将軍に報告するのを躊躇ったのは、叱責を受けた理由を話さねばならなくなるからであった。コボスは別として、今回の遠征で思わぬ出世を遂げてヘドロバに恩義を感じているのは、イロガンセ将軍が一番だった。あの実直な将軍にヘドロバを悪く言った話しを暴露すればどうなるかは容易に想像できた。




