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五章 仮面 54 大人への階段

・・・二・・・


「どうしたのかしら?ねえ、バーブル」

「・・・」

「聞いているの?」

 サイノスが消えてからかなり時間がたった。残されてからちょっとした音も聞漏らさないように耳を澄ましていた。しかし聞こえるのは風の音と木枝が触れ合うざわめき、虫の声ばかりだった。時折取り残された犬の遠吠えが、帰りを待つ自分達のようで余計に心を重くさせた。ポレルは気が気ではなかった。

「ああ。信じて待つしかないだろ」

 バーブルは落ち着いていた。サイノスが向かった先からは何も叫び声は上がらず、敵に見つかったとも思えなかった。

「今度は俺が見てこよう。君はここで待っていろ」

 ポレルの不安を取り除いてやりたくて、バーブルはサイノスを追う決心をした。捜しに行くために走り出そうと背をかがめた。

「待って、私も行くわ。一人でこんな所で待てないわ」

 ポレルがバーブルの手を握り同じ姿勢をとる。視線を前方に向け、バーブルが走り出したら一緒に走ろうと身構える。

「わかった。僕の側を離れないで」

 ここで待たせば安全だと知っていたが、ポレルの気持ちを無視できなかった。

「行くぞ!」

 サイノスが消えた家の裏手に向かった。夜の静寂さを破る小さな足音が響いた。

「あっ、サイノスがいる」

 家の裏側に回るとすぐサイノスの姿が見えた。明かりが漏れている部屋の前で、両膝を地面に付け、窓枠に両手を載せて顔を半分ほど出して覘いている。二人の足音が聞こえたはずなのに振り向きもしなかった。

「奴だ。僕達の足音にも気付いていない。背後に敵がいても、あれじゃあわからないな」

「何を見ているのかしら?でもよかった・・・」

 二人はサイノスの横に体を滑り込ませた。

「サイノス、何やっているの?」

「えっ!」

「お前が遅いので捜しに来た」

「そ、そうか・・・」

 二人の出現に驚き、その後でようやく帰りが遅い自分を捜しに来たのに気がついた。やっと正気に戻れたのだ。

「おい、中を覗くな」

 サイノスは慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。二人はサイノスと同じ格好で中を覗いていた。自然の流れだった。

「うわっ」

「まあ・・・」

 二人の目が大きく開かれた。部屋の中ではまだサイノスが見ていた光景が続いていた。

 ポレルは小さな声を立てると、右手で口を押さえた。バーブルもあっけに取られた。目をそむけようにも、身体が固まって動かなかった。

 ベッドの上で若い二人が絡み合っている。娘は目を閉じて男の背中をしっかりと抱き、美しい顔を歪めて言葉にならない声を発していた。男は若い娘を組み敷いて、夢中になってその身体を動かしている。男が動くたびにベッドがきしみ、娘の声が大きくなっていく。 

 バーブルの手を握ったままだったポレルの手に力が加わった。

 バーブルがようやく自分を取り戻した。

「おい、引き返すぞ、サイノス。二人が気付いてしまう」

 逃げるように窓際から離れ、足音も気にせずに駆け出した。ポレルはバーブルの手を離そうとしなかった。

 三人はそのまま駆け続け家に戻ったが、わずかな距離にもかかわらず息が上がっていた。それは走ったせいでなく、動揺した気持ちが静まっていなかったからであった。

 妙な沈黙が三人を包む。今見てきたばかりの生々しい光景が蘇える。言葉を出そうにも切り出す言葉が見つからなかった。

「驚いたな」

 最初に息が整ったサイノスが口を開いた。

「ああ・・・」

「コボスさんと若い娘だった」

「思ってもみない展開だ」

「あの老婆は何処へ行ったのだろう?」

「家は間違えていない」

「不思議だ。下働きの娘かな・・・」

「で、どうする?」

「どうすると言われても・・・な・・・」

 二人は俯いているポレルに視線を向けた。彼女の存在が、その場の空気をよりまずいものにしていた。ポレルがずっと無言でいるのは、純情な心に拭いきれないほどの衝撃を受けたせいだと考えた。しかしそれをわざわざ慰めるのもおかしい。

 ポレルに秘密にしていたが、以前におぼろげながら男女の営みについて仲間から聞かされていた。早熟な者はどこでも一人くらいは必ずいた。しかし・・・男同士ならまだしも、ポレルと一緒に覗き見するとは思ってもいなかった。

「私は気にしてないわよ。きっと恋人同士だわ。愛し合って当然でしょ」

 突然ポレルが沈黙を破った。コボスと娘の姿に衝撃を受けていたが、ここで何かを言わなければ三人の関係がおかしくなると感じた。あからさまにはできないが、二人以上に男女の秘め事を知っていた。既に結婚している女友達から詳しく聞いていたのだ。同年代であれば、興味本位の若者達よりも娘の方が大人に近い。

「驚かないのか?」

「ええ。そう・・・もう私は子供じゃあないもの」

「無理するなよ」

「無理なんかしてないわ」

 ポレルは恥ずかしがる様子も見せず、二人の顔を正面から見て言った。

「やっぱり女の方が大人になるのが早いわけだ。なあ、バーブル」

 日頃はポレルを子供扱いするサイノスが、そのことを忘れたような口振りで言った。

「ねえ、もうこの話しは止めましょう」

「そうだ、そうしよう」

 バーブルはこれもポレルの優しさだと感じた。彼女は家に帰るまでしっかりと手を握っていた。いつもは冷たいその手が珍しく汗ばんでいて、動揺した気持ちを表わしているとバーブルは思っていた。

「でもあの娘は老婆の使用人なのか?あの一行の中にはいなかったようだけど・・・」

「見逃したのか、兵士の格好をしていたのかもしれない」

「それにしても・・・これからどうするの?」

 三人にはいい考えが浮かばなかった。窓の所に引き返すのは簡単だが、同じ場面にもう一度出くわしたくなかった。

「もう一度確かめに行くわけにもいかない。明日娘の正体を確かめよう」

 やっと三人は互いに納得できる結論を導き出した。


 その夜バーブルは鐘を見た時とは違った興奮を感じ、なかなか寝つけなかった。目を閉じると自然に娘の白い首筋、豊かな胸、細い腰、太腿・・・と体全てがはっきりと見えるのだ。カイデンが認めた頭抜けた記憶力は、今も目の前に娘がいるかのように、黒子の位置や大きさ、数までも脳裏に鮮明に映し出せた。目をあけていればそうではないが、目を閉じると瞼に浮かんで眠れなかった。

 隣にいるサイノスも寝つけないらしく、壁に立てかけていた剣を持つと部屋をそっと出て行った。

 ポレルは壁側の方を向いて眠っているが、寝息は聞こえない。きっとあの光景を思い出しているのだろう。しかし声はかけられなかった。

 バーブルは静かに起き上がると、階段をおりて居間に入った。いつも悩みを抱えた時にしているようにシュエードを弾き、熱い気持ちを落ち着かせようと思ったのだ。

 サイノスは戸外に出て行ったのか、居間にもいなかった。眠れない様子のポレルも誘いたかったが、その日に限っては娘として意識してしまい、むしろ音を立てないように気遣った。

 椅子に座るとシュエードを構え、小さな音で弾きはじめた。何度か弾く内に自然と歌詞が浮かび、シュエードの調べに乗せて歌い始めた。


 君の寝顔初めて見た 眠れぬ長い夜

 星空をさまよう 夢の中で

 僕も一緒に 歩いていいかい

 目を閉じた顔が 微笑む度に

 僕の気持ちは 静かに燃え上がる


 恋人達が時を止め 愛し合う夢の時

 熱い二人には 朝は来ない 

 恥じらう娘が 抱きしめられ

 やさしい顔を 甘くゆがめる

 僕がいつか 君を抱く時もそうなの


 バーブルは目を閉じて歌った。頭の中から次第に娘の白い裸体が消え去り、ポレルの優しく微笑む顔が浮かんできた。シェードの音色に包まれ、ポレルの笑顔を思い浮かべている内に心が静まってきた。

・・・これなら大丈夫。ゆっくり眠れそうだ・・・

「バーブル、素適な歌ね」

 突然ポレルの声が聞こえた。大きな声で言われたわけではないが、シュエードを取り落とさんばかりに慌てふためいた。ポレルを想う歌を、艶めかしい場面に重ねて歌っただけにうろたえた。

「いつからそこにいた?」

 本人に聞かれたと思うと、恥かしさでポレルの顔をまともに見られず下を向いた。それでも心配性のバーブルは訊ねないわけにはいかなかった。

「さあね・・・聴かれたら困る歌だったの?」

 ポレルははっきり返事をしなかった。淡い望みではあるが歌の前後に長い伴奏を入れたから、歌の部分は聞かれていないかも知れない。

「シュエードで起こしてしまったのか?もう終わりにするよ」

「いいの。私も寝つけそうもないもの」

「どうして?」

「バーブル、あなたの方こそどうして眠れないの?」

 ポレルは問い掛けに答えず、同じ質問を返してきた。

 バーブルはどう答えるべきか考えたが、いい言葉が見つからない。正直に言うしかない・・・

「あの二人の光景が目に焼き付いて眠れなくなった」

「私もそう・・・。大人になるとはああいうことなの?」

「君はどう思う?」

「私ね・・・好きな人には愛されたい。でも、愛されるには抱かれなければいけないの?」

「難しいよ。でも・・・好きな相手と抱き合うのは自然だと思うよ」

「そう・・・。バーブルは好きな娘がいるの?」

 ポレルが真直ぐバーブルの目を見て聞いた。バーブルは答えに窮した。

・・・ポレル、君だよ。君しかいない・・・

 答えはあったが、こんな場面では口に出せなかった。

 ポレルの瞳が濡れたように美しく光っている。その目で見つめられると嘘はつけなくなり、「それは・・・」と言いかけた時に、乱暴に扉を開けてサイノスが入って来た。顔も髪も水を浴びたように濡れている。

「二人ともここにいたのか?俺も眠れなくて剣の素振りをして来た。早くいい娘と結婚したいよ。どうだ!ポレル、俺の嫁にならないか?大切にするぞ」

 勢いでサイノスは言ったが、本音の部分もあった。もやもやとした気持ちを長くは自身の中に閉じ込められない性格なのだ。バーブルはその性格をうらやましく思った。

「何言っているの?私は結婚など考えてないわ。特に野蛮な男やはっきりしない男はお断りよ」

 いつものポレルの表情に戻って快活な調子で言い返した。

「・・・だって!・・・バーブル。俺達は振られたのかな?」

「そうかもしれない。ポレルに追いかけられる男になろう」

 三人の関係が元に戻っていく。

「そうよ。二人とも私を満足させるいい男になってよね。そうじゃないと私の魅力に引き寄せられる素適な男に奪われるわよ。ほら、バーブルの鐘のように・・・」

 ポレルは途中で口ごもった。

「ごめんなさい」 

バーブルの悲しい思いを、冗談の中に取り込んだのを悪く思った。

「気にするな。俺達二人にとって、あの鐘より君の方がもっと大切だ」

「まあ!うれしい」

「バーブル、どさくさ紛れにポレルに言い寄るなよ。ポレル、君は光り輝く鐘であって、目も開けられないようなその美しさは・・・え〜っと・・・バーブル、その後どう続けるんだ?」

「澄んだその声は心を揺らし、その姿は凛として気高い」

「はいはい、そこまででいいわ。とにかくあなた達が危険な冒険をしてまで追いかけている鐘以上の存在が私なのね。本当に大切にしてよね」

「勿論ですとも。ポレル鐘様!」

 三人は顔を見合わせて笑い合った。さっきまでのもやもやした思いが吹っ切れる。

「ところでポレル。人間の記憶とは不思議だよ。ついさっき見た娘の顔が思い出せない。バーブルはどうだ?」

「俺は記憶を消したよ。ポレルは?」

「まったく懲りない人達。もうこの話は終わりでしょう・・・眠くなったわ」

「そうだな・・・寝ようか」

「サイノスはそのままでは駄目よ。身体をどこかで洗ってきて。そうじゃないと汗臭くて同じ部屋の中では寝かせないわよ」

「そう言われると思ってちゃんと水浴びして来た。寒くてかなわない」

 三人は一緒に部屋に戻った。二人ともポレルの心の中を覗けなかったが、男女の秘め事を共有したことで、より深く結びついた思いがした。互いの胸のつかえが取れた三人の寝息が聞こえるまでに、そんなに時間はかからなかった。


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