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四章 スターシャ 50 自信の復活

・・・十一・・・


「わあ〜」

 地面に座り込んで死を待っていたザイラルの耳に、大歓声が聞こえた。ザイラルは慌てて顔を上げた。さっきまでの青一色の壁は消え、広場の風景が戻っていた。

・・・おおっ、元に戻っている。それに・・・わしは生きている!・・・

 体をまさぐってみたが、どこも斬られていない。痛みも感じない。死を覚悟した瞬間のことは覚えているが、いきなり無事に元の世界に戻れるとは思ってもいなかった。

 周囲の兵士達が何かを叫んでいるが、勝者のコボスを褒め称えているのだろうと思った。惨敗したのは、動かせない事実だった。

 コボスの姿を捜した。悔しいが敗北を認めてなければならない。

 すぐにコボスを見つけた。普通の背丈に戻り目の前にいた。

 ザイラルは、負け犬のように上目遣いでコボスを見上げた。ところが、思いがけなくコボスの体は泥だらけで、顔には剣のかすり傷が何箇所もつき、そこから出血している。

・・・奴が傷ついている。剣を交えなかったのになぜだ?・・・

 その理由を確かめるのは後にして、この場を終わらさなければならない。自身が生かされているのは、コボスに斬る気がなかったからだ。その意思はヘドロバにも通じるはずであった。

「到底私の及ぶところではありません。警護役を是非お引き受け下さい」

 過剰な自信家のザイラルが堪え忍ぶ場面であった。数多く戦場に出て斬り合いを演じていたが、こんな経験をしたのは初めてだった。それに怖れも感じていた。

「よし、みんなこれで納得したな。ザイラルもなかなかやったが、コボスの方が勝ったようじゃ。わしの新しい警護役にふさわしい。さあ、出発するぞ」

 無言のコボスに代わって、ヘドロバが声を掛けた。ザイラルの予想通り、非礼を咎める様子は見せなかった。最初から結果がわかっていたヘドロバにとって、無益な血を求めるほどの事柄ではなかったのだ。

 コレーション将軍が出発命令を出した。立ち合いの興奮から覚めた兵士達は、部隊毎に隊列を組み直し、シュットキエルに向けて歩き始めた。ヘドロバとコボスにとって、遠征の出発としては最高の日となった。

 

 部隊が進み始めても、ザイラルは地面に頭をつけたままだった。過去の栄光を一瞬で失い、これからは苦難の日々が始まるのだ。ぶざまに負けた姿を見て、部下達の信頼も地に墜ちたとの不安が頭をよぎる。その上、「コボスに敗れた敗者」としての汚名は、遠征中はおろか、帰国してからも取れないのだ。誇り高いザイラルには耐えがたいものだが、自ら招いた結果であり、受け入れるしかなかった。

・・・このままで終われるものか!わしは執念深いのだ。コボス、覚えておれ。必ずお前を倒してみせる。次に地面に這いつくばるのは、お前だ・・・

「ザイラル様、みんな行ってしまいました。さあ出発しましょう」

 こう促され立ちあがった。服に着いた土を払ってくれたのは、日頃から目をかけているレヨイドだった。その後ろでは部下達が整列して待っていた。

 ザイラルは生き延びたことを喜んだが、惨めな敗北に恥じて、まともに顔を上げられなかった。この場で部下から罵声を浴びせられるものと覚悟した。日頃から部下には厳しくしていた。その張本人が、言い訳できない不名誉な大失態をしでかしたのだ。

 覚悟して待っていたが、誰からもそんな声は聞こえなかった。恐る恐る顔を上げてみると部下達が満足げに笑っている。部下達の目は輝き、自分への信頼感を増したような顔をしている。

「立ち合いに敗れたわしを責めないのか?日頃偉そうにしているのに、まともに戦えず完敗してしまった。遠慮するな」

 すっかり弱気になったザイラルは、部下達の顔を見ることなく俯くと、つぶやくような小声を発した。本隊は既に出発しザイラル軍の出発時間になったが、部下達が命令を聞くかどうかも自信がなかった。

「何を弱気になられているのですか?立ち合いではお敗れになりましたが、コボス様をもう少しのところまで追い詰められました。その証拠にコボス様は泥だらけとなり、顔にも切り傷を負われました。私はザイラル様の強さを改めて教えられました」

 思ってみなかった意外な展開を、レヨイドが口にした。レヨイドには一方的な敗戦が見えてないようだ。「ザイラル様とあろうお方が、剣も交えず腰砕けするとは思ってもみませんでした。日頃の厳しさは口だけなのですね。見損ないましたよ」と出ると予想していただけに、少しだけ希望が見えた気がした。兵士達の目に剣を交えない完敗と映っていなければ、復活する道が残されている。ザイラルはレヨイドの言葉で、自分が感じたものと違った形で、立ち合いが兵士達に映っているのではないかと期待した。

「わしの戦い振りはどうだった?」

 立ち合いの様子を話させることにした。自分の記憶と余りにかけ離れたレヨイドの記憶とを比べ、都合のいい方を自分のものとして書き換えようと思った。

「ザイラル様の不敗神話を信じていました。戦意なく突っ立ったままのコボス様を見れば、勝負の行方は想像できました。それに長剣を振りかざされた時、ヘドロバ様を横目で見られました」

「そうじゃ。わしはヘドロバ様が、奴をどうしても警護役にしたいのだと思った」

「そうでしょう。この私にだってそう受け取れました。聡明なザイラル様が気付かれぬわけはありません」

 ザイラルは気分が少しよくなってきた。

「ザイラル様がお二人の顔を立てて、引き分けにされるか、わざと惜敗されると思っていました。そして、勝負もその通りに進みました。コボス様も剣を抜かれましたが、ザイラル様の剣をかわすのがやっとの有様です。何度も地面を転がって、危ういところで逃れられました。顔にあと数レセント(数センチ)剣が伸びていたら、今頃土の中ですよ」

「そうであろう・・・わしが一方的に押していたからな・・・」

 ザイラルもその話に合わせた。

・・・青壁の中での立ち合いが、レヨイドにも見えてなかったらしい。レヨイドが今話している光景は、願望が生み出した幻の立ち合いなのだ。わしに好意を持つ者にはわしが優位に見え、敵意を持つ者にはコボスが優位に見えたに違いない。新任の彼に期待した者はヘドロバ以下、少数の者だろう。わしはついている・・・

 本当の結果は立ち合った当人達にしか知らないと確信した。二人が口に出さない限り、真実はあの青壁の中に隠されることになる。

「私の推測通り、ザイラル様は途中で攻めを躊躇され、前後に動かれ始めました。動くたびに弱々しくなられて、上手い芝居をされると思っていました。そして最後は座り込まれ、大袈裟に頭を下げられました。部下達はがっかりしましたが、私は胸の内が読めていました。あの勢いのままでコボス様を斬ると、警護役に指名したヘドロバ様の顔が丸つぶれです。ザイラル様は十分過ぎるほど強さを示されたから、勝ちをお譲りになったのですね」

 レヨイドの説明は続き、ザイラルの心は浮き立たせる。

「わしの気持ちをよく見通したな。その通りだ。わしも斬り殺そうと思ったが、あのヘドロバ様の大事なお抱え者だ。大勢の見ている前でそうすると、後々まで恨まれてしまう。あのお方の機嫌をそこねて陛下に讒言され、無実のままで牢獄送りになった者もいると聞いている。占い役だけに、あの婆さんの言葉には重みがあるのだ」

「やはりそうでしたか・・・みんな、聞いただろう!ザイラル様こそ真の勇者だ。上役の顔を立てて勝ちを譲られた」

「そうですとも!我々の隊長は、部隊随一の勇者だ」

「隊長は情けのある立派なお方です。老婆の警護役は似合いません」

「コボス様を賞賛する者は、隊長の心意気を推し量れない愚か者です。私の目の前に現れたら叩きのめしてやる」

「ザイラル様をこれからもみんなで盛り立てよう」

 部下達が口々に言葉に出すのはザイラルに対する賞賛ばかりだった。浮ついた言葉ではなく、心からそう思っているのが顔に出ている。

「お前達の気持ちを嬉しく思うぞ。だがこの話はここだけにしておけ。ヘドロバ様の耳に入ったら、また難題を持ち込まれてしまうからな」

 ザイラルはこう締めくくった。立ち合い前より何倍も強い部下達の信頼を獲得し、自信はより深まった。それに有り難迷惑だった警護役も、自分の強さを印象付けてうまく降りられた。口に出したほどには警護役には誇りや執着心はなく、役目を譲ることに何の未練もなかった。ヘドロバに背いたのは無駄ではなかったと思った。

 一つだけ気がかりがあるとしたら、コボスの存在だった。立ち合いは幻想だったと無理に思い込んだが、あの時味わった恐ろしさをどうしても消せないのだ。それにヘドロバとの親密な関係も気になった。

・・・まあ、いい。追々二人のことを調べていこう。時間はたっぷりあるからな・・・

 ヘドロバ本隊からかなり遅れたが、シュットキエルへ向けて部隊を前進させ始めた。ただ、レヨイドには密かにある命令を出した。それはここに残ってコボスの正体を調べることだった。

・・・ヘドロバがコボスを見出したのは、あの怪しげな酒場に違いない。常連客や相手をする女達に金をいくらか握らせば、きっと何かの手掛かりが掴めるはずだ。ヘドロバが都合よく先行していて、力は及ばない。レヨイドに任せれば、万事抜かりなくやる・・・   

 二人の関係を調べ上げ、今日の屈辱を何倍、何十倍にして晴らしてやろうと思った。遠征は始まったばかりで、二人を陥れる機会はこれから先、いくらでも作れるのだ。


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