一章 シュットキエル 5 使者の到着
・・・五・・・
ショットキエルの村人達が首を長くして待ち焦がれていた使者が、天気のいい昼間に馬車に乗ってやって来た。その馬車に最初に気づいたのは、丘陵地で縦横無尽に馬を駆けさせていた若者の一団だった。村へ続く道を見慣れない馬車が走っていれば嫌でも目についた。
「おい、妙な馬車が村へ向かっているぞ」
「どれどれ・・・。確かに・・・」
走り飽きた若者達は馬車に近づいた。そして馬車を一目見るなり、思わず転げ落ちそうになった。土埃で少し汚れてはいるが、群青色の馬車の扉にはこの国の者であれば誰でも知っているショコラム国王の鷲と剣の紋章が描かれていた。
「これは・・・国王の使者。とすれば・・・」
「ばか、考えこむな。セレヘーレン・テスを届けに来られたのだ。俺が聞いてくる」
気の利いた若者が馬を寄せ、御者に一言、二言声を掛け、待っている仲間に右手を強く握りしめた格好を見せた。その瞬間若者達は村に向かって馬を駆けさせた。もちろん使者の到着を告げるために。
「国王の使者がもうすぐやって来る。とうとうこの村にもセレヘーレン・テスが届けられる」
若者達は大声で叫びながら村の通りを駆けた。家々から人々が飛び出して来た。後に続く若者が出てきた人に使者の訪れを説明した。
「本当だな!これは大変だ。皆でお出迎えしなければ・・・。そうだ、長老に知らせて、どうすればいいのか聞くのがいい」
使者と聞いただけで躍り上がった。しかし嬉しいのは嬉しいが、どう迎えていいか誰も思い出せなかった。それほど長くセレヘーレン・テスには縁がなかった。それでも馬車のために通りを掃除して水を撒き、見苦しい格好では恥ずかしいと着替えた。こうして何の前触れもなく突然現れて村人を驚かせたように見えるが、長老達は何日も前から密かに知らせを受けていた。
他の者に気づかれないように何気ない顔をしながら何度も集まり、名誉ある知らせを届けに来る使者をどう迎え、召集される者をどう送り出すかを相談した。初めてのセレヘーレン・テスは出す側にとっても受け取る側にとっても極めて重いものであった。国からも初めての者をできるだけ盛大に送り出すように指示された。それは本人ばかりでなく次に続く者に勇気を与えることになるからだ。宣誓式での拒否者をシュットキエルから出すわけにはいかなかった。
長老達は話し合いの末、選択の正当性を人々に示すために、召集者を誰もが納得できる優れた若者にすることに決めた。セレヘーレン・テスを受け取る若者は別の若者であったが、長老達は国に変更の申し出を行った。本来は許されない申し出だが、今後の招集を円滑に進める得策と考えられたのか意外にもすんなりと受け入れられた。
「使者のお方。行く先を教えてくれ」
馬車の横を走りながら気の短い村人が使者に問いかけたが、使者は微笑みを返すだけで何も言わなかった。御者も背筋を伸ばし、真っ直ぐに正面を向き、セレヘーレン・テスを届ける重要な役目を遂行していた。
御者はとりわけ急ぐ風でもなく、ゆっくりと馬車を走らせた。使者の乗る馬車の後をぞろぞろと村人達が追う。時折車輪が日光を反射させて追う村人の目を射たが、それさえも王家の神々しさを現しているように感じ取っていた。
御者が手綱を引き、馬車を止めた。目的の家に着いたのだ。その家は隣近所と変わりようもない白い壁のごくありふれた佇まいだった。
「やはりこの家だったな」
「わしもそう思った。最初のセレヘーレン・テスを受け取るにはふさわしい」
何百人にも膨れ上がった群衆の中でも、同じような会話が数多く交わされた。長老達の思惑通りの展開になった。その家、セシル家普通の家なのだが、ここの若者はそうではなかった。巧みな乗馬術と飛び抜けた腕力を持つ『村一番の若者』との評判も高いセルフルだ。初めてのセレヘーレン・テスを受け取る者に最もふさわしかった。
馬車の扉が開き、使者が降り立つ。後日村人達は馬車から降りたのは右足が先か左足が先かと議論したが、舞い上がった状況の中ではうろ覚えで、誰もはっきり断言できる者はいなかった。
使者も村人達の心をときめかせるには十分な格好をしていた。
深紅の上着と白いズボン。黒い飾り襟には金色の刺繍が施され、上着の前部には二列の金色ボタンが並んでいる。ズボンの両側を緑の線が走り、それよりも濃い緑色の鞄を肩に斜めに掛け、頭には羽飾りの付いた帽子。その羽飾りが緩やかな風を受けて小刻みにそよいだ。まだ一言も言葉を発していないが、若い使者からは首都の華やかさが溢れ出ていた。
使者は落ち着いた様子でセシル家の扉を叩いた。扉はすぐに開けられ、この家の主人が顔を出した。主人は使者を見ても驚く様子を見せなかった。よく見ると主人も使者に劣らず、立派な身なりをしていた。これにはわけがある。使者の訪れを数日前に長老達から知らされていたのだ。いきなり使者が訪れて慌てふためく様は見せられないとの深慮であった。
「息子にセレヘーレン・テスが!名誉なことです。村中に触れ回りたいのですが、構いませんか?」
父親の当然の気持ちであった。
「親族だけにしてくれ。それと度を過ぎた祝いは謹んでくれ」
長老達は了承した。最初は秘密が保たれ、家族や親族だけの話となっていた。しかしここだけ、ここだけの話で次々に伝わり、やがては多くの人達の知るところとなった。長老の中に意図的にセレヘーレン・テスの件を漏らす者もいた。馬車の到着まで知らなかったのは、セシル家と縁遠い人達であった。
祝福の品物を届ける人が毎日訪れ、家族とセルフルを激励した。父親はその礼として一人一人に挨拶をするよりも、息子の送別を兼ねて使者の到着日に合わせて祝宴を開くのがいいと判断した。
使者到着の日、セシル家の中では既に祝宴が開かれていた。セルフルは仲間達の羨望のまなざしと娘達のあこがれの視線を一身に受け、顔を高潮させていた。酒はしらふで使者を迎えたいと断っていたが、何度か勧められる内に断り切れなくなり、勧められるままに飲み干してふらふらの状態で使者を迎える羽目になった。
使者は周囲を見渡すと深呼吸をし、おもむろに鞄を開けた。視線が鞄に集まる。
「いよいよ始まるぞ」
皆息をひそめた。待ちに待った儀式が始まるのだ。家の中にいた者達も外に出て来た。セシル家の家族はめかしこんでセルフルの後ろに並び、満面に笑みをたたえている。普段は親の言いつけを聞かない子供達さえ騒ぐのを忘れ、見逃さないように目を見開く。娘達の中には感動してもう涙ぐんでいる者もいた。今までの騒ぎは水を打ったように静まり、時々老人が咳こむ。それは耳障りではなく、高まった緊張感をより高める効果があった。集まった村人達の胸の鼓動が一斉に早まった。唇が乾き、何度も舌で舐めて心を落ち着かせようとした。
使者は鞄から小さなラッパを取り出すと、そのまま口に当てて勇ましい曲を吹き鳴らした。金属性の音がこれから始まる一連の儀式の幕開けとなる。村人達は今までの緊張感を振り払うような大歓声をあげた。使者も驚く地鳴りのような大歓声だ。
ひとしきり歓声が収まるのを待って、使者は鞄から巻紙を取り出すと、封じていた紐を切った。そして上下に開くと、文面に目を落としておごそかに読み上げた。
「セシル家の長男、セルフル・セシル。汝を名誉ある戦いに召集するものなり。汝の力、勇気を必要とする時がきた。余は汝をセレヘーレンにて待つであろう。 ショコラム王国・国王 ショコムラム・アーバンハイツ」
読み上げた後、見守っている人達に文面を見せた。文字が遠くからでは読めないが、決められた作法に違いない。
「はは!ありがたくお受けいたします」
セルフルは顔を真っ赤にして力強く答え、両手で使者の読み終えたセレヘーレン・テスを受け取った。その瞬間これまで以上の大歓声が湧き起こった。酔った者は空になった食器や瓶を打ち鳴らし、指笛や口笛を吹く。
セルフルはうやうやしく受け取ったセレヘーレン・テスを父親に渡し、家族ともう一度抱き合うと、胸を張りゆっくりと迎えの馬車に乗り込んだ。そのまま使者と一緒に村を去り、宣誓式が行われる首都セレヘーレンに向かうのだ。
「後に続くぞ」
「がんばれ」
「セルフル、必ず帰って来てね」
口々に若者が叫ぶ。自分達がセレヘーレン・テスを受け取って村を去る時も、今日と同じく大歓声に送られるかと思うと、興奮を押さえ切れなかった。娘達は次々に花束をゆっくり走る馬車に向かって投げ、子供達は懸命に馬車の後を追いかける。去るセルフルは馬車の窓から身を乗り出すと、見送る村人達にちぎれんばかりに手を振った。
馬車が去り、主役のセルフルがいなくなっても、村人達は用意された酒で酔いつぶれるまでお祭り騒ぎを続けた。セルフルの父親は皆から祝福され、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。しかし母親は招待客に気付かれぬように家に入ると、息子が残した今朝まで着ていた服を抱きしめた。息子の匂いが母親の悲しみを増大させ、彼女は号泣し始めた。夫のように息子を誇らしい気持ちで送り出せず、無事に帰って来ることだけを祈った。
バーブルの父親はこの場にはいない。送別の鐘を鳴らすために、搭で出発を待っていた。
彼は出発祝いの花火の打ち上げを確認すると、それを合図に鐘を鳴らし始めた。今日は馬車が見えなくなっても、鐘を鳴らし続けようと決めていた。戦いに向かう若者に、村の音を最後まで聞かせたかったのだ。
村はいつになくいい天気で、夜遅くまで宴の音楽は止まなかった。




