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四章 スターシャ 49 ザイラルの横槍

・・・十・・・


 ヘドロバが先に立って歩く。

 通りから少し離れた空き地に、大勢の兵士がたむろしていた。中の一人がヘドロバの姿に気がつくと、立派な軍服の男に報告した。その男は立ち上がって大袈裟に驚き、すぐに迎えの兵士を寄越した。

「お早うございます。お待ちしておりました」

 四、五人の兵士がヘドロバの回りを警護したが、一緒にいるコボスへの対応がわからず、顔を見合わせた。ヘドロバはその者達の困惑など目に入らぬ様子で、空き地の兵士達を掻き分けるようにして前に進んだ。黒ずくめの老婆の姿は否が応でも目につく。ラッパ手が高らかに集合の時を告げた。

「急げ、遅れるな」

 上官に急き立てられて兵士達は争うようにして整列した。兵数を知らないコボスは一万人以上の部隊と見立てた。ヘドロバは「村に行く」とだけ簡単に言ったが、これだけの規模で出発しようとは考えもしなかった。

 ヘドロバは整列した兵士を横目に見ながら指揮台に上がった。そして壇上からコボスを手招いて指揮台の近くに立たせた。コボスは否応なしに兵士達の物見高い視線を浴びたが、大勢の視線に臆することなく堂々と受け流した。ヘドロバはその様子をじっと見ていた。

「皆の者、長い間待たせたな。今回は畏れ多くも陛下の特別の思し召しによる遠征じゃ。目的を成就すれば大変な名誉になる。全力を尽くすのじゃあ。この場でお前達に念押しが一つだけある。敵との戦いが目的ではない。わしの命令がない限り、いかなる場合でも戦いは禁じる」

「戦いが目的でない」との指揮者の明言は、兵士達にとって初めて聞く言葉で、戸惑いを感じずにはいられなかった。何故なら日頃から訓練を重ね、戦場で手柄を立てて昇進することを教えられていたからだ。戦いが目的でない遠征など願い下げたい気分だったが、ドンジョエル国王の名を出されると、正面切って反対する意思は示せなかった。

・・・ほとんどが不満なはずじゃあ。ここでコボスの警護役話をすると一騒ぎ起きそうじゃが、それがいい毒消しにはなる・・・

 ヘドロバはそれ以上遠征について言及せず、先程から兵士達が注目しているコボスを指差して言葉を続けた。

「お前達にわしの新しい警護役を引き合わせる。そこに立っている男がそうじゃ。名前はコボスだ。よく覚えておくがいい」

 兵士達の視線がコボスに移った。さっきまでの正体不明者に対する見下した視線は一変し、警護役に対する畏敬の念を込めた視線になっていた。警護役とはヘドロバ自身も言ったが、コボスが考えた以上に重要な地位らしい。兵士達の羨望の的になって、コボスの血が久々に騒いだ。

「お待ち下さい、ヘドロバ様。納得できません」

 大きな声が上がった。最前列に並んでいた部隊長の一人が一歩前に出て、コボスに胡散臭そうな視線を投げかけると腕組みをした。その男はとび抜けて背が高く、身体全体が鋼のように鍛えられていた。組んだ腕も太く、顔は赤ら顔で口ひげをたくわえ、右目の上から下の頬にかけて刀傷とも思える線が斜めに走っていた。

「ザイラルか?何が不満じゃあ?」

 初めからこの場が丸く納まるとは、思っていなかった。遠征軍でも最強と目されるザイラル軍から上がった火の手を、むしろ内心では歓迎した。

「ヘドロバ様の警護役は、ここにいる十人の部隊長の中から選ばれた私の役目です。大変な名誉だと思っております。その役目をお替えになられるからには、コボス殿とやらはそれなりの腕前なのでしょうな。そうでないと、『いきなり替われ』と言われて、『はい、どうぞ』とは申せません。私にも面子があります。お許しいただけるなら、ヘドロバ様が占われた警護役の腕前を試させていただきたい」

 ザイラルと同じ気持ちなのか、頷く者や敵意に満ちた視線を送る者もいた。

 既存の集団に平凡な一員として加わる場合は摩擦も小さいが、主役として、それも突如として加わる時の抵抗は、考えられないほど大きい。コボスが認められるには自身の力量を示さなければならなかった。また一方のザイラルも、全兵士の前で言われるままに引き下がると部下の信頼を失ってしまう。ここはヘドロバに背いても、強く抗議しなければならなかった。両者の思惑は意外な所で一致した。

「コレーション将軍、お前も同じ意見か?」

 ヘドロバは壇上から、コボスの横に並んでいる将軍の意見を聞いた。コレーションは自身の軍団を持たないが、十軍団の名目的な指揮者であった。ヘドロバが実質的な指揮者なのだが、ドルスパニア王国の正規軍指揮者を占い役の老婆にするわけにはいかなかった。

「ヘドロバ様の抜擢に間違いはないと思いますが、ザイラルの気持ちも仕方のないものです。ここはザイラルの申し出通りにさせてやったらどうでしょう。ヘドロバ様の警護役は部隊随一の勇者でなくてはなりません。ザイラルは誰もが認める勇者です。それを替えるとなると、皆が納得できるものを見せてやる必要があります」

「まあそれもそうかの・・皆もコボスの腕を見ておくのもいいだろう・・・気の済むようにさせるがいい」

 兵士達はこの決定が、ザイラルの腕を知らないヘドロバの無謀な試みだと感じたが、噂に高いヘドロバの予知能力を確かめるいい機会だと興味を湧かせた。仲間同士で議論し合った噂の真偽が、目の前で現実に展開されるのだ。

 ザイラルの無類の強さを慕う信奉者達は勝利を疑わなかったが、立ち合いを許したヘドロバの思惑は違っていた。ザイラルには酷であるが、コボスの力を兵士達に見せつける絶好の機会と考えていた。戦いに生きる者には、言葉よりも力が全てなのだ。その点、部隊で抜きん出た力を持つザイラルは、願ってもない格好の相手だった。


 コレーション将軍がひとまず全軍を解散させた。

 それを待って二人を中心にして地面に大きな円を描かれた。円内が即席の決闘場で、一歩でも外に出れば負けを宣言される。

「前の者は座れ、邪魔になって見えないぞ」

「そこは俺の席だ。どいてくれ」

 一万人の兵士が最前列で見ようと、争って場所取りをした。そしてその騒ぎと土埃がおさまる頃には、二人を取り囲む大きな環ができていた。

「始めろ」

 コレーション将軍が試合の開始を命じた。

 ザイラルとコボスは対峙した。戦い慣れたザイラルは本気で立ち合うつもりはなかった。コボスの身体は締まっているが、自身と比べると弱々しく、まともな一撃を浴びせると、受け切れそうになかった。コボスをどこで見つけてきたかはっきりしないが、ヘドロバが一方ならぬ思いをかけているのが感じ取れた。コボスを引きずり出したが、兵士達の前で叩きのめして面子をつぶすと、後々まで恨まれると思った。ヘドロバには反感を持っていたが、ドンジョエル国王が任じた指揮者に回復できないほどに逆らうわけにはいかない。

・・・ここは適当にあしらって引き分け程度で止めておこう。そうすればわしの評判も変わらず、ヘドロバ様の顔も立つ・・・

 警護役には未練がなかった。指名されて運命を呪ったものだが、兵士達の信頼を得るには役立つと思って甘受した。ここで黙って譲いれば、気にくわない役目から都合よく逃げ出すことができる。しかし・・・それだけでは面白くないと考えた。『ヘドロバに対しても信念を曲げなかった男』と部下達を唸らせるには、もう一芝居打つ必要があった。その好機を見逃すザイラルではなかった。

「コボスとやら・・・始めようか・・・」

 ザイラルは自慢の長剣を目に止まらぬ速さで抜くと、片手でブンブンと振り回した。そして剣を持ったまま、無造作にコボスに近づいて行く。対等の相手と思ってないのは明らかだった。一方のコボスは、剣を抜かないどころか、何の構えもしないで立っていた。斬り合い前の緊張が何も感じられない。

「決まりだな。ザイラル様の勝ちは動かない」

 見物している兵士達もあっけない決着を予想した。

 ザイラルの長剣が間合いに入った。もう一歩進んでそのまま振り下ろせば、相手を両断できるところで頭上に構えた。大上段から腕力を生かして一気に斬りさげる得意技を、これまで受け切れた者はいなかった。

 コボスはそれでも両手をおろし、そのままの姿で立っていた。剣を抜こうともしなかった。

 ザイラルが息を止めてすっと前に足を送り、同時に腰をぐっと落とした。腕に力を込め踏み出そうとしたその時、コボスが突如両眼を閉じた。

・・・わしの前で目をつぶるとは・・・こいつ・・・

 自分の腕を無視する大胆不敵な態度に、怒りが湧き上がる。さっきまでの気配りが一瞬で消え、殺気がザイラルの身体を包み込んだ。

「えいっ」

 気合いもろとも一気に斬り下げようとした時、ザイラルは奇妙な感覚に襲われた。コボスの身体が揺らいだように見え、次にその姿が徐々に薄くなり、そして完全に消えたのだ。 

・・・ん?何だ・・・?・・・

 目を擦り、もう一度見た時、コボスが元の場所に見えた。ザイラルは気をそがれて間合いを外して数歩後退した。

「ふ〜」

 溜めていた息を吐き出し、一呼吸おいた。そしてもう一度振りかぶる前に、兵士達がどんな顔をして見ているのかを知りたくなった。それだけの余裕はまだ残っていた。

・・・変に力むと不格好になってしまう。周りを見る余裕がある姿を見せてやるか・・・

 そう思って、ゆっくりと見回し始めたが、信じ難い光景を見て目を疑った。

・・・こ、ここはどこだ?なぜ誰もいない?・・・

 驚くのは無理がなかった。周囲には誰もいないばかりか、風景も目に入らなかった。一万前後の兵士が二人を取囲み、固唾を飲んで注目しているはずなのに!

 動揺したザイラルはもう何歩かコボスから離れると、自分の置かれている状況を掴もうと思った。気持ちを落ち着かせるために、新兵のように大きな深呼吸を繰り返した。


 ザイラルのおかれた状況は好転せず、さらにひどくなった。広場の景色も兵士達と共に消え、青一色の世界に投げ出されていた。しっかり足固めをした地面、雨が降り出しそうだった曇空も青色に変わっていた。

・・・幻の世界なのか?だが・・・コボスの姿は見える・・・

 今確実に見えるものは一つしかなかった。それはずっと目を閉じたままの姿で動こうともしないコボスだった。

・・・これは一体・・・・どうなっている?・・・

 気味悪さを感じたザイラルは剣を中段に構え直し、大きく後ろへ下がろうとした・・・が、背中が何か固いものに阻まれた。慌てて後手で触ってみると、固く滑らかなものだった。コボスが前にいるのにも構わず、後ろを振り返った。

「壁だ・・・。壁がある」

 青色の壁がはっきり見えた。片手に剣を持ち替え、残る片手で壁を押してみたが、びくともしない。慌てて右に身体を動かしてみるが、側面の壁に当った。左にいっても同じだった。顔を近づけると、翼のついた長方形の奇妙な図柄が浮かんでいた。

・・・青壁の部屋でコボスと戦っているようだ。何故こうなったかは考えつかないが、奴を倒さなければ出られないのだろう。もしかすると、ヘドロバの魔術で錯覚に陥っているのかもしれない。気が狂う前に奴を倒してここから逃れよう・・・

 既にヘドロバに遠慮して手心を加える気持ちは失っていた。それどころか、不気味な雰囲気に呑み込まれようとしていた。それから逃れるためにコボスに迫った。

「こ、こんなことがあるのか!」

 腰が落ちそうになった。コボスがザイラル程の背丈と逞しさに変身していた。ザイラルは気後れし、斬りかかれないままに数歩下がった。背中が壁に当たった。ザイラルの感覚では、壁はもっと後ろのはずだ。

・・・まさか・・・

 頭によぎったことを確かめようと、後ろに右手を伸ばした。壁に指先が当った。

・・・やはりそうか・・・部屋が狭まっている。コボスに近づくように、壁に押されている・・・

 背中といわず脇といわず、汗が流れ落ちた。冷たく感じるあぶら汗だ。まだ剣を交えていないが、自分の敗北がはっきりと予測できた。迫り来るコボスの身体は巨大になり、開かれた目からは妖しい光が放たれていた。

「くそ、くそ」

 はらわたが喉までせり上がる思いがした。引くことも逃げることもできず、足を止めても壁に押されて前に進んでいく。その間にもコボスの体は膨張し続け、見上げるような大男になった。

「うわ〜」

 剣でなく、踏み潰されそうな恐怖を感じて悲鳴を上げた。許しを請うにも歯ががちがちと鳴って言葉にならなかった。戦う意欲は喪失し、へたへたとその場に座り込んでしまった。斬られるか踏み潰されるかは相手次第だが、間違いなく殺されると観念した。武人の最後らしく剣で斬られたいと念じた。


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