四章 スターシャ 47 誓いの書
・・・八・・・
スターシャはコボスを部屋に待たせたまま出て行き、しばらくして大きな包みを大事そうに抱えて戻って来た。そしてその何重にも包まれたものを、テーブルの上で丁寧に開き始めた。長い間包まれたままだったようで、虫食いや染みでぼろぼろの状態だったが、次第に本来の柄や色が鮮やかさに浮かんできた。解かれた布が彼女の足許でとぐろを巻く。
「待ってね。もうすぐだから」
最後に純白な布に包まれた物が現れた。それにはコボスには読めない文字が書かれている小さな紙が貼られていた。スターシャには読めるらしく、じっと文面を見詰め、ややあって最後の決断をした風にその紙を剥がした。
「やっと出てきたわ。『誓いの書』よ。ほら、きれいでしょう」
現れたのは金色の本だった。にぶい光から判断すると純金のようだ。スターシャは指輪を抜き取り、本の窪んだ部分に押し当てて廻した。指輪が本を開く鍵になるのにコボスは感心した。頁をめくるスターシャの隣で覗き込んだが、ここでも書かれている文字は読めなかった。文字は頁毎に書体が変わり、同じ国の言葉だけで書かれていないようだ。
「読めない文字ばかりだ。何が書かれている?」
「一族について書かれている大切なものよ。書かれた場所、時代が違っているから、文字もその都度変わっているわ。全て読めるのは私しかいない」
娘のままで生きてきたのか、老婆で生きてきたのかはわからないが、スターシャの何気ない言葉からとてつもない長い年月を感じた。
「その本をどうするつもりだ?」
本の文字は読めなかった。わざわざ見せるくらいだから、何か目的があるに違いなかった。
「この中に愛する人と署名する頁があるの。白紙のままになっているわ。ここに署名することをずっと夢見ていた」
本を覗き込んでいるコボスを熱く見た。
「君を大切にするとか、幸せにするとかを書き込むのかい?」
「それは私に誓ってくれたから、書かなくてもいいの。ここに書くのは命にかかわる誓いよ。私の話を聞いて承知し、署名すればあなたは永遠に近い命を持てるわ」
「死ぬ時も一緒なのか?」
「勿論そうよ」
「誰も俺達の命を奪えない」
「そうよ」
「で、『永遠に近い』と言うのは、正真正銘の永遠ではないから・・・だな」
「そう・・・」
スターシャの顔に影が走るのを、コボスは見逃さなかった。
「わかっているよ。君の命を奪えるのは君自身で、俺の命を奪えるのも君。どの世界でも無敵の剣と無敵の盾は存在しない。結局俺の命は君に握られるわけだ。男としては面白くないが・・・」
スターシャが両手を握りしめ、その手の甲に涙をこぼすのを見て、コボスは途中で言葉を飲み込んだ。ひどく彼女を傷つけたようだ。
「どうして男の意地を出そうとするの?あなたが望めば私と立場も逆にできるのよ。この本に書けば何でも実現できるわ」
コボスが言いわけをする前に顔を上げ、搾り出すような声で訴えた。
「傷つけたなら謝るよ。永遠の命は俺には似合わない。永遠に近い命も要らない。なまじっかそんなものを持っていると、真剣な時に俺は笑ってしまいそうだ。俺は自分の力で君を嫌になる位幸せにしたい。俺は君に永遠の命より永遠の愛を捧げたい。・・・スターシャ・・・それが言いたかった。だから機嫌を直してくれ」
気持ちを正直に話した。
・・・『永遠の命』じゃあなくて『永遠の愛』か・・・コボスらしいわ・・・
その言葉に至上の愛を感じ、出会いを心から喜んだ。土壇場で迷って否定されたと思ったが、そうではなかった。
「私に全てまかせて。あなたは署名するだけでいいわ」
「それならばいい」
「嬉しいわ。あなたに会えて本当によかった」
スターシャは頁を開いて何事か書き付けた。書かれた文字はさっきと同じように初めて見る文字で、内容が理解できなかった。まかせると言った手前内容は聞けなかった。
二人はその頁に名前を連ねて署名した。
「痛いけど、我慢して」
署名が済むと小刀を取り出して、コボスの指先を切った。深く切られた指先から血がこぼれ、いま書いたばかりの頁に血だまりができた。次にスターシャは自分の指も同じように切り、同じ頁に血を注いだ。頁全体が二人の血で真っ赤に染まった。
「頁に手を載せて」
コボスの手を取るとその頁に置かせ、自分の手を重ねて小さな声で呪文を唱えた。手が燃えるように熱くなり、真っ赤な煙が立ち上った。
「これでいいわ。やっと私の夢が叶えられたわ」
スターシャがその手を外すと、書かれた文字が金色になっていた。浮き出た言葉をもう一度読み返すと本を閉じ、開けた時のように指輪で鍵をかけた。布でまた包むのかとコボスは思ったが、そうはならなかった。本の両側から二つの小さな翼が生え、巣立ちを控えた若鳥のように羽ばたきを始めた。そして羽ばたきが強くなったと思う間もなく、長方形の鳥はいきなり舞い上がり、あっという間に羽音を残して彼方に飛び去った。
「本が飛んでいった。いいのか?」
「もう手元に置かなくてもいいの。『誓いの書』は、呼び戻すまで大空を飛び続けるのよ。必要な時はいつでも呼び戻せる。あなた・・・これを飲んで。これで全てが終わるわ」
スターシャは器に黄色の液体を注ぎ、自身の指先をさらに深く切り血を垂らした。それをコボスは勧められるまま一気に飲み干した。血のにがい味を感じる前に、意識が薄れていった。




