四章 スターシャ 44 二人の朝
・・・五・・・
翌朝コボスはベッドの中で目を覚ました。一瞬自分の居場所が掴めなかった。天井に描かれた絵を見ている内に、食事の後ヘドロバと話をしていて、いつの間にか深い眠りに落ちたのを思い出した。
・・・寝室まで歩いた記憶がない。それがベッドの中にいるとは・・・
鐘の話をしたのはおぼろげに覚えているが、内容までは詳しく覚えていない。ヘドロバに勧められた飲み物のせいかも知れない。
「おはようございます。ぐっすりと眠れましたか?」
扉が開きスターシャが部屋に入って来た。白い前掛けは昨日と同じだが、今日は青い服を着ている。リボンで縛って背中におろす髪形を変えていた。服より濃い紺色のリボンがよく似合っている。
「おはよう。昨夜は話の途中で眠り込んでしまった。目が覚めたらベッドの中だ。不思議だ」
「不思議ではありません。ヘドロバ様のいいつけで私が全部やりました。あなたをここまでお連れしました。重くて大変でしたよ。ほら、この腕を見て下さい」
腕まくりをしてコボスに見せた。白い包帯をしている。
「どうした?それは」
「廊下を抱えて歩く内によろめいて壁でこすったのです」
「それは悪かった」
「それだけではありません。お着替えもお手伝いしました」
窓を開けながらスターシャが片目をつぶって見せた。
「えっ!着替えまで」
慌てて起き上がった。確かに昨夜の服ではなかった。また裸にされたらしい。
「だって気持ちよくお休みいただきたかったのです。よけいな真似でしたでしょうか?」
顔を赤らめ下を向いた。スターシャもコボスの裸身を思い出していた。入浴の時は触ろうとしたコボスへの悪戯だったが、夜と違って朝の清々しさの中で考えれば、少しやりすぎた気がした。
「そ、そうか・・・。そんなに気にしないでいい。主人の命令であれば仕方がない。ところでヘドロバはどこだ?」
コボスは迷惑顔を消して話題を変えた。裸を見られたことをいつまでも気にする了見の狭い男と思われたくなかった。
「『数日間留守にする』と言われて、先ほど出かけられました」
「それは残念だ。ご馳走して貰った礼も言えないが、君からよろしく伝えてくれ」
ベッドから下りると、スターシャにこう切り出した。スザナの言う面白い話をしたからには、この屋敷に留まる理由はなかった。得体の知れないヘドロバがいない内に、ここから去ろうと思った。勿論、屋敷の外まではスターシャに案内を頼むつもりでいた。
「出て行くのは駄目ですよ。ヘドロバ様がお帰りになるまで、あなたの世話を申し付けられました。勝手に出て行かれては、私が怒られます」
スターシャがコボスの着替えを手伝いながら言った。
「スザナからは、話すだけでいいと聞かされた。その後は俺の勝手だろう。俺はヘドロバに何の義理もない」
ヘドロバを薄気味悪く思っていた。それがわかっていて、帰りを待つほどのお人好しではなかった。スザナの言う「お礼の金」に執着はなかった。
「それはあなたの話が、ヘドロバ様にとって価値がない場合です。ヘドロバ様は大いに興味を持たれ、それがために朝早くお出掛けになったのです。どこに行かれたのかはわかりません。世話を申しつけられたと言いましたが、本当は厳しいお顔で『スターシャ、コボスを死んでも屋敷の外に出してはならぬ』と命じられたのです。だからあなたをお帰しするわけにはいきません」
「俺はやりたいようにやる。大金を得たスザナと暮らすのもいいし、気ままな旅をするのもいい。それに昨夜の話が全てだ。もう話すべきものはない。ヘドロバも好きにさせろと言ったはずだ。聞いてないのか?」
話をしながらスザナとの旅もいい考えだと思った。
・・・見かけほど悪い女でもないし、違う町でそれなりの格好をさせれば、今の暮らしなど露とも感じさせないいい女になるだろう。金はなくてもいいが、あいつのことだから俺の取り分もヘドロバからもらってくるに違いない・・・
「だめです。ヘドロバ様から『好きにさせろ』なんてお聞きしていません。それにスザナと暮すなど、冗談でも言わないで。絶対に・・・お願いです。ヘドロバ様が嫌なら、私のためにもう少しここにいて下さい・・・お願い・・・。それでも出て行かれるつもりなら、私を殺してからにして下さい」
スターシャの顔が哀願する顔になった。眉が下がり瞳に涙の湖が現れた。
「うるさい、死にたいなら好きにしろ。案内なしでも歩き回れば外には出られる」
そう言えば床に泣き伏すか気を失うだろう。そこまでコボスは薄情ではなかった。かといって、「君の気持ちはどこにあるんだ?ヘドロバの命令を守りたいのか?スザナへの嫉妬か?それとも俺が好きになったのか?」とからかい半分で聞ける場面でもなかった。
「そんな悲しそうな顔はしないでくれ。・・・仕方がない・・・ヘドロバが帰って来るまではここにいる。それで君も役目を果せるのだろう。君には世話になったからな・・・これで少しは恩返しができるだろう」
折れるしかなかった。美しい娘の頼みを断るのは難しい。
「嬉しい。そう言ってもらえると思っていました。さあ、朝の食事を一緒にしましょう」
表情が一変した。
・・・何?食事だって!さっきの顔は幻か?・・・
コボスは驚いた。思わずスターシャの顔を見た。
「そんな顔をされてどうされたのです?さあ行きましょう」
スターシャは呆気にとられたコボスの顔を見てくすりと笑った。
・・・やられた。小悪魔め・・・
スターシャの方が一枚上手だった。コボスが泣き顔に弱いのを掴んでいたのだ。
「怒らないで。本当に私は嬉しいのです」
そう言いながらコボスの顔を見上げるスターシャ。初めて会った時のように腕を絡ませてきた。それも片手でなく両手で。
「まったく、君には勝てないよ」
小さなため息をつくコボス。もうスザナのことはすっかり心から消えていた。




