四章 スターシャ 42 ヘドロバとの対面
・・・三・・・
一歩入ったコボスは、懐かしい風景に迎えられた。低い天井、荒く仕上げられた柱、ひび割れて下地が所々剥き出しになっている壁、木製のテーブルと粗末な椅子、細々と燃える暖炉・・・目に入る物全てが、シュットキエル風にされた室内だった。
・・・こんな部屋があるとは・・・それにしても懐かしい・・・
壮大な屋敷の中にこんなひなびた造りの部屋があるのは意外だったが、一瞬家に帰ったような錯覚に陥った。
コボスは華麗な装飾の部屋より、この部屋の方がくつろいだ気持ちになれた。それをわざわざ考えてくれたのであれば、歓迎の大きさを示すものであり、悪い気はしなかった。
部屋の真ん中に置かれたテーブルに老婆が座っていた。テーブルには隙間なく料理が並べられ、いい匂いを漂わせている。
・・・ヘドロバだな。なるほど・・・スザナから聞かされていたが、そこいらの婆さんにないものを感じる・・・
老婆と相対して椅子が一脚置かれていた。他に椅子はなく、コボスはそこが自分の席だと受け取った。
椅子に座る前にヘドロバに近づくと、川のほとりで摘んだ花を渡した。老婆は上目遣いでチラッとコボスを見たが、無言で受け取った花を花瓶にさした。最初から花瓶があったのは、スターシャに花の土産があると聞いていたのだろう。
椅子に座りはしたものの、コボスは自分から話を切り出さなかった。
二人は見合ったまま、しばらく時間を過ごした。
昨夜から何も食べてないコボスは、目の前に並んだ料理を見ると強い空腹を感じた。対面を早く終わらせて空腹感を満たしたいが、ヘドロバが食事を勧めてくれるまでは、先に手はつけられない。
つばを何度か飲み込んで我慢していたが、空腹を告げる音が出てしまった。
「コボスとやら・・・わしがヘドロバだ。腹が減っているようじゃな。口に合うかどうかわからないが、遠慮せずに食べるがいい。・・・年寄りも食事は楽しみなのだが、一人で食べるのは味気ない。お前もそうだろう。話はその後じゃあ」
二人は黙って食べ始めた。
コボスは久々に料理と呼べるものを口にした。空腹を満たすために次々に手をつけたが、どの料理も美味かった。老婆はそんなコボスをじっと見詰め、つられるように自分も口に運んだ。
無言のまま食べ終えると、老婆は立ち上がり暖炉の前に行った。小さく炎が揺らぐ暖炉の前にも二脚の椅子が並べられていた。ヘドロバが先に椅子に座り、コボスもその横に座った。
ヘドロバはひざ掛けをすると、暖炉の上から本を取り上げた。
「お前の話はスザナから聞いておる。手っ取り早く聞くが、村の鐘とはこの鐘なのか?」
コボスは手渡された本の頁をじっくりと見た。鐘の絵があった。自分の記憶にある鐘に似ているが、同じものとは断言できなかった。
「この鐘に似ていますが、そうだとは言い切れません。それに鐘を見たのはかなり前です」
「覚えている限りでいいから話しておくれ。これを飲めばよりはっきりと思いだせるはずじゃあ」
ヘドロバは小さな器に青い液体を注ぎ、それをコボスに渡した。鼻につんと来る刺激があって一瞬迷ったが、思い切って飲み干した。すると・・・不思議なことに、忘れていた少年時代の記憶がはっきりと蘇ってきた。
「私は仲間達と遊びましたが、どうしても馴染めませんでした。木登りをしても仲間のようにやみくもに高く登りません。枝の強さや高さを考え、落ちた時の心配をしていたのです。川で泳ぐ時もそうでした。仲間は力任せに向こう岸めざして泳いでいきます。でも私は流れの速さと深さ、泳ぎの力を考え、決して無謀な行動はしませんでした」
コボスは記憶を少しずつ話し始めた。
「賢い子供だったのだな」
「それは大人の考えです。子供達には通用しません。無鉄砲で無茶のできる者が尊敬されるのです。私は一事が万事、こんな調子でしたから何時しか臆病者と言われ、一緒に遊ぶ仲間もいなくなりました」
「友がいない・・・昔のわしもそうであった」
ヘドロバがしんみりとした口調で頷く。
「一人遊びする私を両親は心配しましたが、少しも寂しくなかった。むしろその方が楽でしたから。無理に友達の遊びに付き合わなくてもいいし、好き勝手に過ごせるのです。気持ちの赴くまま自由に走り回っていました。そんな時です。不思議な鐘を見たのは・・・」
ヘドロバは目を閉じて聞いている。時折暖炉のまきがはじけ、パチパチと音を立てる。
「その鐘は村のはずれの塔にありました。村では毎日同じ時間に鐘が鳴らされます。村人達は鐘の音で目覚め、働き、そして眠ります。みんな鐘の音が大好きでした。ある日のことです。私は一人で歩き回っている内、いつの間にか搭の近くまで来ていました。そして偶然にも搭の真下で、鐘の音を聞いたのです」
「どう感じた?」
「塔の上から流れ落ちる鐘の音で体全体が包まれ、とても幸せな気持ちになりました」
「うむ・・・それからどうした?」
「美しい音に魅せられ、どうしても鐘を見たくなりました。両親に話しましたが、昔から搭には鐘撞き役、名前はヨードルさんでしたが、その人だけしか入れないと言われました。そればかりか塔の近くへ行くのも止められました。でも・・・子供の私には逆効果でした。止められて逆に関心が強くなったのです。どんなことをしても鐘を見ようと夢中で考えました」
薬のせいですっかり饒舌になっていたコボスは、鐘を見ようとした動機を話した。記憶が鮮明に蘇り、後から後から当時の風景が湧き出てくる。
「毎日二ジータ(二時間)毎に鳴らされる鐘は、休みの日には朝と昼、そして夕方の三回だけに限られていました。それで私は休みの日に忍び込むことにしました。休みの日には朝の鐘を鳴らした後、必ず出かけるのを調べていたのです。鉤のついた長い綱を背負い袋に入れ、弓を持ち、ヨードルさんが出かけるのを待ちました。」
「なるほど・・・子供ながらに感心じゃあ」
ヘドロバはコボスを褒めた。子供時代が目に浮かぶようであった。
「明かり窓から入ることにしました。人が入ると考えられていない窓には、格子がありません。そこが狙い目でした。・・・しかし・・・問題もありました。窓は幾つもありましたが、地面から一番近い窓でさえ木の高さ以上です。子供の力では地面から窓に綱を投げ込めません。壁をよじ登ろうとも考えましたが、円形のきれいな壁にはひび割れもなく、蔦も絡まっていないのです。つまり登る手掛かりは何もなかったのです」
「大人でもいれば任せられたのにな〜。それでその先はどうしたのじゃ?」
「大変でした。入る場所は決めたのに、そこまで行く方法が見つからない。私はそれから何日も考え続け、とうとう確実に塔内に入る手立てを考えつきました」
「うむ、うむ」
ヘドロバもいつしか話に夢中になっている。間接的なスザナの話より何倍も面白い。
「目をつけた窓に一番近い木を選ぶと、大人でも足がすくむ高さまでよじ登りました。塔内に忍び込むには、どうしてもその高さまで登る必要があったのです。登り終えた私は背負った弓を下ろし、矢に鉤のついた綱を縛り付け窓に向かって放ちました。何度か失敗はしましたが、最後には窓の中に飛び込み、綱を引くと確かな手応えがありました。そうなるとこっちのものです。私は幹に綱をしっかりと結び、両手両足で綱を抱きかかえる方法で窓に向かったのです。手を滑らせると命にかかわりますが、怖れる気持ちは起きませんでした。そして窓までたどり着くと、その綱にもう一本の綱を結び、塔内に垂らして下りていったのです」
ヘドロバもその時の様子が想像できるのか、頷きながら聞いている。いつの間にかコボスの手を握っていた。話からその場面を想像するのではなく、記憶の中に入り込んで、その場面を共有していたのだ。
「塔内は窓からの光でよく見えました。中にもう一つ同じ形の搭があるのにはびっくりしました。二重の搭になっているのです。内搭の窓の方が大きいのは、外搭の窓の光をできるだけ多く入れるためでしょう」
子供の時に見た場面だが、記憶は薬のせいで、よりはっきりしていた。
「塔の中に同じ形の塔があるのじゃな。その様子を聞かせてくれ」
「ぐるぐる搭を回る階段を上がりました。うまい具合に小さな踊り場で休めましたが、想像を絶する長さです。踊り場から見上げると階段はまだ上に向かって伸び、私はそこで止めようかとさえ思ったほどです。しかし、まだ鐘は見ていません。再び階段を上がり始めました。そして何とか二つの塔が一つになっている所まで辿り着いたのです」
「よく頑張ったな。それでお前はどうした?」
「そこに扉がありました。そっと押すと開きました。鍵は掛けられていません」
「そんなに大切な部屋でもないのか・・・」
自身に問いかけるように、ヘドロバが小声で言った。少し期待外れかも知れない。
「風変わりな部屋でした。天井から何本も紐がぶら下がり、数えてみると十六本もありました。何気なく手近な紐を一本引いてみました・・・いきなりすごい音がしました。鐘の音です。天井の穴からも入って室内に響きわたり、私は耳鳴りを起こしました。同時に軽はずみな行いを後悔しました・・・」
握っていた手が震え始めた。滑らかに話していたコボスの様子が一変した。顔がこわばっている。恐ろしい記憶がここから始まるのであろう。
ヘドロバは違っていた。彼の急変が話の核心に近づいたことを示すものと感じた。長年追い求めていた宝物へ辿り着ける道標は、コボスの記憶そのものであった。




