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三章 ヘドロバ 35 復讐

・・・七・・・


 アカシュリ」と呼ばれた男に手首を掴まれ、ヘドロバは大木の後ろに連れ込まれた。男達がその様子をうらやましさしげに見ている。自分の番が来るまで、後ろにいかない決まりだった。男達の関心事は、早く順番が回るかどうかの一点に絞られていた。

「お嬢ちゃん、騒いでも無駄だ。大人しくすればそう手荒な真似はしない」

 初めて正面からヘドロバを見たアカシュリは、顔に似合わない優しい口調になった。仲間から離れて二人きりになり、あまりの美しさに怯みそうになった。ヘドロバが怖がってくれる方がまだやりやすかった。目を逸らすことなく見詰められると心が痛んだ。

「アカシュリ、どこか遠いところに行きなさい。あの二人のことは、それで許してあげる」

 少しでも良心が残っていれば、生き延びる機会を与えてやろうと思った。男達の中ではまだましな感じがした。

「ばかなことを言うな。立場がわかっているのか?あの娘のように、俺達に媚びれば助けてやろう。だが俺一人に媚びても駄目だ。後四人いるからな・・・あきらめるんだな・・・それにしてもお前は可愛い顔をしている・・・楽しめそうだ・・・」

 アカシュリは短剣を抜くと、ちらつかせながら近づいた。短剣を見せれば、娘達は大人しくなっていた。「美しい花を無残に踏みにじりたい」との気持ちが強くなっていた。前歯が数本抜けた口からよだれを垂らし、血走った目になった。

 ヘドロバも短剣を抜いた。

「お嬢ちゃん、危ないものは捨てるんだな。怪我をするぞ・・・俺に刃向かう者は女、子供でも容赦しない」

 アカシュリは彼女の抗いを楽しむ気分なのか、ニヤニヤと笑っている。ヘドロバが短剣を両手で胸の前に構えても、臆することなく近づいた。

「ほらほら、手が震えているぞ」

 尚も近づく。ヘドロバは剣を胸の前で構え、目を閉じていた。・・・と、アカシュリはヘドロバの異変に気がついた。一陣の風が吹き付け、髪が煽られて逆立ち、細い身体が大きく見えるのだ。それに顔の血の気が消え、青白くなっている。

 アカシュリは寒気に包まれ、立ち止まった。これまで何度も危機を脱していたが、その時感じた嫌な気持ち以上の悪い予感に襲われた。誰かに見られている気がして振り返ったが誰もいない。

・・・嫌な感じだ。『この娘に係わるな』と俺自身が俺に教えている。どうする?・・・

 娘をこの場に残して逃げ出そうか逡巡した。しかし・・・遅かった。決心するまでヘドロバが待ってくれなかった。

 アカシュリに向かってヘドロバから冷たい風が吹き寄せた。それに包まれた時、体が硬直して動かなくなった。驚いてヘドロバを見ると、さっきの青白い顔がさらに白くなり、異様に光る赤い目がアカシュリを見据えている。

・・・こいつは人間じゃない・・・助けてくれ・・・

 叫ぼうとしたが、声が出せない。

 恐怖に捕らわれたままヘドロバを見るしかなかった。

 笑った。アカシュリにそう見えた。その後ヘドロバが短剣を前に突き出すのが見えた。

・・・何をするつもりだ・・・この娘は・・・

 アカシュリの目に、構えた剣が徐々に伸び始めるのが映った。その剣先は身動きできない自分に向かっている。それでも逃げようとした。だが・・・体は動かなかった。

 近づく剣は止まらない。とうとうアカシュリに到達し、薄汚れた服を貫き、皮に刺さり、その下の肉にゆっくりと刺し込まれた。激痛から逃れたくても身体が動かない。一気に貫かれる楽な死は許されなかった。

「キャー」

 血が地面に滴り落ち始めた頃、やっと叫び声が出せた。しかし、その声は娘の甲高い声で響いた。アカシュリの野太い声が、娘の声に変わっていた。

「キャー、痛いわ・・・助けて」

「許して、一思いに殺して」

「みんな、聞こえないの?早く助けに来て」

 大木の後ろから、娘の悲鳴が何度も聞こえる。順番を待っている男達は、にやついた顔で娘のアカシュリの悲鳴を聞いていた。勝手な想像をして、酒の量が増える。

「アカシュリの奴、いい思いをしておる」

「早くわしらの番にならないかの〜」

 

 悲鳴が途絶えた。叫び声はアカシュリが激痛の中で死ぬまで長く続いた。

「おい、終わったらしいぜ」

「今度は俺の番だ」

「いや、俺だ」

「お前には貸しがある。俺だ」

 醜い争いを男達が始めた。ヘドロバが美しいだけに、お互い譲りたくなかった。

「何をしているのです?」

 男達はぎょっとした顔で振り返った。見ればヘドロバが連れ込まれた姿と同じ格好で立っていた。服に破れはなく、何事もなかったような顔。別の娘が現れたかのようだった。

「娘、アカシュリはどうした?そっ、その剣はどうした!」

 血の付いた長剣を目にして、男達は数歩下がった。ヘドロバは一切答えず、長剣をゆっくり持ち上げ頭上に構えた。男達もようやく事態を察した。

「アカシュリがくたばったようだ。情けなどかけおって・・・」

 アカシュリが乱暴した後で、油断して殺されたと考えた。

「やはり俺の出番だな。あの若造のようになぶり殺しにしてやる。もっとも楽しませてもらった後でのことだが」

 腕に自信のある男が、振り上げた剣を気にする様子も見せず、にやけ顔で近づいた。か細い娘の打ち込む腕を捉え、そのまま押し倒そうと考えていた。気位の高そうな娘に男の本性を思い知らせてやろうと思った。

 ヘドロバが、その男に向かって無言で剣を振り下ろす。

 男は刃風を巻き起こすほどの鋭い剣の一撃に、身構える暇もなく、頭を真二つに割られて後ろに倒れた。男の顔に恐怖の影はなく、にやけた表情のままだった。

 大量の返り血が降り注ぎ、ヘドロバの真っ白い顔が血に染まる。倒れた男の首を刎ねて手に持つと、残る三人に見せて微笑んだ。男の目が突然開いて、三人を睨んだ。

「あなた達もこうなるのよ」

 にやっと笑って、その首を足元に落とした。そして再び剣を上段に構えて歩き始めた。

「わ〜、化け物だ〜」

 恐れをなした残りの三人は、剣を抜くのも忘れ、逃げだそうとした。しかしアカシュリ同様、一歩も動けなかった。ヘドロバは、片手を斬り、片腕を斬り、足を斬り、耳をそぎ、背中を薄く斬り・・・とゆっくり時間をかけ、男達に苦痛を与えた。男達は隣の男が斬られても助けられず、叫び声を上げているが、その声は娘の声になっていた。叫びながら、さっき笑って聞いた娘の悲鳴がアカシュリだったと、身を持って思い知らされた。

 二人の惨殺を横目で見せられ、残った最後の男は、必死で命乞いをする。口から出る言葉は、やはり娘の声になっていた。悪魔の足音が背中に迫り、彼の命は風前の灯火と化していた。

「お願い、許して。何でも言うことを聞くわ」

「お前に聞きたいことがある」

 低く篭ったヘドロバの声を背中で聞いた。背中に痛みはない。まだ斬られていないが、死の使いがすぐ後ろにいるのには変わりがない。

「助けてちょうだい・・・何でも話から」

「どうして若い二人を狙ったのだ?娘の身体が目当てか?」

「違うわ。私達は女ならお金で買えます。無理にお尋ね者にはなりたくないわ」

「では、何故?」

「声が聞こえたのよ」

「声?」

「そうよ。『お前達、あの二人を殺しなさい。消えてしまえばいいと思うほど、二人が嫌いなの』と。五人とも同じ言葉を聞いたの。そこにあの二人が現れたわ。だから・・・俺達は・・・」

 途中から男の声に戻った。同時に自由を奪っていた目に見えない力が消え、身体が動かせるようになった。今までの金縛りが解け、思い通りに身体が動く。

 男はそのまま駆け出した。背中に痛みはまだない。

・・・二人が死んだのは、私のせいだわ。私の邪悪な心が、邪悪な行為を男達にさせた・・・

 信じられない言葉を聞いて、ヘドロバは大きな衝撃を受けていた。逃げ去る男の背中を虚ろな目で見ていた。男を追いかける気もおきなかった。

 ヘドロバは家に帰って閉じこもった。自身の力が怖くなった。

・・・小さな怒りが二人の命を奪った。もっと大きな怒りに包まれれば、大勢の命を奪ってしまう。その時残忍な魔女と呼ばれるわ。人々から憎まれ、夢も笑顔も感情も出せない魔女。そして最後には自身の力を押さえきれず、身を滅ぼしてしまう・・・

 悩んだ末、生まれた町を離れる決心をした。感情を抑え込む術を知る者を捜し、どんなに長い時間がかかろうと、その術を得ようと決意したのである。


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