三章 ヘドロバ 33 戦場のコボス
・・・五・・・
コボスとヘドロバは不思議な出会い、運命づけられた出会いをしていた。
鍛冶屋の息子としてシュットキエルで生まれたコボスは、他の子供と同じように父親の仕事を受け継ぐ夢を持ちながら育った。鉄を鍛え鎌や鋸を作り出す父親の仕事に誇りを持っていた。毎日のように鍛冶場に行って、父親の仕事を一日中見ていた。真っ赤に焼けた鉄、鉄槌が打ち下ろされる度に飛び散る火花と音・・・目を輝かせながら見ていた。父親に教わらなくても若者と呼ばれる頃には、父親も認める一人前の鍛冶屋になっていた。
「コボス、後は嫁さんだけだな。今度のミエコラル祭りでいい相手を選べ」
「親父、任せてくれ」
誇りを持てる仕事と認められた腕。何もかもが上手くいっていた。そんな時にドルスパニア王国との戦いが始まった。仲間のようにセレヘーレン・テスを待ち焦がれる気持ちは抱かなかった。同じ人間が殺し合う戦争を憎んでさえいた。しかし、皮肉なことにセレヘーレン・テスをセルフルに続いて、二番目に受け取った。長老達は鉄を鍛える逞しい体を高く評価し、賑やかに送り出す名誉をコボスに与えたのだ。
新兵を訓練する教官は一目見ただけで、コボスの秘められた力を見抜いた。鉄を鍛える鍛冶屋の身体は、自身が考える以上に兵士に適していた。
「お前はずっと鉄を鍛えてきた。今度は俺がお前を鍛えてやろう」
教官の言葉に嘘はなかった。コボスの力をもっと伸ばすために熱心に指導し、新兵の中でも傑出した力を持つ模範兵として育て上げた。教えられた剣の速さは仲間を遙かに凌ぎ、腕に自信のある教官達も楽に勝てない腕前になった。ヨコスミカサ城で行われた新兵部隊任官式では最優秀兵の一人として表彰された。
優秀兵は例外なく激戦地に送られる。コボスも例外でなかった。いきなり百人の部下を持つ小隊長として任命された。
「私などに指揮は無理です」
軍事知識をほとんど持たないコボスは尻込みした。教官に一兵士にしてくれるように頼んだ。
「それは無理だ。確かに平和な時代ならお前が小隊長になることはない。しかし今は非常時だ。軍歴の長短で選ぶ場合ではない。兵士達は指揮官の背中を見て戦う。指揮官はそれほど大切な役目なのだ」
教官はコボスに役目を説いた。
「しかし、私は仲間に死ねとは命令できません」
「それは違う。戦場で生き残られるのも指揮官次第だ。考えてみろ。一万人の軍団に小隊長は百人いる。小隊長の上に二十人の中隊長、十人の大隊長がいる。そして大隊長をまとめる一人の将軍だ。それでは誰が戦う?」
教官は軍団の指揮系統図を見せながら説明した。一番上に将軍がいて、枝分かれしながら下に続いている。将軍、大隊長、中隊長、小隊長、分隊長・・・。一万人の兵を統率する組織が一枚の紙上に浮かび上がっていた。
「いいか、実際に戦うのは小隊長以下の者達だ。中隊長以上は戦況を見ながら作戦を指揮する役目だ」
教官は人差し指でとんとんと紙を叩きながら、コボスの顔を見た。
「もうわかるだろう。百人の小隊長が勇敢であれば、軍団は精鋭軍となる。だが長引く戦いで小隊長となるべき者が消耗している。戦いでは常に先頭に立たねばならないからな。新兵はセレヘーレン・テスで集められる。しかし小隊長はそうはいかん。そこが悩みの種なのだ。わしはお前にその素質があると思った。だから推薦したのだ。いいか、仲間を殺すのではなく、生かすために小隊長になった。そう思え」
教官はそう言ってコボスの肩を叩いた。もう引き下がるしかなかった。大きな組織の小さな歯車になったのだ。
コボスは新任の小隊長として最前線の軍団に配属された。すぐに部下達を整列させた。
「小隊長、全員揃いました」
これまた新任の分隊長が報告する。十人ずつ縦列に並んだ兵士を壇上から見た。前日十人の分隊長を集めていた。八人が新任で古参の分隊長は二人に過ぎない。名簿を見たが、新兵もその割合だった。「ここは新兵の訓練場ではありません。苦労しますよ」と、古参の分隊長が皮肉を込めた口調で言った。
部下の不安げな目がコボスを見上げている。血の臭いを嗅いで、生やさしい戦いでないことを皆感じていた。セレヘーレン・テスで浮かれた気持ちは過去のものになっていた。
「よく聞け、明日から猛訓練をする。死にたくなかったら必死でやれ。俺は鍛冶屋の小倅だ。鍛え方は知っている」
朝から夜遅くまで猛訓練を実施した。他の小隊から笑われるほどの熱心さであった。
最前線では訓練だけで終わらない。ましてや戦争中であり、実戦で敵兵と戦う状況はすぐに訪れた。
ドルスパニア王国軍は強敵だった。ショコラム王国と変わらない軍団編成であったが、格段に優れた兵器を持っていた。轟音と共に遠距離から槍と矢が飛んで来た。激突する前に大きな被害を受けるから、敵方一軍団に対して味方は倍の軍団を当てなければならなかった。奇襲戦や夜襲でしか対等に戦えなかった。
コボスはまだ生き残っていた。毎日懸命に戦っていた。部下達も戦いの中で逞しくなっていたが、まったく無傷ではなかった。分隊長の半分が命を落とし、一般兵もそうであった。それでも小隊の人員は次々に新兵が送られて来るから、変わらなかった。
決して臆病者ではないが、殺し合いが嫌なコボスにとって戦いは苦痛だった。しかし戦場では敵は待ってくれない。見逃してもくれない。自身や部下を守るために、剣を抜き戦わねばならない。襲って来る者は全て敵と考え、斬り伏せた。手加減したくても、乱戦の中ではそれだけの余裕は持てない。時には部下を失った怒りに任せて自分から討って出ることもあった。戦場では人間性は失われ、平和時の個々の性格は歪んでいく。初な新兵達も人殺しに慣れ、いつしか手柄として誇るようになった。敵を倒せば倒すほど昇進するのだ。新兵を指揮する上官も夢ではなかった。
コボスは次第に落ち込んでいった。生身の敵との命のやり取りが重荷になっていたのだ。
戦えば戦うほど自身から良心が消え、生き残れば残るほど自身が悪意に支配される気がした。鏡に映る顔の醜さに、何度目を逸らしたことだろう。この頃は鏡を見るだけで身体が震えるようになった。悪夢にうなされ夜中に何度も目を覚まし、眠れない日が多くなった。戦場で血まみれになったと飛び起きたら、寝汗を流れるほどにかいた自分がいた。身体を震わせながら夜明けを待つ惨めな姿。身体は生きているが心の死ぬ日は近い・・・
苦痛に苛まれ、死の予感を強く感じるようになった頃、偶然にも軍の拘束から逃げ出せる機会が訪れた。それは何回目かの出撃で敵の策略に嵌いり、軍団が敵の重囲に陥った時に生まれた。敵の軍団は四軍団の大勢力だ。ただでさえ弱いショコラム軍ではまともに立ち向かえる相手ではなかった。降伏を促す使者が将軍の元を訪れた。自暴自棄になった将軍は五人の大隊長の反対を無視して、その使者を斬ってしまった。
一方的な戦いが始まった。孤立した軍団に救援軍は来ない。四方から怒濤の攻撃を受け、防衛網はたちどころに突破された。使者を殺された敵軍は、傷ついて倒れた味方も容赦なく止めを刺す。コボスの小隊も追い詰められた。部下に構う余裕などない。自身も人数に勝る敵に斬り立てられ、逃げ道を捜しながら剣を振るう悲惨な戦いを強いられていたのだ。
右手一本で追いすがる敵兵を次々になぎ倒した。斬った相手が倒れるのを見届ける間もなく走り出し、近づいた敵を背中に感じると振り向きざまに一撃で仕留める。そしてまた走る。一度でも足を止めると何重にも取囲まれ、力尽きて殺されてしまうのだ。敵を怯ませようと必死の形相で斬りまくった。
戦いながらも部下の姿を目で追う。十数人に減った小隊は何倍もの敵とまだ戦っていた。互いに励まし合いながら剣を交えていたが、人数に劣る味方は一人、また一人と倒れていく。そんな中で剣を片手で使えるコボスは走りながらの戦いができ、両手で剣を使わなければならない者よりも有利であった。それが小さな傷は負っているものの、コボスをどうにか生き残らせる武器になっていた。
戦いはなおも続いた。
コボスはまだ戦っていた。顔だけでなく身体まで血に染め、目をつり上げて血刀を振り回す姿は悪魔じみていた。敵兵は暴れ狂うコボスを怖れ、取り残された部下に向かった。
コボスは敵兵の目が逸れた瞬間を狙って、近くの茂みに飛び込んだ。心臓が張り裂けそうな勢いで脈打つのがわかる。犬のように大きく口を開け、何度も息を吸った。
目の前では悲惨な戦いが終わりを迎えていた。わずかに生き残っていた部下が斬られていく。何人にも取り囲まれ、悲惨な最期だ。コボスが潜む茂みに古参の分隊長が斬られて倒れ込んで来た。敵兵に引き摺り出される彼と一瞬目が合った。彼は片目をつぶって別れを告げ、背中を何回も剣で突き抜かれて息絶えた。
最後の抵抗も短時間で終わった。斬り殺した兵数を確かめるため敵兵は倒れている味方の耳を切り取り始めた。少しでも痛がる声を立てた者は止めをされた。コボスはおぞましい行為を止めることはできなかった。敵兵は手柄を自慢しながら去って行った。
ようやく茂みから出られた。周囲は片耳のない死体だらけで、血の匂いが濃く漂っている。今朝まで話し、笑い興じていた部下が冷たくなって転がっていた。
・・・俺はこの戦いで死んだ。もうシュットキエルに戻らない・・
コボスは戦いが心底嫌になり、軍から脱走する決心をした。この激戦で戦死したように見せて、世の中から自分を消すことにした。軍団の全滅がコボスには幸いした。生き残りを報告する者はいない。仲間の死が希望を持たせてくれたのだ。戦死した敵兵に自分の服を着せ、岩でその顔を砕き、自分の身代わりにした。
・・・名誉の戦死者として国からシュットキエルに報告され、すぐに葬儀が執り行われるに違いない。親父と姉さんは悲しむだろうな・・・
戦死報告されれば死者は蘇れない。生きる戦死者には戻る場所もなく、行く当てのない旅をするしかないのである。




