三章 ヘドロバ 32 夫との再会
・・・四・・・
ヘドロバはその晩の宿営先として村人の家を選んでいた。その家は多くの兵士が宿営する広場から離れた目立たない場所にあった。
「ヘドロバ様、ここは敵地です。お一人だけでは危険すぎます」
イロガンセ将軍は一人で空き家に泊まると知ると、何度も警護兵を置くように勧めた。将軍にしてくれた彼女に気配りを示したのだ。しかしヘドロバは聞き入れようとはしなかった。イロガンセ将軍は彼女が露骨に迷惑顔をするまで粘ったが、彼女の意志が固いと知ると、それ以上勧めるのをやっと諦めた。
「心配するな。わしを誰だと思っている?」
「しかし・・・。そうだ、警護兵がお嫌なら、周囲の家に腕の立つ将校を泊まらせましょう。交代で巡回させて警戒させます」
自分でも妙案だと思った。上級将校の中には、ヘドロバのように空き家で一晩過ごすことを望む者もいた。使い勝手のいいセルタより、かび臭くても壁に囲まれた部屋の方がくつろげるからだ。周囲の家であればヘドロバも承諾するに違いなかった。
「将軍、何度も言わすな。周囲の家にもだれも近づいてはならん。お前は金色紋章を見せないと命令として聞けないのか?」
こうまで言われては引き下がるしかなかった。空き家での宿泊希望の将校を集めると、ヘドロバの周囲の家を使うことを禁じた。もっとも将軍に命令されなくても、ヘドロバのいると思われる場所で空き家を探す者はいなかった。まだコレーション将軍の無残な最期が焼き付いていて、へドロバの近くで夜を過ごそうと考える者は一人もいなかった。
「まったく将軍の粘りには呆れてしまう。邪魔だと言っているのに何故わからぬ?」
ヘドロバが家の周囲を開けさせたのは理由があった。夕方の狼煙見て訪ねて来る者を誰にも見られたくなかったのだ。
暗闇が包み込んだ。待ち望んでいた時間に近づくにつれて、胸の鼓動が高まる。将軍を追い返し、急いで支度をした。完璧とまではいかなかったが、何とか満足できるまでになった。
テーブルの上に小さな蝋燭を並べた。呪文を唱えながら全ての蝋燭を灯した。椅子に腰掛けて蝋燭を見詰める。弱々しい灯だが、ヘドロバには大きな希望の灯だった。
吹き消していないのに、一番遠い蝋燭が消えた。ヘドロバが微笑む。暫くして次の蝋燭が消えた。そしてまた次の蝋燭が。
「また近づいたわ」
気持ちが高まっていく。待ち人が家に近づくにつれて蝋燭が消えるヘドロバの魔法はうまくかかっていた。最後の一本が消えた時、扉を軽く叩く音がした。待ち人が着いたのだ。
胸の鼓動が早まる。扉の向こうに愛する人が立っている。大きく息を吸い込むと、扉を開けた。
「あなたを待ち焦がれていた。さあ、早く入って」
ヘドロバはその訪問者を輝く笑顔で迎えた。
「合図を見てくれたのね。嬉しいわ。あなたと離れるのは一日だって嫌。一人でシュットキエルに行かせてから、ずっと心配していたの」
老婆とは思えない言葉使い。それもそのはず。訪問者を迎えたのは、白いドレス姿の若い娘・・・だった!
胸元と形のいい耳には、同じ意匠の首飾りと耳飾り。雲間から顔を出した月光を浴びてほのかな光を返していた。髪を結い上げているせいで背中が大きく開いて見えるが、白い首筋から生まれる清楚さがこぼれおちそうな色香を打ち消していた。ただ唇だけは赤く塗られ、娘には到底出せない艶めかしさがあった。
「君に会うために駆けて来た」
「嘘おっしゃい。蝋燭はそんなに早く消えなかったわよ」
「はっはっは。君には嘘はつけないな」
ヘドロバが周囲から兵士を遠ざけたのはこのためだった。気味の悪い老婆が気品を漂わせる美しい娘に変身できると知られたら、ドンジョエル国王の紋章どころの騒ぎではなくなってしまう。あまりの気味悪さに遠征軍そのものが崩壊してしまうだろう。ドンジョエル国王への報告を止めるために、全兵士の命を奪わなければならない。
村人の立場も同じだった。訪問者の顔を見たら驚くに違いなかった。なぜならヘドロバが待ちわびていた者が、敵軍来襲を村に知らせ、避難させたコボス本人だったからだ。コボスに対しては悪意を抱かぬまでも、魔女を愛している男を受け入れるまで寛大ではなかった。
「ずっと一人きりで寂しかったわ」
ヘドロバはコボスを抱きしめると、耳元で甘えるようにささやいた。
「俺も同じ思いでいた。今日はゆっくり眠りたい。森での野宿はつらかったなあ」
「それも嘘でしょ。私と離れられて羽根を伸ばしていたくせに」
踊るような足取りでコボスの手を引いた。
「おっ、これはうまそうだ」
テーブルに並べられた料理を見て、思わずコボスが声を上げた。ヘドロバが注意する前にもう肉を手掴みして口に入れていた。
「お行儀の悪い人」
その振る舞いがヘドロバの胸を熱くさせた。
「こっちに来て」
コボスをそのままテーブルにコボスをつかせず、腕を組んで隣の寝室に導いた。せっかくの化粧とドレスがふいになっても、大切な時間を過ごしたかった。
「目的の鐘を手に入れたからには、夜が明け次第出発するのだろう。俺は君と一緒に行かねばならないのだな」
「当たり前よ。あなたは警護役であり、私の夫よ。一緒に帰るのが当然よ」
「君と夫婦なんて誰も思っていないだろうな」
「そうね」
妻は夫の言葉の中に迷いを読み取った。
「何だか後ろめたい気持ちがしてならない。」
コボスは村人達を騙した罪悪感があって、彼女の誘いに乗る気になれなかった。
「裏切ったわけではないでしょ。明日にはこの村を離れるわ。あの村人達は鐘以外に失うものはないのよ。敵の軍隊に攻め込まれて、鐘だけで済んだのを喜ぶべきだわ」
「そうだな。君の言う通りだ」
「ね・・・それより私を抱いて・・・」
コボスは妻の言葉でやっと安心した。長く会えなかった夫として、妻への愛を示したいと思った・・・やがて寝室から彼女の甘い声がかすかに聞こえ始め、それはテーブルの長い蝋燭の灯りが燃え尽きるまで続いた。二人は会えなかった時間を少しでも早く埋めるかのように何度も抱き合い、そして十分に愛を確かめ合った。
「戦いに行った者以外、村人達は森の隠れ場にみんないるのね」
コボスの逞しい胸を人差し指でなぞりながら、ヘドロバは遠征軍の指揮者として話を切り出した。鐘に細工した者の名が知りたかった。
「君の指示通り一カ所に導いた。あの場所でじっとしていれば、遠征軍が探さない限り安全だ。ここに来る前にも、『村の様子を見に行く。俺が戻らなくても心配するな。四日後に村に戻ればいい』と言い残した」
森に戻る気持ちはなかった。遠征軍を出発させれば誰一人犠牲者は出ない。その指揮者は愛する妻だ。誰にも邪魔されるはずがなかった。鐘の話をして遠征軍を呼び込んだせめてもの罪滅ぼしであった。
「間違いないわね。とても大事なことなのよ」
ヘドロバの念押しに、コボスは眼を閉じて記憶をたぐる。彼女は簡単に聞くが、子供を含めると決して少ない人数ではない。
「そう言えば三人ばかし顔を見なかった」
一人一人の顔を思い浮かべている内に、気になる三人の顔が浮かんできた。ポレル、バーブル、サイノスだった。
「鐘に係わる人がいるんじゃない?」
「鐘・・・か・・・ヨードルさんがその役目だが、セレヘーレン・テスを受け取り、今はこの村にいない。どこかの戦場にいるはずだ」
「その家族は?」
「家族?・・・いる・・・そうだ・・・奴は三人の内に一人だ」
バーブルの顔を思い浮かべた。
「どんな人?」
「俺より年下だ。まだ召集されてないからな。シュエードという楽器の名手だ」
コボスもミエコラル祭りの余興で聴いたことがあった。心が清められるような音色だった。
「森にいないとすると、どこへ行ったのかしら?」
「さっぱり見当がつかない。ただ父親のように鐘を愛していたら、持ち出された鐘を追いかけ、この近くにいても不思議ではない。俺がこの家に来たのを見られたかも知れないなあ・・・」
コボスは他人事のように、のんびりした声で言った。二人の関係を知られても、ヘドロバの正体さえ隠しておけば、男女の仲におおらかなシュットキエルでは後ろ指を指されない。それにしばらく戻る気もないので、どうでもよかった。
「私達の関係まで見破っているかしら?」
「そうだとしても夫婦とは考えつかないだろう。怪しいとは思うだろうが・・・」
「困る?」
「今更・・・出迎えた美しい君を見たら、君に溺れて敵方に内通したと諦めてくれるだろう。鐘については謝りたいが、村人達を守る最低限のことはできた。後悔はしていない」
嘘、偽りもない本当の気持ちだった。敵国の娘と愛し合う関係になったが、敵軍の襲来を告げて犠牲者が出るのを防いだという自負があった。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、お姉さんがいるのでしょう。ゆっくり話もしないで別れていいの?友達だっている。それに多くの知り合いやたくさんの思い出・・・それらを全てここに残して行けるの?二度と帰れないかも知れないのよ」
「君と結婚した時・・・いや・・・戦場で死んだことにした時から、過去の一切を捨てた。だから君と一緒に生きていくと決め、誓いの書にも署名した。愛する君がいれば他には何もいらない」
何度でも聞きたい嬉しい言葉だった。しかし、それでも不安を拭いきれない。夫が「村から離れたくない」と言い出すのを恐れた。口では悔いてないと言いながら、村人に対する後ろめたさと、生まれた村への思い入れが完全に消えていないのを感じていた。一日でも早く村を離れたいと思った。
「あなたの気持ちが聞けて嬉しいわ。明日すぐに出発しましょう」
「賛成だ。俺もシュットキエルに長くいたくない」
シュットキエルを離れたい二人の気持ちは一致した。明日になればヘドロバが命令を下し、遠征軍はこの地を離れる。鐘を持ち去る目的も達し、ドルスパニアへ帰るだけの気楽な旅が始まるのだ。もう二度と夫婦は離れ離れにならない。




