三章 ヘドロバ 30 本性
・・・二・・・
「この部屋の見取り図を描くのじゃ」
ヘドロバは訝しげな将軍には目もくれず、兵士に命じて室内の見取り図を詳細に描かせた。特に今回の遠征では、この手の専門職の兵士を何人も同行させていた。図面にさえしておけば、いつでもこの部屋が再現できるからであった。
「将軍以外この部屋から外に出るのじゃあ。呼ぶまで誰も入ってはならん」
図面が完成すると、兵士達を追い出した。兵士達に邪魔されず鐘そのものを見ようと思った。
室内にはコレーション将軍とヘドロバだけとなった。
「コレーション将軍。お前は幸せ者じゃあ。これまでに幾多の美しいものを見ておるじゃあろうが、それらが全部色褪せるほどのものを、今から見せてやろう」
「ヘドロバ様、そんなものがここにあるとは思えませんな。ここにあるのはボロ皮をまとった鐘らしきものだけですが・・・」
「いいから、その皮をとってみろ。あまりの美しさに目がくらむはずじゃ」
コレーション将軍は、ヘドロバが妙に興奮しているのを見て、意外な感じを受けた。
・・・まったくこの婆さんには泣かされる。陛下の命令だから仕方がないが、少々頭にも来る・・・
コレーション将軍は鐘などどうでもよく、少々ばからしくなっていた。もともと鐘になど興味が湧かず、不気味な老婆に指揮される遠征にも不満を持っていた。旧知の将軍とその部下達は、戦で手柄を立てて、どんどん出世している。自分達は敵と出会っても戦いを禁じられ、攻撃された場合に限り、戦うように厳命されていた。敵が小兵力の場合はそれもできるが、同等かそれ以上の兵力で先に攻撃された時には、勝利は覚束ない。国元の役人どもの身勝手な命令に腸が煮えくり返っていた。その上老婆に率いられ、運の悪さといったら笑ってしまうほどであった。
コレーション将軍は、ヘドロバに指示されて大きな輪を回した。輪を回す度に徐々に皮が巻き上げられ、下から奇妙な姿をした青色の鐘が現れた。縦長で上部が円丘形だ。表面には多くの小さな円形の模様が並び、見たことのない不可思議な文字が刻まれている。
・・・ほ〜、変わった形じゃあ・・・
興味は少し湧いたが、ヘドロバのように夢中になれなかった。
「ヘドロバ様、これでよろしいですか?」
綱を全部巻き上げたところで、ヘドロバに声をかけた。
「こんなはずがない・・・こんなはずが・・・。もっと美しいはずだ。将軍、きっと手入れ不足で汚れがついておるのじゃろう。何かでこすって、汚れを落としてみてくれ」
さっきまでの興奮が消え、冷静だったヘドロバがなぜか慌てふためいている。何か思い違いが生じたようだ。
・・・おっ、婆さんがどうしたことだ。これは見物じゃ・・・
将軍は彼女の取り乱し様に、内心少なからぬ溜飲を下げた。
「承知しました。それは若い兵士にやらせましょう。我々には無理ですからな」
そう言って、部下を呼ぶために部屋を出て行った。ヘドロバは将軍の勝手な判断を叱りもせず、まだ呆然として薄汚れた鐘を見ていた。
コレーション将軍が部下と戻って来た。兵士達は水を入れた桶や布切れ、踏み台、梯子などを持っていた。
「いいか、この鐘を磨き上げろ。今はこんな冴えない色だが、ヘドロバ様が申されるには『この鐘がこの世のものとは思えないほどに美しくなる』とのことだ。わしにはそうは思えないが御命令だ。・・・とにかくやってみろ」
兵士達の視線が鐘に集まる。確かに将軍の言うように鐘は醜かった。表面は青く薄汚れ、錆まで浮かんでいる。
「かかれ」
命令された兵士達は、交代しながら布切れで鐘を磨き続けた。布を次々に替えながら必死で磨くが、がさついた表面で布地はすぐに破れてしまう。水を掛けたり油を付けたりしても、鐘には何の変化も生じなかった。
「コレーション様、磨いても、磨いても美しくなりません」
「この汚れは本当に取れるのでしょうか?」
磨いて、磨いても鐘の汚れは少しも取れず、兵士達もいいかげん飽きてきた。それに狭い室内は大勢の兵士の熱気で暑くなり、埃まみれ、汗まみれの仕事となっていた。コレーション将軍に対して、目で中止を訴える者が多くなった。
「もういい。作業を中止しろ。いくらやっても同じだ。ヘドロバ様、見ての通りで、美しくはなりませぬ。言うならば婆の化粧と同じで、塗り重ねたものをとっても元の娘にはなりませんよ。余計地肌が醜く見えるだけです。なあ、みんな・・・そうだろう」
勝手に中止命令を下したコレーション将軍は、ヘドロバに対する皮肉を込めて大声で言った。兵士達からも期せずして大きな笑い声が起き、「ねえ、私って綺麗かしら」と、ぼろ布を頭にかぶり、腰を左右に振る兵士もいた。その姿を見て皆がさらに騒ぎ立てた。
コレーション将軍は、皮肉が珍しく受けたので大胆になった。ヘドロバにいつも叱られている情けない将軍としての不評を一気に晴らそうと、思慮もしないで言葉を続けた。声も大きくなり、彼女への蔑みも混じった語調になっていた。
「おいおい、いいかげんにしろ。わしの言葉をどう受け取ったか知らないが、ヘドロバ様に当てつけるような真似はお叱りを受けるぞ・・・はっはっは・・・ヘドロバ様、鐘は申されたようなものではありませんでしたな。失礼ながら、私も何が美しいかは判断できます。この鐘はここに置いたまま国に帰り・・・・」
皮肉な笑い顔で言い始めたその言葉を、最後まで言い切れなかった。彼の首はヘドロバが振り向きざまに斬りつけた剣により切断され、高々と宙に飛ばされていた。首を失った体は、大柄の将軍の重みを示すように、鈍い音と共に床に倒れた。
床に落ちた首は、ころころと音を立てて兵士達の足元に転がった。その顔は皮肉じみた表情のままであった。
兵士達は目の前の出来事を、信じられない思いで見つめていた。「『血が凍る』との言葉の意味がわかった」と、後日仲間達に告げた場面だった。
「将軍以外にも誰かいるか?わしに斬られたい者は・・・」
形相の変わったヘドロバに言われて、兵士達は鐘より真青になって震え上がった。
「磨くのはもうよい。この鐘を部屋の外に出す。櫓にいる者に外塔を壊すように伝えろ」
次の犠牲者になりたくない伝令の兵は、螺旋階段を一気に駆け下り、櫓を作っている指揮者に、起きたばかりの惨劇と彼女の命令を伝えた。伝令はここでの失敗は将軍のような死につながる言い方をして、搭を壊すのを少しでも急がせようとした。
「ヘドロバ様は大変なお怒りようです。内塔は一ジータ(一時間)かかりました。外塔はもっと短い時間をお望みです」
命令を受けた指揮者も焦った。コレーション将軍を斬罪にした怒りの大きさに衝撃を受けた。受けた命令をすぐやり遂げなければならない。自分に残された時間は少ないと震え上がった。
彼はいきなり剣を引き抜くと、「ヘドロバ様のご命令だ。外塔を壊して鐘を取り出す。手抜きする者やしくじる者がいれば、即座にわしが斬捨てる。よいか、嘘ではないぞ。心してかかれ!」と大声で命令した。
櫓がほぼ組み上がり、のんびり構えていた兵士達は、血相を変えた上官の命令に慌てると、鉄槌や木槌、丸太を使って壁を夢中で壊し始めた。外塔の壁は内搭の壁より厚かったが、組上げた櫓の使い勝手のよさもあって、短時間で大穴を空けることができた。それに合わせて、鐘を運び出す通路も作られた。
「うむ、これでよい。慎重に鐘を取り外して、地面に下ろす」
ヘドロバの怒りが納まったかどうかは、老婆だけに顔には出ていなかった。兵士達の緊張は続く。
傷つかないように鐘を皮で覆い、さらに厚い布でその上から何重にも巻いた。そうした後、円丘形の頂点にある金具に大綱を通して地面に慎重に下ろした。数百人がかりでの力仕事となるはずだったが、櫓に取り付けられた滑車の組み合わせで、数十人の力だけで作業は終わった。兵士達は鐘の大きさに驚いたものの、それ以外は何の感動も示さなかった。むしろ隠すように運び出されたコレーション将軍の遺体に衝撃を受けていた。
鐘はそのまま頑丈な荷車に載せられ、太い綱を使ってしっかり固定された。無言のまま懸命に作業する兵士達の顔は、コレーション将軍の惨劇を聞いたせいか一様に固かった。
「よくやった。これは褒美じゃ」
ヘドロバは櫓の指揮者を褒めると、金貨を無造作に数枚投げ与えた。
指揮者は大いに面目を施したが、コレーション将軍の最後を思うと、素直に喜べなかった。将軍の副官ですら、「積み終えました。広場へ戻れます」と、離れた場所から大声で報告し、ヘドロバに近づこうともしない。将軍を斬られた部下としての復讐心や、彼女に対する敵愾心などは微塵にも出さなかった。将軍の遺体は塔の近くに埋められた。




