一章 シュットキエル 3 ショコラム王国
・・・三・・・
村人達がシュットキエルという小さな世界で幸せに浸って暮らしていた頃、ショコラム王国は大きな争いに巻き込まれていた。この争いが本格的な戦いになり、王国民の人生を大きく変えていくことになった。
ショコラム王国は他国と争うような問題は抱えていなかった。領土拡大のために他国に攻め入るほど野心的でもなかったし、他国から攻められるほど弱国でもなかった。周囲の国とは国王一族の姻戚関係が作られ、友好的なものであった。ところが他国間の争いに巻き込まれ、どちらかに荷担しなればならない選択を迫られる立場になった。その選択とは急激に力を伸ばして来た新興国のドルスパニア王国と、隣国の大国、サレルリア国の争いに端を発していた。サレルリア国は隣国という地理的な関係から、先々代からの交わりも深く、深く愛している妻はその王家の姫であった。
「お父様から助力を求める使いが来ています。お願いですから、お父様を助けて下さい」
今まで泣き顔を見せたことのない妻から、涙を流しながら訴えられると、
「わかっている。お前の願いをわしが拒んだことは一度もない」と安心させた。しかし、妻を抱きしめながらも、ショコラム2世はドルスパニア王国のドンジョエル国王の顔を思い浮かべていた。
若き日のショコラム2世とサレルリア国のカシャール姫との結婚式。平和な時代で周囲の国々だけでなく、遠くの国々からも国王自身やその親族が参列した。多くの来客者の中にドンジョエル国王がいた。何百人もの招待客の中でショコラム2世がドンジョエル国王を記憶しているのは、強烈な印象を与えられたからだ。
結婚式が終わった後、心配りをするショコラム2世は人数の制限で結婚式に出られなかった来客者をもてなそうと、翌日王宮の庭園で大宴会を開いた。季節も穏やかで、自慢の庭園には美しく花が咲き、夜の壮麗な結婚式とは違った明るさになった。庭園は広大で小小国の国王代理はおろか従者まで出席できた。宴会に出ただけで、「王家の結婚式に出られた」と自慢できるのだ。招待された者達は大いに満足した。
ショコラム2世は美しい妻を伴って招待客の席を回った。国王夫妻を迎える席の者は、立ち上がって挨拶をした。
「今日はありがとう」
「遠い国から大変でしたね」
「これが私の妻です」
短い言葉を残して次の席に向かう。この繰り返しだったが、招待客は感激して身を震わせた。
一通り席を回り終えた国王夫妻は一段高く作られた正面の席に戻った。ここから結婚の祝い品を受け取る儀式になる。大きな国の献上品は式場に持ち込まれるが、その他は読み上げられるだけだ。それでも結構長い時間になる。その長さがその国の力の目安になった。
大宴会の会場に異変が起きた。出席者の視線が集まる中、数十頭の馬に乗った正体不明な一団が庭園に入って来た。全員狩装束姿で、背中に弓を背負っている。先頭の馬に乗った大柄な若者がこの集団を頭らしい。殺気だった様子は見せず、涼やかな顔をしている。
「無礼者、この場を何と心得る!」
国王夫妻のお付きの者が叱責するが、その若者はにやにやと笑うだけで、何も答えなかった。
「うーむ」
警護兵を呼ぼうにも結婚を祝う宴会だけに配置されていない。それでも出席していた軍の将校が役には立たない儀式用の剣を抜き、何十人かでその一群と国王夫妻の間に人垣を作った。
「皆の者、下がれ。その方達が何者であれ、この場所に来られたのは私達の結婚を祝うためであろう」
ショコラム2世は臣下を下がらせ、大胆にも新妻の手を取って壇を下りた。馬上の若者が下馬するのを見て、全員が同じようにした。
「はっはっは。さすが・・・噂通りに腹が据わっているな」
役者と見間違うほどの整った顔をした若者が初めて口を開いた。顔は日に焼けている分、笑った時溢れた白い歯が印象に残る。
「あなたは?」
「私はドルスパニア王国のドンジョエルだ。今は小さな国だが、この国以上の大国にしてみせる。野暮用があって近くの国に来ている。評判のショコラム2世がどのような男だと知りたくて顔を見に来た」
「そうですか?楽しんで下さい」
それには答えず、ドンジョエルは馬に飛び乗った。部下達も従った。
「こんな席は性に合わぬ。お主と話せてよかった。そろそろ失礼する。そうじゃ、祝いを渡そう」
ドンジョエルがぱちんと指を鳴らした。部下がショコラム2世国王夫妻の前に何かを投げおとした。
「きゃ〜」
カシャール姫が投げ出されたものを見て、思わずショコラム2世に抱きついた。それは狩られたばかりの大きな鹿で、地面に投げ出された拍子に抜けきらなかった血が流れ出した。
「はっはっは。ショコラム殿、皆の前で抱き合うとは、仲のいいことだ」
言葉がお笑い内にもう駆け出していた。その後ろ姿をショコラム2世は好ましい気持ちを抱いて見送った。
数日も経たない内に、ドルスパニア王国から結婚祝いがショコラム2世の元に送られて来た。その贈り物の多さと一点一点の華麗さに皆驚かされた。王宮の宝物庫に入りきらないほどの祝い品を前に、ショコラム2世はドンジョエルの器の大きさを知った。これを機に二国間の付き合いが始まり、国王同士が互いに行き来しながら親好を深めた。この良好な関係は何十年も続いた。
妻の国と親好する者の国、この二つの友好国の争いは、ショコラム2世を大いに悩ました。しかし、戦いは始まっていた。
サレルリア国とドルスパニア王国の戦いは一進一退の繰り返しで、なかなか決着が着かなかった。当初は中立を保ち、仲立ちをして戦いを終わらせようとしたショコラム2世であったが、両者が互いに譲らず、休戦さえも難しかった。かえって両国から援軍を要請する使者が頻繁に訪れるようになった。戦いが拮抗しているだけに、援軍を得た方が有利になるのだ。ショコラム王国にはその力が備わっていた。
「我が殿がショコラム2世様をお待ちです。奥方様の母国だとも知っております。でも引けない戦いなのです。サレルリア国王夫妻を決して悪く扱いません」と言上するし、カシャール姫は夜の寝室で父を助けるように甘くささやいた。
こうしてショコラム2世の周囲が日々騒がしくなった。妻を中心にした勢力はサレルリア国を助けるように国王に願い出た。しかし日の出の勢いで周辺国を従属させているドルスパニア王国を支持する現実派達も多く、ショコラム2世はすぐに結論が出せなかった国を二分するような激論が何日も行われ、互いの有力者を狙った襲撃事件も起きた。武力を伴った争いもそんなに長い先ではなかった。
「よし、決心した。わしの命令通りに動くのじゃ」
悩んだ末ショコラム2世が下した命令は、軍の一部を出して消極的ながらサレルリア国に荷担する策であった。これならドルスパニア王国が勝利しても申し開きができるし、サレルリア国に対しても義理が果たせるのだ。はっきり旗幟を鮮明にして全軍で参戦すべきとの声もあったが、国内の対立を深めたくなかったショコラム2世はその意見を遠ざけた。このショコラム2世の中途半端な決定が、戦局を大きく変えた。サレルリア国はショコラム王国の全面的な支援を得たと誤解して、一大作戦を立てるとドルスパニア王国に決戦を挑んだのだ。
ショコラム王国軍は決戦場で重要な役割を任されて戦ったが、兵力は少なく、それに他国のための戦いでは士気も上がらず、ドルスパニア王国軍の突進に脆く崩れると、一戦も交えないで敗走してしまった。このショコラム王国軍の信じられない敗走が味方を動揺させ、連合軍は立ち直れないほどの大敗北を喫してしまった。
「連合軍はサーニバルで大敗しました。戦死者は七万人です。サレルリア国の名だたる将軍がほとんど討ち取られました」
敗戦をショコラム2世は落胆した素振りを見せたが、内心ではこれで戦いが終わったと考えほっとした。戦のことは何もわからない妻は出兵に感謝し、勝利したドルスパニア王国は初期の目的を達することができたのだから。
しかしショコラム2世はすぐに冷や水を浴びせられた。ドルスパニア王国軍の進撃は止まらず、勝った勢いそのままにショコラム王国内に侵入して来たのだ。自身の決断がドンジョエル国王には裏切りに見えているのかと考えざるを得なかった。危険を顧みず真意を話そうと自ら陣を訪ねたが、謁見も許されず追い返されてしまった。
ショコラム王国に足場を固めたところでようやくドルスパニア軍の進撃は止まった。同時に使者が現れ、ショコラム2世の退位か大幅な領土の割譲を迫った。ショコラム2世は国民のために退位も止むなしと考えたが、臣下達は全面的な戦いを願い出た。本気で戦えば負けない自信もあった。
「わしは戦を避けるのがいいと思うが、お前達は納得できないのだな」
ショコラム2世の考え通りに退位を決めて使者に伝えていたら、ドンジョエルは彼を許して軍を引くつもりでいた。退位を申し出てくれないと、連合軍の片棒を担いだショコラム2世を戦死者の手前すぐに許せないのだ。少し考えればわかることであった。ドンジョエルが心底ショコラム2世を憎んでいたなら、密かに訪れた時に追い返さずその場で首を刎ねていた。
「そうですか?御退位は難しいのですね」
退位を申し入れる大役を命じられた使者は、ドンジョエルから、「ショコラム2世が素直に従う様子を見せたら、事情をよく話してやれ。自ら話すことはない」と、命じられていた。ドンジョエル国王は彼を許す気でいたのだ。
「退位するのはドンジョエルの方じゃ。昔の鋭さは消え、耄碌しているではないか?野心のままに他国を攻めるなど、人にあらざる行いじゃ。血に飢えた獣でも腹を満たせば、獲物にも見向きもしないと聞いている」
ショコラム2世は悪態をついて、ドンジョエル国王を罵った。戦いを決心したからには、長い親交も切り捨てなければならなかった。
使者は言葉を失い、一礼するとその場を去った。主君を悪し様に言われ、辛抱ができなくなっていた。
「使者殿、お待ち下さい」
目先の利く臣下が彼を追いかけ、「国王は退位を口に出されていた。臣下が戦いを決めたが、国王の真意ではない。皆を再度説得する間待ってくれ」と頼んだが、使者はそのまま帰ってしまった。
ドンジョエル国王は一縷の望みを抱いて、その後もショコラム王国からの使者を待ったが、遂に現れることはなかった。
両国は戦いに突入した。しかし一度狂った歯車は元に戻らず、ショコラム王国の連敗は続いた。同盟国としての義理的な参戦が自国の存亡を懸けた戦いに変わっていたが、サレルリア国の降伏で平和な時代が来ると一度気を抜いた国民の戦う意欲はなかなか戻らなかった。
領土を侵食され続け、ショコラム王国の敗色が日に日に濃くなっていた。援軍を求めてもどの国も役に立たない軍を形ばかりに送ってくるだけで、精兵を送ってくるほどに熱心ではなかった。
「戦局を挽回するには兵力を整え、ドルスパニア王国軍を一度打ち負かし、勢いを止めて改めて講和を模索するしかない」
争いを好まぬ国柄ではあったが、決して弱いわけではなかった。国土は丘陵地が多く、王国民の多くが馬を乗りこなせるのだ。国の存亡時には知恵者は現れるもので、各地から馬術に長けた若者を集め、騎馬兵として戦わせれば、戦局を一気に挽回できる案を考えた。ショコラム2世はこの案を採用し、召集用の文書が大慌てで国中に送られた。
セレヘーレン・テス・・・・。その文書を受け取ると必ず首都、セレヘーレンに行くところから、昔からそう呼ばれていた。正式名称は別なものであったが、首都への憧れも込めて国民はその名を好んだ。平和な時期や小さな戦いの時代では名誉となるものであったが、今回は難しい局面での招集となる。かつての『栄光の招待状』との印象が強く、後に『死の招待状』と呼ばれて、忌み嫌われるものになるとは誰も想像できなかった。
こんな状況下でも山岳地のシュットキエルには、馬を操れる者が少ないと思われたのか、セレヘーレン・テスはまだ誰の元にも届いていなかった。




