二章 カイデン 27 バーブルへの教え
・・・十一・・・
ポレルとサイノスの二人は老使者、カイデンと出会い、一緒に暮らす中で医術や剣術の手ほどきを受けた。バーブルの場合はたった一晩の、それもほんのひと時の出会いであった。それはサイノスがカイデンに会うよりずっと前のことで、父親にセレヘーレン・テスが届き、出発までに鐘の鳴らし方を教えられていたが、それが身に付かず悩んでいた頃だった。
村人達に「頭のいい子供」と言われているバーブルだが、塔内で父親と緊張して向き合う中では、噂通りの力がなかなか発揮できなかった。十日間と限られた時間と想像以上の複雑な動作に圧倒されて、冷静さをなくしていたのだ。父親も一緒だった。出発期限までに何としてでも息子に引き継がなくてはならない。息子はバーブル一人だけで、それができないと何代も続いた名誉ある家の仕事が途絶えるのだ。
出発が迫るにつれて、自然とヨードルの教えは厳しくなっていく。寝る間を惜しむ特訓の毎日となった。深夜でも紐に小さな鐘を結び付けて、十六鐘の代わりとして練習させた。バーブルは必死で取り組んだが、近頃では、鐘を鳴らすより悩む時間の方が多くなった。
ある晩のこと、バーブルは長時間の練習で心身共に疲れ切り、外の新鮮な空気が吸いたくなった。それでヨードルが眠り込んだ時に、黙って塔から抜け出した。塔から少し離れた湖が、お気に入りの場所だった。
湖からの冷たい風に頬を撫ぜられると、冷静な気持ちが蘇ってくる。大きく深呼吸して湖に足を浸し、さっきまでの眠気を吹き飛ばした。
「時間が欲しい。出発までに引き継げるのか自信がない。あの老いぼれの使いのために、俺はこんなに苦しんでいる」
人のことを決して悪く言わないバーブルが、ため息混じりに悪態をつく。周囲に人影もなく、つい口に出してしまった。しかしそれ以上口汚く罵らない。嫌な時間を忘れられる楽しみを持っていたからだ。
岸辺に引き上げられた小船にもたれかかり、家から持ってきたシュエードを弾き始めた。
シュエードはドレルライン地方に古くから伝わる楽器で、五本の弦を、鹿の角で作った爪で弾いて奏でるものだ。歌の伴奏にも使えるし、楽器だけの演奏もできる。特に彼の演奏と歌は、ポレルの踊りと歌と並び称賛されていた。
バーブルは何曲か弾いた後、静かに歌い始めた・・・
君の姿を 目で追う春よ
冬去りし日の 穏やかな時
寒さに耐えた小鳥は 小枝に止まり
陽の恵みたる 花をついばむ
幼い君は光の中で
小さな胸のふくらみを見せる
ああ・・ この思いが届くならば
やわらかな君の胸に この顔うずめ
甘く香る髪を 指で撫でてみたい
目覚めの春は 別れの春か
悲しい別れが すぐそこに
愛する優しい人は 戦いの地に
夢を託して この村を去る
君はその笑顔を忘れ
心細いと一人泣くのだろうか
ああ・・ 小鳥に姿を変えて
朝も夜も君の心に 届くように
大きな夢を 僕が歌ってあげよう
湖面にシュエードのやわらかい音色と、バーブルの甘い歌声が流れていく。感情を抑え、憧れている娘にささやきかける。
こんな歌声を聞いたら、若い娘は心をときめかすに違いない。聞く者がいないのが惜しい場面であった。
「すまないなあ、老いぼれのわしが来たばっかりに、お前に迷惑をかけたようだ・・・しかし、それにしても見事なものだ。歌だけで、お前は世に名前を知らしめられるぞ」
いきなり暗闇の中から、声をかけられた。声はもたれかけた小船の中から聞こえた。
誰もいないと安心して歌っていたバーブルから、一瞬で今までの甘い感情が消えた。それに歌を聞かれた恥ずかしさもあって、身体を固くした。
バーブルが問いかける前に、声の主が立ち上がった。父親にセレヘーレン・テスを届けに来たカイデンだった。
「あなたはカイデン様ですね・・・父に届けにやって来た・・・」
意外な人物の登場に、バーブルも言葉が見つからない。
「いかにも、わしは使者のカイデンだ。月の美しさに誘われ湖にやって来た。お前の姿を見て船の中に隠れたが、こんなにいい気持ちにさせられるとは思ってもみなかった。ただ・・・一言だけわしを恨む言葉が余計だったが」
「すみません、本心ではありません。今、父から引き継いでいる役目が難し過ぎて、気持ちが荒ぶっているだけなのです。出発の期限は迫っているのに、なかなか父を満足させられません。父を安心させて送り出したいのですが・・・」
バーブルは、正直に自分の気持ちを話した。
「バーブルとかいったな。お前の父親は鐘撞役か?相当悩みは深そうじゃな。何ならわしに話してみろ。少しは力になれるかもしれない」
穏やかなカイデンの声が、気持ちを和ませる。この老人に話を聞いてもらえば、少しは、多少なりとも、気持ちが楽になりそうな気がした。バーブルは全て話そうと決めた。
「私は鐘撞きの役目を習っています。物心ついた時から聞いていますから、覚えるのは簡単だと思っていました。ところが実際に見せられ、考えたものとは大違いで驚きました。多くの鐘を同時に鳴らさなければ、美しい音は出ません。その動作が難しいのです。それをわずかな日数で覚えなければなりません。それに教えは、秘密を守るために絵や文字で残すのも許されません。父が半年かかったものを数日間で・・・こんなことができますか・・・記憶には自信があるのですが、焦る気持ちが私を邪魔するのです」
バーブルは鐘の数や詳しい動作を教えなかったが、その難しさは十分説明できたと思った。
「で、覚えられそうか?」
「毎日、朝から夜遅くまで何度やっても駄目です。動作をひとつでも間違うと、鐘は本来の音を出してくれないのです。自信も無くなりますよ」
バーブルは悲痛な表情で、少し投げやりな言葉遣いをした。
カイデンはしばらく考えていたが、何かを思いついたようだ。
「お前は踊りが好きか?」
「踊りですか?踊れませんが、見るのは大好きです。幼馴染でポレルという娘がいますが、彼女の踊りはあなたにも見せたいくらい上手です」
突然話題を変えられて、面食らった。踊りと聞かれると、どうしても彼女の名を出してしまう。
「そんなにいいのか?」
「歌も上手いし、踊りもうっとりするほどの美しさです」
「お前はポレルの踊りを真似できるか?」
「多分できると思います」
「そうか・・・何かここでやってくれないか?」
「僕が・・・ですか?」
「そうじゃあ。お前の他に誰がいる?二人だけだろうが。それで『老いぼれ』と罵った言葉を忘れてやろう。何も悪い話じゃあないだろう」
「そうですね。それで許して頂くならば、踊りましょう」
バーブルはすぐに踊り始めた。謙遜した通り踊りはぎこちないが、歌は素晴らしく上手い。 彼の性格を示すように、ひたむきで、やさしさに満ちていた。
月明かりの下で、バーブルの踊りは長く続いた。
踊りながらバーブルは、あまりのひどさに止めさせるだろう思った。しかしカイデンは、そうする素振りは見せず、瞬きもせず、厳しい目を向けている。
バーブルはカイデンと目を合わせたくなくて、目を閉じた。そしてポレルの姿を思い浮かべて懸命に踊った。湖面を渡る風の中で、いつしか彼女と二人で踊っている気持ちになっていた。
長いバーブルの踊りが終わった。
「終わりました。下手でしょう。ポレルの足下にも及ばない」
「それは気にしておらん。歌は十分聞かせるものがある。ところでこの歌と踊りは昔からのものなのか?」
バーブルはセレヘーレン・テスを運んで来ているが、カイデンが村の習慣を十分に承知していないと気付いた。習慣を知っていたら、絶対聞かない問いかけだったからだ。
「今の踊りは、ポレルがミエコラル祭で、歌い、踊ったものです。この祭りでは、娘達がそれぞれの家に伝わる歌と踊りを、年齢に応じて披露するのです」
「お前は前にこの踊りを見たのか?」
「いいえ。年毎に違う踊りなので、見る度に初めてとなります。同じ踊りはありません」
「驚いた。こんなに長い踊りを、歌と一緒に覚えていたとはな・・・それも一度見ただけで・・・。若者の頭は何でも詰め込めるのだな・・・それともポレルだけ特別か・・・」
バーブルの踊りは、仲良くなったポレルが数日前に歌い、踊ってくれたものと、寸分の違いもなかった。
実はカイデンは相手の動きを一度見れば、全てを脳裏に焼き付ける力を持っている。こんな村で、同じ力を持つ若者に出会うとは思っていなかった。バーブルの踊りを見て、「運命に導かれた出会いだ!」と、年甲斐もなく感動してしまった。何となく聞いたバーブルの歌がこんな結果になるとは・・・。頭を素早く回転させ、救いの手を考えた。
「なあバーブル、ポレルの踊りと、父親の動作とはどっちが難しい?」
カイデンのこの一言に、バーブルははっとした。鐘を鳴らす動きとポレルの踊りを比べれば、どちらが単純で短いかは明白だった。ポレルの一度だけの踊りを覚えているのに、父親の動作を覚えられなかったのが信じられない。父親の姿に幻惑されていたのだ。陰湿な霧が突風で吹き流され、いきなり晴れ間の景色の中に投げ込まれた気がした。
「わかった、わかったぞ。踊りだ、踊りだ〜・・」
バーブルは跳び上がると、カイデンに礼を言うのもすっかり忘れ、父親の待つ搭に向かって一目散に駆け出した。
・・・一回だけ、一回だけで十分だ・・・
宙を駆ける勢いで走りながら、バーブルはそう思った。
カイデンは自分の暗示を正確に受止めたバーブルを、頷きながら見送った。
駆けて行く背中を見ながらカイデンは、この村に少し留まるのも悪くないと思い始めた。バーブル以外にも、才能ある若者に会えそうな気がしたのである。このカイデンの願いは自身が病むことで満たされるのだが、さすがにこの時にはそう上手くことが運ぶとは思っていなかった。
三人のカイデンとの関わり合いは、かいつまむと、このようなものだった。




