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二章 カイデン 25 サイノス 闇夜の修行

・・・九・・・


 若いサイノスの傷はポレルの看病もあって瞬く間に癒えたが、体に残る傷跡は勇気の証として一生残ることになった。

「体の傷は男の勲章だ。顔の傷でなくてよかった」

 軽口を叩けるほど、サイノスには自信があった。手当てを受けながら毎日何百回、いや何千回も十本の剣に挑んでいたのだ。最初は短剣に刺されていたが、次第にその回数は減り、最後には全て弾き飛ばせるようになっていた。

 一回の打ち込みで一本しか飛ばないように、短剣を吊す紐の長さも全て違えた。もちろん短剣の芯を正確に打たなければ、真っ直ぐに飛んでくれない。正確に打とうと一本、一本狙い澄ます時間はない。緩慢な剣さばきでは全部打ち終える前に、最初の短剣に体を切り裂かれてしまうからだ。カイデンに止められた連続打ち、それも十本連続打ちをする気でいた。技を極めるには、どうしても死地に身を置かなければなららない。一度失敗したことを思えば無謀な試みだったが、サイノスの意識の中では闇夜の短剣打ちは既に終わっていた。

「やあっ」

 仕上げに頭に浮かぶ短剣に打ち込んだ。床板がぎしぎしと悲鳴を上げる。

「サイノス、どうしたの」

 ポレルが部屋に飛び込んで来た。サイノスの気合いを悲鳴と聞き違え、床板のきしみ音を転倒音と思ったらしい。

「ポレル、できたよ、できた」

 サイノスは剣を放り投げ、ポレルを抱きしめて何度もくるくると回転した。

「サイノス、目が回るわ」

 そういいながらもサイノスの好きにさせた。サイノスの目の輝きで、何か掴んだことに気がついたのだ。

「ねえ、無茶はやめて」

「わかっている。約束するよ」

 サイノスの言葉を信じた。しかしサイノスがやろうとしていることは、ポレルの想像を遙かに超えた危険極まりない内容であった。サイノスの気持ちは既に闇夜の森に飛んでいた。


 松明の明かりの中で、吊り下げられた十本の短剣が鈍く光っている。風が吹く度少し動くが、剣同士が触れ合うことはない。

 サイノスは全て準備を整えると、襲ってくる短剣の冷気を感じるために上半身裸になった。剣を抜き、気持ちを集中させる。さっきまで聞こえていた虫の音はもう耳に入らず、森の空気の冷たさも感じない。目を閉じる。頭の中で吊るした短剣が姿を見せ始め、十本全部見えた瞬間、閉じこめていた全ての力を一気に解き放った。

「キン!」

 手応えは十分だった。短い金属音を残して、短剣はこれまでにない勢いで闇の中に消えて行く。短剣を吊した枝が大きく揺れ、木の葉がぱらぱらと落ちてくる。紐が伸びきり空中で剣先が回転し、戻って来るまでのわずかな静寂。今地面に伏せるかその場所を飛び出せば死を逃れる。死と向き合い、勇気を試す時間でもあった。

 サイノスは目を閉じたまま短剣の襲撃を待っていた。

 十本の短剣がうなりを上げて迫って来た。一本なのかもっと多いのかはわからない。短剣に意志はないのに、邪悪な殺気を感じた。

「むん」

 短剣の冷気に体が包まれた瞬間、サイノスは短い気合いを発し、剣を四方に走らせた。特定の剣を狙って斬ったわけでなく、体が勝手に反応していた。両手で持つ剣に手応えはなかった。

サイノスを中心にして閃光が走った。十本の短剣が一瞬空中で停まり、次には両断され四方に飛び散った。無心のサイノスにはそれは見えなかった。

「見事だ!今の呼吸を忘れるな」

 カイデンの声でサイノスは我に返った。ゆっくり鞘に剣を納め、足元に落ちた短剣を手にした。短剣は折れたのでなく、剣筋通りに斬れていた。鋼の剣が斬れるなど考えられないことだ。自分が斬ったとは到底思えない切断面を信じられない顔で見ていた。

「カイデン様、これを私が・・・」

「間違いない。このわしが見ていた」


 サイノスがまた十本斬りに挑むだろうと思っていた。傷が癒えたばかりではまだ無理と考え、危うくなったら助けるつもりだった。紐を切るだけでいいのだから。それにポレルからも頼まれていた。涙目のポレルにはカイデンも弱かった。

「よくぞ恐怖に打ち勝った。それが剣で生きようとする誰もが追い求める極意だ。極意とは自 身で掴むものだからな。もうお前に教えることはない」

 サイノスはこれだけではカイデンの技を受け継げたとは思えなかった。短剣を打ち返したに過ぎない。より強い相手と戦って勝たなければ確信が持てそうになかった。

「カイデン様、ぜひお手合わせ願います」

 最強の試金石が都合のいいことに目の前にあった。カイデンともう一度立ち合えば、自分の力が見極められる。今度は一方的に敗れ去る気がしなかった。

「この老人に長生きをさせてくれ。勝てない立ち合いをするほど若くはない」

 命がけで得た極意を見定めたいサイノスの心が読めた。

・・・十本の剣を瞬時に断ち斬っただけでは納得できず、敗北を喫した者と再戦して真偽を確かめたいのであろう・・・

 予期していた挑戦を受け、愛弟子の意欲に満足した。

「そんな顔をするな。その代りと言うわけではないが、これをお前にやろう」

 カイデンは持ってきた剣を渡した。十本の短剣打ちを成し遂げた時に渡そうと思っていた。

「ありがとうございます」

 師匠に対する礼をとって跪くと、両手で恭しく剣を受けた。武骨な造りで、ずっしりとした重みがあった。鞘は黒く塗られ、金細工が巧みに施されている。

 鞘から抜き放って、それを左右、上下に振ってみる。ずっと前から使っていたように手に馴染み、悪くない感じがサイノスを捕らえた。

「剣に顔を映すがいい。顔はゆがんでないか?」

 サイノスは裏表を返しながら刃を見つめた。研ぎ澄まされた諸刃の剣は、サイノスの顔を歪むことなくそのまま映し出した。

「カイデン様、鏡のように私の顔をそのまま映しています」

「剣もお前の気性が気に入ったようだ」

「このような名剣をいただいてもよろしいのですか?」

「遠慮するな」

「ありがとうございます」

「ところでな、サイノス。剣はお前の気性は受け入れたようだが、まだお前を受け入れたわけではない。腕も試したいと言っているようだ・・・」

「腕?ですか・・・」

「そうだ。お前は剣に腕を見せてやらねばならん」

「どうやって見せるのです?」

「簡単なことだ。あれを斬って、剣がお前から離れられないようにするがいい」

 カイデンの指差すものを見て、サイノスは目を剥いた。それはベッドほどもある大岩だった。苔むした大岩には、長い年月に渡る風雨との戦いでひび割れもあるが、それをものともしない圧倒的な存在感があった。

「カイデン様!これを斬るのですか?」

「剣の望みだ。わしはもうすぐこの村を出て行く。それまでに斬れるかの〜。お前に自信があれば今すぐ斬ってもいいが、そうはできまい。よいな、生半可な気持ちで打ち込むと、その剣が十本の短剣以上の獰猛さでお前に向かってくるぞ」

 カイデンはそう言い残すと腰を上げ、サイノスには見向きもしないでポレルの待つ家へとのんびりと歩き始めた。

 カイデンはサイノスに見えないが、一泡吹かせてやった顔をしていた。もうサイノスとはまともな勝負にはならないが、更に一段高い修行を求めることで少なからず溜飲を下げたのだ。武術家は自分を超えられることを、年を重ねても素直に認められないのである。 

 ポレルが知ったら、「カイデン様、いいかげんにして下さい」と怒るだろうが、幸いにもこの場にはいなかった。


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