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二章 カイデン 24 サイノスの難行

・・・八・・・


 翌日から早速サイノスは難行に挑んだ。

 昼間医者として過ごすカイデンが、付きっきりで教える時間はなかった。要点だけを早朝指示し、昼間は一人で練習させた。そして夜になって、初めてサイノスに昼間の成果をやらせるのだ。基礎はしっかりできあがっているサイノスに初歩的な教えはいらない。当然カイデンが求める内容は濃く、命懸けのものとなった。

 まず、吊り下げた短剣を打ち返す修練を課した。

 カイデンが渡したのは、中央に紐を通す穴が開いている三日月型の短剣だった。両端と宴曲した部分は本刃で、切れ味も悪くない。その短剣を適当な木を選び、穴に紐を通してぶら下げる。大きく押せば大きく揺れ、押した位置に戻って来る。カイデンは何度か手で動かして見せた後、剣で打ち込んで同じ動きをさせることを求めた。

 手で動かすのは易しいが、剣で打ち込んで動かすのは難しい。中央を正確に捉えないと、その場で回転するだけで動かない。その反面、正確な打ち込みは自身への脅威となる。勢いよく飛び去った短剣が、紐が伸びきると、元の場所に同じ勢いで戻って来るのだ。短剣自身には意思はなく、情け容赦なく襲いかかる。その危険な場所には、打ち込み者、すなわちサイノス自身がいるのである。少しのしくじりが、命を縮めてしまうのは明らかだった。

 サイノスにためらいはなかった。中央部に狙いを定めて、鋭い一撃を加えた。

 短剣が小気味よい音を出して、勢いよく飛んで行く。そして・・・サイノスに満足する暇も与えず、はじかれた短剣が重みと紐の反動で、刃先を光らせて勢いよく戻って来た。鋭い刃先を見ただけで並の者ならその場から逃げたくなるだろうが、サイノスは平気だった。身体をかわす姿勢を取らず、ぎりぎりまで引き付け、素早い剣さばきで中央部に狂いのない一撃を加えた。正面から角度のない打ち込みを、いとも簡単にこなしたのだ。カイデンの言う、生まれつきの才能であった。

・・・意外と簡単だな・・・

 二本、三本、四本と短剣を増やしていく。当然本数が増えれば難しくなる。かわすだけの修練であれば比較的容易なものだが、カイデンからはそれに加えて、剣を打ち込むことを求められていた。「この二つができれば、防御と攻めを会得できたことになる」と、サイノスはカイデンから言われていた。

 毎日、サイノスはこの修練を繰り返した。

 サイノスの上達は目覚ましく、数日で十本の短剣を自在に操れるようになった。並外れた力と、俊敏な動きが彼は備わっていた。その成果を得意げに話すサイノスを、カイデンは褒めもせず、「次は闇の中で同じことをしろ」と、平然と言い放った。

 更に難しいものを求められて、サイノスはさすがに声を失った。昼間であれば目で追えるが、闇の中ではそうはいかない。恐怖が初めて彼を襲う。

「カイデン様、見えなければかわせません」

「泣き言を言うな。闇夜で戦える相手が、夜明けまで待ってくれると思う?甘い考えは捨てろ!それにお前は試してみたのか?」

「いいえ・・・」

「試さずに結果を考え、あきらめる者には、剣は極められない。お前はもう少し見込みがあると思ったが、わしの見込み違いかな・・・」

 サイノスもここまで言われると、尾を巻くわけにはいかなかった。闘志に火がついた。

「わかりました。命懸けでやり抜きます」

 その夜、森に出かけようとするサイノスに、カイデンが背後から声をかけた。

「服は脱げ。裸になれば、身近に迫る剣の冷たさが感じ取れる。身体に冷たく吹き付けてくる風が剣先とわかれば、闇夜でも恐れることはあるまい。それと重ねて言うが、慣れるまでは焦らないで、毎日一本ずつ剣を増やすのだ。絶対にこれは守れ。そうでないと、間違いなく死ぬぞ。」

 カイデンはサイノスにしつこいくらいに念を押した。このカイデンの念押しが、サイノスに迷いを生じさせることになった。


 いつもの森にサイノスがいた。少し短剣が見える月明かりを期待したが、厚い雲に隠れて何も見えない。いつも使っている紐を手で探り、短剣を一本結びつけていく。

・・・やるしかない・・・取り敢えず一本からだ・・・

 サイノスは覚悟を決めた。

 短剣の位置は、これまでの修練でわかっていた。

・・・中途半端な打ち込みは、不規則な軌道を描かせてしまう。日頃と変わらぬ打ち込みをしなければならない・・・・

 サイノスはそう考えて、手加減しないで、思いっきりの力で打ち込んだ。

 短剣が鋭い金属音と、昼間では見えない火花を残して彼方に消えて行く・・・実際には見えないが、サイノスはそう感じた。

 昼間の短剣の軌道を頭に描き、腰を落として身構える。短剣の軌道は体が覚えていた。闇夜だったが、たった一本の短剣の動きは、十本の短剣を打ち返せる感覚からすると、読み易かったのだ。

 短剣は思い描いた軌道を通って襲って来る。サイノスはしっかりと打ち返した。

 鋭い音を発すると短剣は再び闇に消え、サイノスの元に戻って来た。それをまた打ち返す。 打ち返す音ににごりはなかった。正確に打ち返している証であった。

・・・よし、意外といける。短剣の数を増やしてみるか・・・

 サイノスは二本目の短剣を吊り下げる時、カイデンの言葉を思い出した。

・・・カイデン様は、「毎日一本ずつ増やせ」と、しつこいほど言われた。カイデン様にしては珍しいことだ。言いつけに背くとお叱りを受けるだろうか・・・それとも・・・ん・・・待てよ。あの言葉を信じてもいいのだろうか?昼間に十本の短剣を打ち返せる俺に、一日一本ずつ増やせとはおかしい。あの言葉の真の意味は、「並の者であれば毎日一本ずつ増やしていくが、お前はどうする?」と、問うておられるのだ。カイデン様は俺を試されているのだ。俺は一晩で会得して、カイデン様の期待に応えてみせる・・・

 若者の自信は、老人からすると恐ろしいものだ。サイノスもその例に漏れず、命が危うい修練との忠告を自身への期待の現れだととった。

 短剣の本数を二本にした。これも容易に切り抜けられた。目でかわすのではなく、研ぎ澄ました感覚でかわす意味が理解できた。身体と意識が一体になる感覚が掴めた。

 サイノスの自信はより深まった。

・・・こんなものか・・・間違いなく、俺には他人にない才能がある。カイデン様はやはり俺を試されたのだ。「一気に本数を増やすな」と言われた言葉も、「数本できたら躊躇わず十本に挑め」との意味に違いない。このままの調子でやれば、一晩で達成できる。カイデン様が口にされた、「身体に吹き付ける冷たい風」は感じられないが、俺には俺の感覚がある・・・

 さっきまでの緊張感は消え失せ、カイデンに早く結果を知らせたいと欲が出てきた。

 口笛を吹きながら、枝に十本の短剣を吊り下げた。短剣同士がぶつかって、場違いな涼やかな音色を響かせる。

 用意が終わると目を閉じ、呼吸を整える。さすがに、十本の短剣を同時に打ち込むには覚悟がいる。微かな不安はあったが、それを追いやって気持ちを集中させ、一気に剣を叩き込んだ。

 サイノスの打ち込みは、全ての短剣の中央部を正確に捉えた。

 凄まじい音と火花が飛び散り、十本の短剣はあらゆる方向に消え去った。

 紐を引きちぎらんばかりに飛び去った短剣が、今度は引っぱられる形で最初の襲撃をして来た。十分に身構えていたサイノスは、自身の動きは覚えていなかったが、かわすことができた。しかしかわすのが精一杯で、打ち返せない。

次の襲撃、次の襲撃に必死に立ち向かおうとしたが、見えない剣先が自身に近づいて来る恐怖で、打ち込みができない。そればかりか、無心の心が乱れ、かわす自信も消え失せていた。その死の空間から逃れたくても、反復運動が停まるまでは動けないのだ。

 頭の片隅に、カイデンの戒めの言葉が浮かぶ。同時に、過去の情景が目の前に広がって来た。サイノスに死の瞬間が確実に迫っていた。それでも何とか襲撃を四回まで数えられたが、突然目の前で火花が散り、サイノスの意識はそこで途絶えた。


 サイノスに意識が戻った時、何処だかわからない場所に寝かされていた。

 顔を誰かが覗き込んでいる。美しい顔だ。女神が微笑んでいると思った。

 女神に手を伸ばすと、女神がしっかりと握り返してくれた。冷たく、柔らく、ほっそりとした手であった。強く握ると強く握り返してくれる。女神の顔をもう一度見ようとした時、聞き慣れた声がした。

「カイデン様。サイノスが意識をとり戻したわ」

「どれどれ・・・」

 サイノスはその声がポレルとカイデンだと知り、ベッドに寝かされているのを初めて知った。

・・・俺は森の中で、十本の剣と戦っていた。四回かわせたのは覚えているが、その後記憶がない・・・

 目覚めると同時に、体に痛みが走った。そのあまりの痛さにサイノスは顔をしかめる。

 起き上がって、はっきり目覚めた目で見ると、自分の体が数ヶ所手当てされていた。熱を伴う痛みはそこから来ている。

「サイノス、こんなばか者とは思っていなかったぞ」

「カイデン様、聞いて下さい。三回までは上手くいきました。その後目の前で火花が散り、気を失ったようです」

「『一度に増やすな』と念を押しただろう。気になって見に行ったが、お前は十本の短剣に襲われていた。とっさのところで、わしが飛び込んで助けた。もう少し遅ければ、お前は死んでいただろう」

 カイデンの言葉で、初めて死の淵に立っていたのを知った。目の前の火花は、カイデンが短剣を打ち払った時のものだった。それがなければ、体中をずたずたに切り裂かれて、朱に染まっていたに違いない。

 体から冷たい汗が流れ、体が震えてきた。噛みしめた歯が、がちがちと音を立てる。

「今頃恐怖を感じたのか?お前らしいな。その位の傷で済んで、運が良かった。しばらくは動けまい。ポレルに世話をさせるから、おとなしく養生しろ」

 サイノスは傷が決して浅くないと知った。土壇場で命が助かったのは、無意識な身体の感覚でなく、カイデンだと知って少しがっかりした。

「サイノス、もう危ない真似はしないで!心配したわ」

 目に涙をためて、ポレルがきつい口調で叱った。

 サイノスは黙って頷いた。しかし気持ちは次の挑戦に向けられていた。

 ポレルが部屋を出て行った後、サイノスはカイデンに恥ずかしそうに小声で聞いた。

「カイデン様、素裸で剣の修行をしていましたが、ここに運ばれた時もそうだったのですか?」

「そうじゃあ。わしは服を着るなといったが、下着位は付けていると思ったぞ。本当に何も付けていないとはな。いかにもお前らしくていいが、手当てをするポレルは、目のやり場に困っておった。じゃが、お前の命を助けようと必死じゃった。今頃、安心して思い出しておるかもな・・・わっはっは・・・」

 カイデンは大笑いをした。

 サイノスは傷の発熱以上に、体全体が熱くなるのを感じた。

 翌日からポレルは、かいがいしくサイノスの世話をやいた。傷に付ける薬も彼女が作った。 サイノスは厳しい剣の修練から解放され、誰にも言えない幸せな時間を過ごした。それでも薬を塗るのは自分でやり、手の届かない背中だけは手を借りた。ポレルの、ひんやりとした指先と甘い髪の匂いは、その都度彼を熱くさせた。


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