二十章 乱戦 221 夢から覚めて
・・・一・・・
耳に鈍い音が響き、それでも無視していたら、扉をどんどんと遠慮なく叩く音が室内に満ちて来た。薄眼を開けると窓の鎧戸から、数条の光が差し込んでいた。光には大小の大きさはあったが、角度はどれも一緒だった。
「カルコン様、カルコン様」
寝室の厚い扉越しに、聞き覚えのあるハサミタテの野太い声がした。居室の中まで勝手に入ってくる男でも、寝室までは遠慮したらしい。しかし、このまま無視すると寝室まで入って来そうな切迫感のある声で呼びかけていた。
「その声はハサミタテだな。朝から騒々しい。今着替えるから待っておれ」
そう答えた瞬間、荒々しく扉が開き、ハサミタテが寝室に入って来た。彼は窓側に向かうと、鎧戸を開けて一気に開け放った。少し肌寒い空気と共に眩しい光がカルコンを包み込む。
「寝室まで立ち入るとは無礼と思わぬか!」
少々声を荒げてみたが、
「カルコン様、一大事です。着替えを急いで下さい。誰か、誰か、え~い、誰でもよい。入って来て支度をお手伝しろ!」
カルコンの叱責を聞き流して、寝室の外に向かって命令した。その声で数人の兵士が入って来るなり彼を取り囲み、薄い夜着を脱がせると素早く着替えさせた。兵士達の手伝いはそれだけで終わらず、鎧を着せたところでようやく引き下がった。
「なぜ鎧がいるのじゃ?」
鎧まで着せられるとは思っていなかったカルコンは、部屋の隅に立って支度を待っているハサミタテに問いかけた。ハサミタテはそれに答えず、
「カルコン様、気が急いて寝室に入ってしまい、申し訳ありませんでした。やはりあちらの部屋で待つべきでした」
「気にするな。一大事では仕方がないであろう」
カルコンはもう冷静な判断ができる状態に戻っていた。見ればカルコンも鎧姿、着替えを手伝った兵士達も鎧を着こんでいた。余程の事態が起きたに違いなかった。
「ん?何だ、それは?」
話を聞こうとハサミタテに近づいた時、白い布を掴んでいる手に目を留めた。はっとした顔をして、背中の後ろに隠そうとしたハサミタテの手を掴むと、無理やりに布を取り上げた。
「妙なものを持っているな」
その布地は軽かった。それが何かを確かめるために両手で持って、目の高さに持ち上げてみた。布地越しにハサミタテの慌てた顔が見える。
「慌て顔をしてどうした?」
その布を顔に近づけてみた。その布から何とも言えない、いい香りが出ている。鼻に当ててみる。香りが強くなった。心を落ち着かせるいい香りが鼻孔一杯に広がる。
「ハサミタテ、いい香りじゃ。この布をわしにくれぬか?」
このまま返すのが惜しくなった。
「カルコン様、それは私のものではありません」
「お前のものではない?では誰のものだ?」
ハサミタテの返事が意外だった。彼のものでないなら、一体誰のものなのか?検討がつかなかった。
「カルコン様、それが何かおわかりではないのですか?」
今度はハサミタテが呆れ顔をした。
「だから聞いているのだ。知っているならはっきり申せ!」
カルコンは権力者にありがちな怒りを爆発させた。
「カルコン様、これは若い娘が好む下着です」
「下着?何でそのようなものがわしの寝室にある?」
「それは・・・カルコン様、この部屋に入れるのはあなたとあなたが許す者だけです。私も初めて入りました。急を要する事態が起きて、ゆっくり待つ余裕もなかったためです」
ハサミタテはカルコンが手にした薄い布地をできるだけ見ないようにしながら言った。カルコンの意識はその切迫した事態より、「若い娘」との言葉を追いかけていた。
・・・若い娘?覚えがない・・・寝室に入ったのは・・・ディユング様・・だけ・・
カルコンははっとし、昨夜の記憶を呼び戻し始めた。コートレット姫に対するザイラルの頼みごとをディユングに頼もうと廊下で呼び止め、自分の部屋に招き入れ、話を切り出す勢いを得るためドランクドランを四杯も飲みほした。そこまでだった。それからの記憶はまったくなかった。
・・・まさか・・・ディユング様を・・・
背はそんなに低くはないが、「酔っていても間違いを起こしようもない相手」と、小太りな顔と体つきを頭に浮かべた。
・・・それではなぜ娘の持ち物が部屋にあるのか?わからぬ・・・
「カルコン様、急ぎましょう。ザイラル様や将校達が待っています」
「わしはもう軍の指揮権をザイラル殿に委ねた。お前もわかっているだろう」
カルコンはため息をつくと、ベッドに腰かけた。叩き起こされた理由が軍議への顔出しと聞いて、別れを告げたはずの世界に引き戻されるようで気に入らなかった。そのままベッドに仰向けになり、少しの間天井を見てから肩肘をついて体を横向きにして、自分では久しく使っていないけだるさを含んだ口調で言い聞かせた。
「私にとってアマスクダリの司令官はカルコン様だけです!」
そう叫んで、ハサミタテが一瞬不機嫌な表情を浮かべた。彼を含め何人かの将校がザイラルへの指揮権譲渡に不満を持っているのを知っていた。しかし一度公言した以上もう撤回はできないし、する気もなかった。
「そのザイラル様がカルコン様をお呼びなのです。その訳は私に同行していただければ、すぐにわかります」
そう言って先に立って歩き出していた。かしゃかしゃと鳴る鎧音の大きさは、急ぐ気持ちを表していた。
「わかった。だがザイラル殿に会うのもこれが最後だ。わかったな」
もう何十歩も先を行くハサミタテに声を掛けた。普通なら絶対に自分より前を歩かない男が立ち止まる素振りも見せない。何かに苛立っているのか、本当に急がなければならない事態なのか、聞こうにも聞けなかった。
「まったく・・・こまった奴だ」
追いつくために小走りになった。頭からは娘の一件は消え去っていた。しかし・・・薄い布を破り捨てることができず、鎧の隙間に無理に突っ込んだ。何ともいえない香り、どこかで嗅いだ記憶のある香りがほのかに鼻孔をくすぐった。その香りはカルコンにとって好ましい香りになりつつあった。




