十九章 大乱 220 夜会
・・・九・・・
「コートレット姫様、少しは落ち着かれましたか?」
「ええ、おかげ様で」
「それを聞いて安心しました。どうぞ、何でも召使達にお命じ下さい」
「お心遣いありがとうございます。こんなにまでしていただいて、本当に嬉しく思います」
コートレット姫は感謝の気持ちを素直に言葉にして、カルコンに微笑みかけた。
「それは名誉なことです」
カルコンはその視線を避けるように、慌てて後ずさりした。ザイラルに会うように頼むつもりであったが、それを今口にできそうもなかった。様々な人が集う晩餐会と違って、まともに相手するとなると、その美しさと気品に圧倒され、どう話を続けていいのかわからなかった。何とかその場から立ち去りたいと、理由づけになりそうなことはないかと回りをきょろきょろと見るばかりであった。
「今日はお疲れの様子、ゆっくり御休み下さい。明日また伺います」
どうにかそれだけ言うと、逃げるように部屋を出て行った。その様子は誰の目からもコートレット姫に忠実な臣下そのものに見えた。
「姫様、面白い方ですね」
カルコンの召使達を下がらせた後、ディユングが笑いを噛み殺したような顔で、コートレットの肩を叩いた。姫の侍女役として傍で一部始終を見ていたディユングは、いかついカルコンのぎこちない素振りがどうにもこうにも可笑しくて仕方なかった。
「ディユング、面白がるものじゃあありません」
「でもそう言ってもねえ~」
「もう!それより今日はとても疲れたわ。大勢の人に会って・・・お姫様らしくしろと言われても・・・ねえ・・・」
コートレットは首を肩に乗せるようにして小さく動かした。長時間踊ってもこんなに疲れを感じなかった。踊る自分に向けられる視線と、姫として受ける視線は全然違っていた。
「いえ、コートレット姫様は気高く御立派でした。私はポレルからコートレット姫になったお姿を見るだけで、もう嬉しくて、嬉しくて・・」
ディユングは涙声になって、最後まで言葉が続かなかった。
「もうお休みになって下さい」
感傷に浸りたい気持ちを無理に振り払って、疲れたコートレットを休ませるべく寝室に連れて行くと、一度で覚えたやり方で服を脱がせて着替えさせた。そして無駄話を一切しないでランプの明かりを細くし、足音をできるだけさせないようにしてつま先で歩いた。扉を閉めようとして振り返った時には、コートレットはもう目を閉じていた。ランプのほのかな明かりに照らし出される横顔には、跪きそうになるほどの神々しさがあった。
・・・コートレット、私が命をかけて守るからね・・・
扉をそっと閉めながら、目を閉じて心からそう誓った。これまで一度も感じなかったほど体が熱く燃え上がっていた。
コートレットの部屋から出て、廊下を歩いてもまだヂュングの上気は消えなかった。ここ数日の、どこへ出しても通用する姫、それも眼をみはるばかりの美しさと、何代にも渡ってしか培われない名家の気品を備えた姫への変わり様は、ヂュング自身にも信じられなかった。
「あの子は生まれながらのお姫様だよ。もうあの子に人前でお母さんと呼ばれることはない。嬉しいことだけで寂しいものだね」
誰もいない廊下で自分に言い聞かせて思いきろうとした。その時だった。
「ディユング様」
いきなり柱の陰から名前を呼ばれ、黒い大きな影が目の前に現われた。
「誰だい!」
ディユングは太った体に似合わない俊敏な動きを見せると、数歩後ろに下がった。
「すまない。驚かせたようじゃなあ。カルコンです」
落ちついた声で答えながら、ディユングの前に現われた男は、まぎれもなくコートレットの前で極度に緊張していたアマスクダリの支配者、カルコンだった。幾分自分を取り戻したらしく、さっきとは随分顔の表情が違って見えた。
「カルコン様、びっくりしましたよ。何かご用でしょうか?」
デュユングは相手がわかると警戒心を解いた。コートレットの部屋からあまり離れていないだけに、気を配る必要があった。確かに部屋の前には警護兵が目を光らせていたが、カルコンの部下だけに安心はできなかった。サイノスの仲間達に頼みたかったが、招待先で相手の気を悪くさせるよう様な申し出はできなかった。
「申し訳ないが、わしの部屋においで願いたい。あなたに頼みたいことがある」
ディユングの目を覗き込むような言い方をした後、返事は視線を交わした時に確認したとでもいう風にして、彼女が言葉を出す前にもう先に立って歩き出していた。
「この部屋です。私の他には誰もいません、また私が大声を出さない限り誰も来ません」
デュユングを先に入れるために扉を開けつつそうカルコンは説明した。そしてデュユングが入るのを躊躇っているのを見ると一瞬不思議そうな顔をしたが、何も言わず部屋に入った。デュユングはちょっと遅れて中に入り、少し考えるような素振りをしてから後ろ手で扉を閉めた。怖れもなく、何か期待するものもないカルコンと二人きりの時間が始まろうとしていた。
「コートレット姫様の前で緊張のあまり固まってしまい、体の節々が痛くてたまりません。強い酒を飲んで体をほぐしてから、頼みごとを申し上げます。あなたは何を飲まれますかな?酒癖は悪くないので、変な御心配はいりませんぞ」
そう言って小さな器に酒を注ぐと、一気にあおった。その後立て続けに同じ動作を二回繰り返した。逞しい体つきのカルコンの顔が、たちまち紅潮してきた。相当に強い酒に違いなかった。
「私も同じものをいただきますわ」
ディユングはそう言って、カルコンに自分の酒器を差し出した。
「えっ!ドランクドランを・・・飲まれたことはあるのかな?」
「いいえ、ありません。でもあまりにあなたが美味しそうにお飲みになるので、飲んでみたくなりました」
「しかし・・・酒好きな男でも水で薄めてから飲む酒です。私のような飲み方はしない」
「いいから注いで下さい。初めて酒を飲む齢ではありません」
「私はあなたに頼みごとをしたい。ここで倒れられては困る」
「私がいいと言っているのです。理屈ばかりの男は嫌いです。あなたもその一人なのですか」
「知りませんぞ」
ここまで言われてはつぐしかなかった。何度も酒豪と自負する若者達がドランクドランに挑んで、飲み干すと同時にぶっ倒れる場面ばかり見て来ただけに、無謀な試みを止めさせようとしたが、目の前の小太りの女は聞く耳を持たない様子で、カルコンから見ればつまらぬ意地だけで困らせようとしているように思えた。
・・・これでザイラルをコートレット姫に会わせることができなくなった。それにしても困った。この小太り女の介抱をどうしたものか?一度倒れたら朝まで目を覚まさないだろう。部屋に女を泊めたと、それも若く美しい娘であればともかく、こんな女と知られたらわしが恥をかく。コートレット姫様御付きでなければ飲まさずに叩きだすものを・・・
ザイラルに会わせるための工作相手を間違えたと自憤もあって、半分破れかぶれになったカルコンは、ディユングが差し出した器になみなみとドランクドランをついだ。
「いい香り」
器を顔に近づけた後、ディユングはそのまま一気に飲み干した。
「もう一杯いただけますか?」
そう言って器を差し出した。その顔をまじまじと見るカルコン。その驚いた顔を見て、
「カルコン様、どうされたのですか?」
「いや、何でもありません」
カルコンは首をかしげながら、少し酔いの回った頭を回転させ、ようやく自分が納得できる結論を得た。
・・・そうか、ハサミタテの奴、飲み過ぎを日頃からうるさく言っていたが・・・わしがドランクドランを好むことを知って、酒に細工したに違いない。そうでなければ女が一息で飲めるわけがない。味と香りは全く変わりがしない。この酒は三杯で止めていたがもう少し飲んでもかまわないな・・・
「はっはっは。愉快な夜になりそうですな。ディユング殿」
そう言って四杯目の酒を注いだ。酔いは浅いが、味と香りが同じだとすると、酒飲みの性で、飲まなければ損をするような気持になっていた。
「コートレット姫様がおやすみになって、ゆっくりお話できる時間があります。何か私に頼みがあると伺いましたが?」
ディユングはそう話を向けて、今度は味を確かめるようにして、二杯目の酒を口に含んだ。
「そうです。実はコートレット姫様にお願いしたいことがあるのです。しかし姫のあの青い瞳に見つめられると言葉が出ません。血気盛んな青年時代を何十年前に終わらせたこの私が・・・です。お笑い下さい」
自嘲気味にそう言うと、酒をのどに流し込んだ。頭がくらくらしたが、左右に振ると正気に戻った。
「姫に恋したのですか?」
ディユングがそうからかうと、
「馬鹿なことは言うな。そうではないのだ。そうでは・・・」
一度は怒りの表情を見せたカルコンだったが、急に俯くと、「ディユング殿、姫への気持ちは亡くした娘への思いでもあるのじゃ」
長い間胸の奥に仕舞っていた思いが、外へ出ようとうごめき始めていた。それを押し込めるには酒の力に頼るしかなかった。自分の意志なのかそうでないのか、五杯目の酒に手が伸びる。
「もうそのくらいでおやめになっては?」
ディユングがカルコンより早く器を手にすると、静かに器を傾けて床に流した。それを目で追うカルコン。
「うむ、そうしよう。間をおかず飲んだものだから酔ってしまった。それにしてもあなたはお強い。部下がわしのために酒に細工したものと思ったが、そうではない。あなたの飲み振りにすっかり騙されたらしい。悪女ですな、あなたは・・・姫への頼みは、『ザイラル殿に会って欲しい』の一言です」
長々と説明する気にはなれなかった。後はザイラルと姫との問題である。
「わかりました。コートレット姫様に申し上げて、必ずあなたの顔が立つようしてさしあげます。でも・・・悪女って・・・ひどい言葉ですわ」
「そうお怒りになりなさるな。お怒りに・・・なりなさるな・・・と」
カルコンは椅子から立ち上がろうとしたが、ふらついて思うようにいかなかった。その様子を見ているディユングに気付くと、
「ディユング殿、肩を貸して下さらぬか?寝室まで真っすぐ歩けそうにない。はっはっは・・・何もとって食おうと言うわけではないぞ」
そう笑いながら、ディユングに寄りかかって来た。
「わかりました。お連れします。それでよいのですね」
「よい、それでよい」
ディユングはカルコンの大きな体を下から支え、倒れないように足を踏みしめながら、その部屋に続く寝室の扉を開けた。扉を開けると大きなベッドがすぐ先に見えた。
「さあ着きましたよ。ゆっくり休んで下さい」
そっと横たえようとしたが、
「おお、まさしくわしの寝床だ。それ~っ」
子供のような格好でカルコンはベッドに倒れ込んだ。その勢いに押されて、脇に手を入れて体を支えていたディユングまでもが、ちょうどカルコンを受け入れるような形で、ベッドに半回転して倒れてしまった。見交わす眼と眼・・・意外な夜になろうとしていた。




