十九章 大乱 218 密書
・・・七・・・
「ザイラル様、お久しぶりです」
「カルコン殿、元気そうでなによりじゃ。前触れもなく現われた軍団のために、よく開門してくれた。礼を申す」
ザイラルとレヨイドは上席に座らされ、アマスクダリ長官のカルコンから挨拶を受けていた。丸二日、不眠不休で軍団を引き返して、ようやく辿り着いた時は既に堅固な門はぴったりと閉ざされていた。それを無理に開けさせたのは、レヨイドが掲げていた金色紋章の旗であった。警護指揮官はその旗を見るとすぐに門を開けさせ、全軍団がアマスクダリに入ることを認めた。ドルスパニア王国では金色紋章の旗を掲げる軍団を拒むことは王に対する反逆を意味した。また仮に金色紋章で偽られても罪には問われなかった。何故なら金色紋章を勝手に使った者は、本人はおろか一族全ての者が連座して極刑に処せられるのだから、為り澄まそうと企てる者は皆無であった。
「陛下の紋章を掲げた軍団を入城したと報告を受けた時は、驚きました」
「すまなかった。前触れの使者を送ればよかったが、その時間さえ惜しかった」
「それはそうでしょう。大変な事態になっておりますからな」
その言葉を聞いて、ザイラルはつい今し方まで見せていた懐かしい元部下への温和な表情を一変させた。椅子から立ち上がると、腰の剣に手をかけた。レヨイドがザイラルを背後に庇うようにして数歩前に出て、同じようにいつでも剣を抜けるように身構えた。そんな二人の姿を見て、傍に控えていた部下達も戦う姿勢になり、その姿勢がカルコンの部下にも迎え撃つ姿勢をとらせた。和やかな空気は一瞬で欠き消え、気弱な者であれば今すぐにでも逃げ出したいような緊張が走る。
「カルコン、お前は何もかも知っているのだな」
ザイラルはかつての部下に、今でも部下であるかのような詰問調で言い放った。
「はい。数日前にサービアからスパークスの手の者が訪ねて来ました」
カルコンもこの話し方の方が性に合った。部下がどう思うかなどとは考えなかった。
「数日前に・・・か・・・」
「はい」
落ち着いたカルコンの返答ぶりを見て、ザイラルは椅子に坐り直した。レヨイドは椅子に座らずザイラルの右側に立った。できるだけ傍にいて、聞き役から護衛役に徹するつもりなのだろう。
「スパークスの用件は?」
「ペリルポイル様の親書を私に差し出しました。これがそれです。お読みになりますか?」
カルコンは懐から小さく巻かれた紙を取り出すと、ザイラルに手渡した。ザイラルは文年に目を落としたが、小さな文字がぼやけて読めなかった。鏡の中で白髪や皺が増えてきたことを自覚していたが、屈強な体の衰えはまだ感じていなかった。しかし目の衰えだけはどうしようもなかった。
「レヨイド、お前が読んで要点をわしに告げろ」
と言って手紙を掴んだ右手を肩口に回した。
「わかりました」
レヨイドは一歩前に進んで、片手で手紙を受け取った。そしてすぐに文面に目を落とした。
・・・これは小さい・・・
文字の小ささにまず驚いた。確かに小さな文字が並んでいた。しかし小さな文字の割には、不鮮明な箇所がなかった。しかも読みやすいように一文字、一文字が繋がっていなかった。レヨイドはもっと詳しく調べるために、両手で手紙を持つと顔に近づけた。
・・・印刷されている・・・
驚くことに宛先と最後の差出人の署名だけが手書きで、その他は印刷文字であった。手紙の内容は、ドンジョエル国王とヘドロバの件であり、ザイラルの元に届いたペリルポイルの親書とほぼ同じであった。ただ・・・印刷されているのはカルコンだけではなく、ドルスパニア本国やその他の同盟国の有力者達に送るためであることを意味していた。特にペリルポイルが味方につけたい相手には、直筆の手紙となっているに違いなかった。レヨイドはザイラルの力を再認識した。
「ザイラル様への手紙の内容とほぼ変わりません。ただ・・・文面は印刷されたものです」
「そうか」
耳元で小さく告げたレヨイドの言葉に、ザイラルは大きく頷いた。言葉で説明しなくても自分の考えを理解した反応にレヨイドは満足した。
「カルコン、大変な事態になった。陛下が臣下に討たれるとは誰も思ってなかった。それも重用されていたペリルポイル様とは!世も末じゃ」
ザイラルは言葉を詰まらせ、嗚咽した。今まで緊張していた空気が和らぎ、ザイラルのように何人かが肩を震わせた。
「ザイラル様、お嘆きの気持ちはわかりますが、それよりも我々はこれから先どうしたらいいのか御指示願えませんでしょうか?」
カルコンは藁にもすがりたい思いでそう尋ねた。
カルコンがこの手紙を受け取ったのは、コートレット姫を館に迎え、どうもてなすかを考えている最中のことだった。娘を失って以来こんなに華やいだ気持ちになったことはなかった。その矢先にこの手紙を受け取り、ドンジョエル国王への哀悼の念は抱いたものの、ドンジョエル国王に殉じてペリルポイルと無謀な一戦交えようとは思わなかった。カルコンはすぐにペリルポイル宛に、今後は指示に従う旨の返書をしたため、サービアへ使者を差し向けた。
・・・陛下にはお気の毒であったが、わしにはどうしようもできないことだ。それよりは今はコートレット姫様のもてなしが大事じゃ・・・
ペリルポイルへの恭順を示し、それによって首都警護軍がアマスクダリに入城すれば、指揮権がなくなり、思うままにコートレット姫をもてなすことができなくなりそうだった。今なら司令官として全ての権力と財力を注ぎ込むことができるのである。
そんな折、ドンジョエル国王の紋章を掲げたザイラル軍が入城して来た。カルコンが到着の報告を受けた時には、既に入城させてしまっていた。門の警護兵達にはまでドンジョエル国王の件が知らされていなかったのだ。
「不心得者め!わしの許可なしで軍団を入城させるとはどういうことだ!警護兵達を死罪に処せ」
そう叫んだ。司令官の命を待たずに城門を開け、軍団をそっくり入城させるなど、聞いたことがないほどの大失態であった。警護兵に止まらず、カルコン自身が責任を問われてもおかしくないとんでもない不始末であった。
「その点は大丈夫です。ドンジョエル陛下の紋章を掲げた軍団です。その紋章も金色の紋章です」
警護兵の指揮官は、軍団の歩みを止めることなく開門させた自分の手腕を思い出しながら、満面の笑みを浮かべてそう報告した。
「そうか・・・お前達、怒鳴って悪かった。わしの手落ちだ」
カルコンはもう後戻りできない立場に立たされたことを知った。自分が治めるアマスクダリはもとより、部下達の中にもペリルポイルの手先たるスパークスの間者が潜り込んでいるのは承知していた。ドンジョエル国王の紋章を掲げた軍団の入城は、その者達には出世の種になりそうな小躍りするくらい嬉しいものに違いなかった。もう既に何人か、いや何十人かがサービア目指して勢い込んで駆けている姿が見える思いがした。
・・・矢は放たれた。もう前に進むしかない。たとえそれが破滅への道であっても・・・
部下達にペリルポイルの謀反を打ち明ける決心をした。知らさなくても噂となって部下達に伝わるのは時間の問題であった。とかく悪い噂は話し手の憶測を積み重ねて、事実と大きく異なったものになることが多い。噂が伝わってから打ち消しても、返って疑惑を深めてしまうものになる。無垢な者達に信じさせるには、より正確で、より早く話す必要があった。
決断すれば動きは早ければ早い方がいい。カルコンは士官以上の幹部将校を全員集合させ、よく声の通る若い士官を選んで、スパークスから受け取った手紙を読み上げさせた。その間中、カルコンは指揮台上から聞き入る将校達の様子を観察していた。衝撃的な内容だけに、ほとんどの者が驚きの声を上げることもなく、ぽかんと口を開けて聞いている。
読み上げが終わった。無言の時間が生まれ、どこ行き着くあてもなく室内を漂い始めた。ドンジョエル国王の無念を晴らすために戦いを訴える者、ペリルポイルを糾弾する者もなく、咳一つするのも我慢しなければならないほどの静寂。一人一人の胸の中では何かを感じているだろうに言葉に出せなかった。それもそのはず、ドルスパニア王国軍の士官にとって、ドンジェル国王は神のような存在だった。強大な帝国はいまだに各地に遠征軍を送り、その領土は拡大の一途をたどっている。その行き届いた治世は、異民族にも受け入れられ、反乱一つ起きなかった。戦場で鍛え上げた体には年相応に無駄肉はついたが、寝込むほどの病気を患ったこともない。外敵もなく、体を蝕む病にも無縁な国王だからこそ、少なくとも統治はこの先二十年は続くものと思われていた。その国王がこの世から消え去るなど、誰も思っていなかったのだ。
「何か言いたいことや聞きたいことはないのか?遠慮するな」
カルコンの誘い水にも応じる者はなく、部下達はただ黙って上目づかいをしていた。
「本当にないのか。陛下が討たれたのだぞ。何も思わないのか!」
念を押した。それでも部下達から何の反応もなかった。
・・・何もないとは・・・わしの部下どもがこれほど情けない奴等ばっかりとは・・・これではザイラル殿に対してわしの面目が立たぬ・・・
当惑が徐々に怒りに変っていく。
「おのれ、わしに恥をかかせおって!」
カルコンは最前列に並んだ指揮官達を歩きながら殴りつけた。指揮官達はカルコンの拳をまともに顎に受けて横向きに倒れた。最初の数人で拳を痛めたようで、殴る度に激痛が走った。普通の状態であれば、気の利いた部下が数人飛び出して謝罪して怒りを鎮めようとするのだが、ドンジョエル国王の死の衝撃から立ち上がれないのか、茫然と立ちつくしていた。
「許さぬ、覚悟するがいい」
もうドンジョエル国王の死は何処かに吹き飛んでいた。何も感情を表さない無抵抗者への狂気じみた殺意、そんな凄まじい怒りが体を突き抜いたのを感じた。眼前に並ぶ者達はもう部下ではなく、抑えきれない怒気を叩きつける対象に過ぎなかった。この怒気を収めるものは唯一つ、哀れな犠牲者の夥しい血であった。まず身近にいる数人を斬って捨てようと一歩歩み出したその時、
「カルコン、血迷うな。冷静になれ。部下の命を奪っても、解決するわけではない」
黙って見ていたザイラルが声をかけ、同時にカルコンの腕を押さえた。
「ザイラル様、止めないで下さい。わしの面目が丸つぶれだ」
カルコンはそう言ってみたものの、急激に怒りは収まりつつあった。もう自分が後戻りのできない立場に立たされているとわかっていた。これ以上の醜態を見せたくなかった。
「もう怒りは鎮まりました」
「それならいい」
ザイラルは腕を離した。
「ザイラル様、お話があります」
カルコンは部下に解散を命じ、ザイラルに目で合図をして別室へ誘った。




