十九章 大乱 217 遠征軍解散
・・六・・・
スーリフルの率いる二万の軍勢、どうやら多くが騎兵で占められているようだ。その堂々たる布陣を遠望しながら、イロガンセ将軍は遠征軍を整列させた。
・・・兵達はどう反応するだろう・・・
兵達を指揮する士官達は悩んでいた。各部隊長とその副官からドンジェル国王の非業な最期を告げられた。士官の多くが憤慨したが、二万の軍勢、それも完全武装に身を固めた軍勢を見て、どうする事もできない無力さを味わっていた。遠征軍はサービアを目前に、既に鎧、冑、弓、槍といった主要な武器は梱包していた。今ここで開梱することは、スーリフル軍に戦いを挑むと告げる行いになってしまうのだ。しかし上官が戦いを選択すれば、勿論全滅するのは免れないが、戦う気持ちは少なからず持っていた。ただ・・・部下が命令に従うかには、自信が持てなかった。全員整列させたのは将軍自らが国王の件を告げ、今後について命令するものと思った。
イロガンセ将軍が指揮台の上に立った。皆の視線が集まる。将軍は台の上から右から左に顔をゆっくりと回した。頭を垂れて下を向いているのは、ドンジョエル国王の死を知っている士官達であった。訓練された兵達は背筋を伸ばして、将軍に注目していた。
「皆の者、突然の連絡でわしも驚いたが・・・ドンジョエル国王が亡くなり、新しい国王としてペリルポイル様が王位に就かれた」
将軍の訓示中に私語を交わすことは許されないことであるが、兵達は一斉に仲間と話したり、上官を取り囲んだりした。兵達に取り囲まれた上官は、部隊長や副官から聞かされた話をそのまま告げた。ドンジョエル国王を絶対的な国王と敬っている者も多く、その場で泣き崩れる姿が見られた。
・・・陛下の偉大さを改めて案じる・・・
感傷的になりそうだった気持ちに鞭打って、将軍は言葉を続けた。
「本来であればサービアに入城し凱旋式典で華々しく迎えられるはずであったが、そういかなくなった。我々遠征軍はここで解散し、個々にサービアに入ることになる。諸君と過ごした遠征をわしは生涯忘れぬ。この後は部隊長の指示に従え。以上だ」
誰も異議を唱えなかった。信じられない言葉に麻痺して、ただ茫然としていた。そして最前列に立つ部隊長の命令に従い、のろのろと兵士達は部隊毎に分散した。
「ザイラル様、わが軍の兵達も少なからず動揺しています」
精強で鳴るザイラル軍も例外ではなかった。レヨイドはザイラルにそう報告しながら、ザイラルがどう動くかに大いなる興味を抱いていた。ヘドロバにペリルポイルの密書を隠すことなく見せたザイラルが、素直にスーリフルの軍門に下るとは思っていなかった。
「どうしようかの~」
ザイラルはそう言って目を閉じた。部下にその場での待機を命じると、自分にも椅子を持って来させ、悠然と腰を下ろして他の部隊を眺める態度を示した。レヨイドは待つしかなかった。前に一度経験していた。
その姿を見ている内に気持ちが落ち着いてきた。命をザイラルに預けている身には、もう怖いものは何もなかった。二万の騎馬軍団への恐怖は、霧が晴れるかのように心から消えて行った。
落ち着きを取り戻すと、他の部隊を見る余裕が生まれた。ほとんどの部隊は部隊長の訓示が終わると同時に解散し、兵士達が好き勝手に数人から数十人の単位になり、サービアに向かって歩き始めていた。部隊は既に消滅し、ただ一つの目的「サービアに戻る」、この言葉だけを支えに兵士達は歩んでいた。
「ここまでひどい有様になるとは・・・」
五千人以上の軍団が大きく前後左右に広がり、無警戒さを露呈しつつ進んでいる。指揮系統を完全に失っていた。もはや正規軍とは言えない。この機に数百人規模の騎兵に突撃されると、文字通り壊滅してしまう。情けなさを通り越していた。
「あっ、スーリフル軍が動きます」
遠目の利く部下が報告した。
「何!」
スーリフル軍の突撃かと戦慄を覚えて、思わず周囲の何人かが立ち上がった。血の気が引いいた真っ青な顔になった。
「ばか者、座っておれ。奴等は遠征軍が全て瓦解したものと思い込んでおる。強者の油断よ。わしらに何の疑いも持たずに引き上げて行く」
ザイラルは皮肉を浮かべた表情をしてそう言った。
読み違いはなかった。スーリフル軍は無秩序に歩き出した遠征軍が足手まといになるのを避けるように、サービアに向かって一斉に動き出した。千人単位の騎馬軍が列を乱すことなく次々に整然と動く様は、希望を失い、漫然と歩いていた遠征軍の将兵達に、ペリルポイル軍の主力をなす精鋭軍たる姿を見せつけた。ドンジョエル国王の仇を討つと息巻いた者達は、「無謀な戦いを挑まなかったことが自らの命を長らえさせた」ことをと痛感した。加えて騎馬軍団が巻き起こす土埃をまともに浴びて、先程まで自慢げに着こなしていた軍服も茶色に染まり、外見上も惨めな姿をさらしていた。
スーリフル軍が去った後、ザイラルは自軍を整列させた。部下達の覚悟を確かめる必要があった。遠征軍の瓦解を目の前で見せられては、軍律の厳しさで鳴るザイラル軍将兵も少なからず動揺しているはずであった。サービアを目前にして反転することは、さっきのスーリフル軍に追撃する理由を与え、全滅の憂き目にあう懼れもあった。
「整列終わりました」
副官のレヨイドの報告を受けて、ザイラルは指揮台の上に立った。遠征軍の将兵の大半は去ったようだ。その中でザイラル軍だけが残っている形になった。指揮台に立ったザイラルに注目する、目、目。その目を一通り見回した後、ザイラルは口を開いた。
「長い遠征であった。その遠征中、戦ったのは我軍を含めて、四軍。多少の犠牲はあったが、我軍だけが生き残った。それは我軍が遠征軍一の精鋭軍であったからじゃ。それを誇りに思ってくれ。しかし予想もしない事態が起きた。陛下が討たれるとは誰も思ってもみなかった。そうであろう。あのヘドロバ様でさえ予測できなかったことを、わしらがわかるははずもない。わしも今日知ったばかりじゃ。陛下をお救いできなかったことを誰も恥じる必要はない」
ドンジョエル国王の死に対して抱いていた罪悪感が払拭された気がして、その言葉に多くの将兵が頷いた。
「さて・・・わし達はこれからどうすべきかであるが・・・。遠征軍はサービアを目前にして、あろうことか瓦解してしまった。しかし、それはスーリフル軍の威圧に負けたからではない!自分達自身で自壊してしまったのだ。六千の遠征軍が死ぬ気で戦ったなら、二万のスーリフル軍と互角に戦えたであろう。わしらにはそれだけの力があると確信している。なぜならタイガルポット出身者が多くを占める精鋭軍だからじゃ。そうであろう!」
仲間が去り、最後に残ったザイラル軍の兵士達の沈みがちな気持ちに、部隊長の自信に満ちた口ぶりが浸透していく。兵士の顔に精気が蘇り始めたのが見てわかった。
「引き返した戦いでオクキタヨ軍が壊滅したのは、兵達の罪ではない。上に立つ者のばかげた指揮によるものじゃ。その証拠に我軍は村の奴等との戦い、その後の無謀なソイジャル、ドニエリ軍にも加わらず、無傷とも言える軍容でここまでやって来た」
「そうです。ザイラル様のご判断はいつでも間違っていません」
「他軍の友からこの軍にいることを、羨ましがられました」
「遠征軍、いやドルスパニア軍内でも抜きんでた軍です」
兵士達の気分の高揚は、落ちる時も上がる時も極端だ。兵達は列を乱すようにして、指揮台に立つザイラルの足元に集まって来た。将校も兵達の乱れを叱責することなく、成り行きに任せていた。ここでの叱責は熱気に水を差すことになる。
ザイラルはここで何を言っても、全将兵が自分に従うことを感じ取った。狙い通りの快心の展開だ。
「わしは決心した。ドンジョエル陛下の仇を討つ。ペリルポイルの首を陛下に捧げるのじゃあ~!」
戦場で鍛え上げた声が轟く。すかさず兵士達が、
「ペリルポイルに死を、ペリルポイルに死を、ペリルポイルに死を」と声を合わせる。鎧かぶとこそ身につけていないが、目は爛々と輝き、命令を下せば今さっき姿を消したスーリフル軍を追撃できそうな勢いであった。
「よし、皆の命はわしが預った。今よりアマスクダリに向かう。アマスクダリはサービア防衛の最終拠点じゃ。カルコン長官はわしのかつての部下、ドンジョエル陛下を信奉する思いは、わし以上だ。そのアマスクダリでペリルポイル討伐を天下に宣言する。ドンジョエル陛下に恩義を受け、わしらと同じ思いを持つ兵力を結集して一大決戦を挑む。続け~」
そう言い切ると指揮台から飛び降り、レヨイドから馬の手綱を受け取ると鮮やかな飛び乗りをした。レヨイドがその後に続いた。二人は部下達が大慌てで馬に飛び乗ろうとする時間を稼ぐように大きく円を描いて、駆けさせていた。
「急げ、急げ」
「遅れるな、恥だぞ」
部隊として動き出すまでには時間がかかる。馬上の将校は、二人が先に駆けださない様に祈りながら歩兵や弓隊を急き立てる。用意の整った者達は命令を待ちつつ、円を描くように駆けている二人に注目していた。
「レヨイド、もう少しで全軍に進軍命令を下せそうじゃ。皆が見ておる。例のものを掲げろ」
「はい」
二人の会話は将兵には聞こえない。
レヨイドが馬で駆けつつ、槍に何かを結びつけているのが見えた。
「ザイラル様、出発準備が終わりました」
大声で軍容を整えていた将校が報告した。
「出発!」
ザイラルが右手を大きく上げ、振り下ろすとのを見て、レヨイドが大声で命令を下す。各部隊の指揮官がそれを受けて、次々に命令を復唱し、自分達の部下に前進を促した。そうしてようやく三千の部隊が、ゆっくりと動き出す。敵を目前にしての突撃命令であれば、すぐさま動き出すが、単なる前進命令はどうしても反応が鈍くなりがちだ。
ザイラルとレヨイドは軍団の最後尾が動き出すのを確認すると、今度は先頭に出るつもりなのか、軽く馬に鞭を入れた。馬はすぐさま行き足を速め、軍団の横をすり抜けるようにして徐々に前方に上がって行く。大部分の将兵が自然と最前列に向かう二人を目で追う形になった。
ザイラルの後に続いていたレヨイドが馬で駆けつつ、槍に何かを結び付けていた。両手を離し、両膝で難なく馬を操る見事な乗馬術であった。その姿を羨ましげに見ていた部下達は、彼がその動作を終えて片手で手綱を持ち、もう片手で槍を持ち上げた時、その槍にくくりつけられたのが黒い布地で、金色の獅子が刺繍されていると気がついた。
「おおっ」
驚きの声が上がった。それもそのはず・・・近衛軍もドンジェル国王を護る時にだけ掲げることが許される王冠を抱く金色獅子であった。遠征に於いてはヘドロバが一度だけこの紋章を見せていた。今ザイラルがこの旗を手にしているということは、ヘドロバから譲られたことを意味していた。
「あの旗を掲げられるのは、ヘドロバ様とザイラル様が手を結ばれたからだ」
「俺達はドンジェル国王軍、それも近衛軍と同格になった」
金色獅子の旗を見るだけで、無限の勇気と力が湧き上がってくるのを感じた。もうスーリフル軍に対して何の怖れもなかった。ザイラルが追撃命令を下せば、二万の騎馬軍に挑む覚悟も生まれていた。
「ザイラル様、大成功です。兵達の目の輝きをご覧下さい」
「うむ、死線を越えたな。アマスクダリまで駆け続けるぞ」
ザイラルとレヨイドは先頭に立つと、勢いよく鞭を入れた。全軍の士気の高まりを感じ取っていた。落ちこぼれはいないはずだった。
騎馬兵の立てる濛々たる砂塵をまともに浴びながら歩兵が続くが、それを避けるために立ち止まろうとする者はいなかった。「アマスクダリへ」、「アマスクダリへ」と呪文のように唱えながら、大地を揺るがしながら走り続けていた。




