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十九章 大乱 214 虎の尾

・・・三・・・


 一ジータ(一時間)後、ザイラルとレヨイドは二人だけでヘドロバを訪ねた。部下を連れて来なかったのは、ヘドロバに会うことを秘密にしておきたいからであった。部隊の誰もが、指揮官の感情を反映してヘドロバを忌み嫌っていた。二人のあれだけの確執を見せられた上に、コボス軍に壊滅させられたドニエリ、ソイジャル両軍の生き残り達がいて、遠征軍の中でも飛び抜けた悪感情を抱いていた。そのヘドロバを訪ねたという噂が流れるだけでも、士気の低下とザイラルへの忠誠心が著しく損なわれるのは目に見えていた。

「ザイラル様、ヘドロバ様は会ってくれますでしょうか?」

 レヨイドはザイラルの決断に異を唱える気はなかった。決断に至った理由を聞かされていなかったが、その内話してくれるものと思っていた。ただ・・・ヘドロバが前触れのない訪問を受け入れてくれるかどうかには自信が持てなかった。

「その点は大丈夫だ。他ならぬわしの訪問を聞いて、会わずに追い返すほど馬鹿ではない」

 ザイラルはヘドロバに会えることは確信していた。それより自分が仰天した手紙を読んだ際の反応、これから先どう動くのかを知りたかった。

「ヘドロバ様、ザイラルです。火急の用件で参りました」

 ザイラルは戦場で鍛えたよく通る声で来訪を告げた。一度だけの呼びかけでヘドロバの耳に直に聞こえたはずであった。後は待つだけでいいと思った。

 ほどなく大きな扉が開いた。背の高い男が姿を現した。コボスだった。

 二人は無言で向かい合った。コボスの表情はザイラルを拒絶、いや敵視するような厳しいものではなく、その辺りの者の訪問を受けたような何気なさがあった。もちろん旧知の友を迎える喜びの表情ではないが。

「これは、これは・・・ヘドロバ様も驚かれています。これから案内させていただきますが、私も同席させていただきます。差し障りありますか?」

 そう言いながら、ヘドロバの承諾を身体で示すように、もう背中を向けて歩き出していた。広い肩幅と盛り上がった筋肉がコボスの逞しさを語っていた。

「勿論ですとも。コボス様の意見もお聞きしたいし、できれば御指示頂きたいものです」

 この言葉にコボスが振り返った。

「私に・・・。ザイラル殿からそのような言葉が出るとは考えもしなかった」

「コボス様はヘドロバ様の警護役。私はあなたと争いましたが、正々堂々の勝負でした。敬うことあってもお怨みすることは致しません」

 レヨイドは耳を疑った。ザイラルの口癖は「あの屈辱を決して忘れない。コボスの息の根を止めるためならどんな手でも用いる。悪魔に魂を売っても構わない」であった。

・・・あのザイラル様が・・・これは大きな賭けだ。負けられない・・・

 レヨイドはザイラルの決意の大きさ、深さを思い知った。


 ヘドロバは椅子に座ってザイラルを待っていた。背後の壁にはコレーション将軍の処刑を巡って騒ぎになりかけた時に、ヘドロバが兵達を沈黙させたドンジョエル国王の王冠を抱く獅子の紋章が飾られていた。

 コボスは部屋に入ると、ヘドロバの横に置かれた椅子に座った。二人と相対するように椅子が二脚あった。ヘドロバはザイラルとレヨイドに座れという風にして杖で二つの椅子を指した。

「失礼します」

 ザイラルとレヨイドは遠慮することなく座った。間近で見ると、ヘドロバの老いた顔が余計はっきりと見えた。皺顔の中に二つの目があった。目は老人特有の濁り目ではなく、相手の心の隙を窺い見るような光を宿していた。老婆の耳に娘が好みそうな意匠の小さな首飾りが揺れているのを見て、レヨイドは少なからず驚いた。

「ヘドロバ様、前触れもなくお訪ねして申し訳ありません」

 ザイラルは遠征軍の誰もが抱く恐怖心とは縁遠い態度で、そう話を切り出した。

「それはよい。火急の用とは何事じゃ?」

 ヘドロバも事ある毎に反抗するザイラルには悪感情を持ち、あまり会いたくない類の男だった。ザイラルからも嫌われていると知っていた。火急の用件と切り出されなかったらコボスに追い返させたに違いなかった。

「サービアへ先乗りさせた私の部下が、とんでもない手紙を託されて参りました。ヘドロバ様の御指示を仰ぎたくて、不躾にもここに参りました」

 そう言ってザイラルは立ち上がると、懐から手紙を取り出してヘドロバに渡した。

「誰からの手紙だ?それになぜわしに見せる?遠征軍の指揮官はイロガンセ将軍であろう。まず将軍に見せ、将軍からわしに報告するのが筋であろう」

 手紙を受け取りながら、ザイラルの顔をじっと見ながらそう聞いた。

「その手紙には、これから先のヘドロバ様と私との係わり合いについて重大なことが書かれています。何もお聞きにならず、その手紙をまずはお読み下さい」

「よし、わかった」

 ヘドロバは手紙の文字を追いかけ始めた。ザイラルとレヨイドは瞬きもしないで、ヘドロバの顔を凝視していた。

「なんじゃあ!これは!」

 いきなりヘドロバが大声をあげて立ち上がった。手紙を待つ手が小刻みに震え始め、次に怒りのために力を入れたせいであろうか、身体全体がわなわなと揺れ始めた。皺に隠れて見えなかった目が見開かれ、顔が忽ち血の気を失って白くなっていく。

「ヘドロバ様、どうなされた?」

 隣に座っていたコボスがヘドロバの異常さに気付き声をかけたが、コボスの声さえも耳に入ってないようであった。

 ヘドロバは最後まで読み、その手紙をコボスに手渡した。手渡すと同時に、ザイラルとレヨイドに視線を向けた。

「ザイラル、わしの首が欲しいか?」

 その瞬間、ザイラルとレヨイドは弾かれた様に椅子から立ち上がった。ヘドロバの長い髪が徐々に逆立つのが見えた。生温かい妖気のような風がヘドロバから吹いてくるのを感じた。小さな老婆の身体が少しずつ大きなっていくように思えた。早く言い訳しなければ命の灯が吹き消されるに違いなかった。

「とんでもない。そうであれば、二人だけで来るわけがありません。陛下から金色獅子の紋章を許されたヘドロバ様。それだけでご信頼の深さがわかります。どうかお怒りをお静め下さい。かく言う私もタイガルポット出身。陛下への忠誠心は誰にも負けません。私も怒りをようやく静めました。今の私には謀反人のペリルポイルを討つこと意外考えられません。ヘドロバ様の御指示を仰ぎたく思います」

 ザイラルはヘドロバが隣に立つコボスの剣を引き抜き、喉元に突きつけられても動じることなく弁解した。剣が鞘から完全に抜かれた時に、ザイラルはあの忘れもしない回りが青一色の空間に立たされているのがわかった。横目でレヨイドを見ると、真っ青になって震えていた。声も出せないようで口を大きく開けて、虚ろな瞳でヘドロバを見ていた。

「ザイラル・・・」

 ヘドロバから言葉を一つずつ区切って名を呼ばれた。ヘドロバとコボスの身体が見る間に大きくなっていく。

・・・あの時と一緒だ・・・

「ヘドロバ様、私をお信じ下さい。それができぬというのであれば、この首を刎ねて下さい」

 ザイラルは両足を踏ん張り、逃げ出したい気持ちを抑え、腹の底から声を出した。後ずさりしても背中に後ろに見えない壁があるのを感じていた。

 刃風と共にヘドロバが剣を一閃させるかもしれない恐怖。巨大な足で踏みつぶされそうな恐怖。こちらからは何もできず、相手の出方をただ待つだけの時間。命を掛けた覚悟はそう長くは持ち堪えられない。

・・・まだか、まだか・・・

 気が遠くなるほど長く思える時間が過ぎていく。ヘドロバから何の言葉もない。

・・・もういい、充分だ。命など・・・いらぬ・・・

 斬られてもいいから背中を向け、大声を出ながら思う存分走れたらどんなに気持ちがいいだろうか。ザイラルは観念し、目を閉じた。大きく息を吸い、それを吐くことを数回繰り返した。ようやく気持ちが落ち着いて来た。目を開けると、椅子に座っているヘドロバが見えた。コボスも椅子に座っていた。さっき抜かれた剣は鞘に収まっていた。

・・・レヨイドはどこだ・・・

 床に倒れているレヨイドの姿が目に入った。固く目を閉じているが、斬られた様子もない。気を失っているだけであった。

「ザイラル、どうやら嘘ではないようだな。ドンジョエル国王が討たれるとは、このわしでも思いもよらなかった。この場ですぐにどうしろとは言えぬ。ここはじっくり考えるのが大事じゃ。将軍に伝えてくれ。わしが明日全軍に話す」

 ヘドロバはそう命令すると、コボスに目で合図をした。コボスが立ち上がって部屋の扉を開けた。ザイラルはレヨイドを担ぎ上げると、ヘドロバを振り返ることなく部屋を出て行った。


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