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二章 カイデン 21 ポレルの恋心

・・・五・・・


 ポレル、サイノス、バーブルについて少し語ろう。三人ともその名前はシュットキエルに留まらず、ドレルライン地方でも広く知られていた。ポレルは歌と踊り、バーブルはシュエード、サイノスは剣だった。幾多の腕自慢達が三人に挑んだが、誰一人としてその名声を奪い取れなかった。

 数ヶ月前に召集されたヨードル、ハンス、トカレイはそれぞれの父親で、セレヘーレン・テスを同時に受け取り、同じ部隊で戦った。そして無事に帰って来ると、同じ頃に結婚し、子供が生まれるのも一緒と不思議な縁で結びついていた。互いの家を遠慮なく行き来する仲で、妻同士もうまくいっていた。バーブル、サイノス、ポレルはこんなわけで、小さな頃からよく遊んだ。男女を意識する年頃になれば、多少ぎくしゃくするのだが、ポレルが娘になってからもその関係は続いていた。もちろん、日ごとに美しくなるポレルにサイノスとバーブルが無関心だったわけではない。どちらとも胸に秘めた特別な思いを、それとなく告げたことがあった。しかしポレルの無邪気過ぎる答えを聞いて、それ以上深入りしなかった。無理に恋心を求めるよりも、ポレルの優しさに包まれる方を選んだのだ。

 父親達を送り出した後、二人は毎日のようにポレルの家に足を運んだ。ポレルの暮らしぶりも気になってのことだが、カイデンに会えるのも大きな理由となっていた。それほどカイデンは大きな存在になっていた。ポレルは父親のいない寂しさをカイデンとの暮らしで癒され、サイノスは剣の奥義を授けられた。バーブルはサイノスより早くカイデンに偶然に出会い、十六鐘を鳴らす上での素晴らしい暗示を受けた。その暗示のおかげで十六鐘はもとより秘密の鐘を引き継げた。

 ポレルの愛に分け隔てはなかった。父親達を戦場に連れて行くはずのカイデンが病気で倒れた時、「家で看病したい」と頼見込んだのは彼女だった。トカレイも最初は村人同様、「老使者を娘一人の家に置けない」と考えたが、ポレルの澄んだ青い瞳で見つめられると、自分が恥かしくなってしまい最後には許した。ポレルがいなかったら、カイデンは病をおして長旅に出なければならず、途中で死んでいたかも知れない。村に残ったとしても、戦場へ村人を連れ出す使者は誰からも疎まわれており、親身になって介抱してくれる者もいなかっただろう。そんなカイデンを懸命に看病した。

 青い瞳と強い意志を示す眉。少し肉厚な唇から溢れる白い歯。背がすらり高く、豊かな長い金髪をなびかせ、時には束ねて踊る姿の美しさに、誰もが心を奪われた。そして何よりも人々を魅了したのはその微笑みだった。気難しい者もポレルの微笑に顔を崩し、乱暴者も遂愛想笑いを返した。年寄りの中には、「ミエコラル山の聖女が姿を現す」との言い伝えを信じ、「ポレルが聖女に違いない」と口にする者もいた。実際噂が広まり、ポレルを見ようと大勢集まったこともあったが、迷惑そうな顔をせず優しい口調で声をかけ、そんな者達を歓喜させた。「老人世界のお姫様だな」とからかわれても、平気な顔をしていた。村人達は普通の娘にはない不思議な雰囲気と高貴さを持つポレルを、いい意味で、「トカレイの娘とは信じ難い」と噂した。そんな娘がポレルなのだ。


「ねえ、カイデン様。恋をしたことがある?」

 ある日カイデンはポレルから何時にない真剣な表情で尋ねられた。

「恋?何だ?それは?食べ物か?」

 ポレルの悪戯に引っかからないように、カイデンはとぼけ顔で言い返した。「恋」の話などは一番危うい類の言葉である。

「恋ですよ。カイデン様。ごまかそうとしても駄目ですよ」

 口をとがらせて、ポレルが逃げ道を塞ぐ。

「ごまかす?このわしが・・・か?」

 そう言いながら耳たぶを触った。

「ほら、その癖・・・。私にはわかります」

「はっはっは。癖まで見抜かれたとあっては、嘘はつけないようじゃな」

「もう、カイデン様は・・・」

 頬を膨らませてきっと睨んだ。もちろん悪意を含んだ視線ではない。

「そうふくれ面をするな。美人が台無しじゃあ」

 吹き出すポレル。にこやか顔のカイデン。両者の揺るぎない信頼が垣間見えた。カイデンは心の疲れで病気になったようなもので、ポレルの優しさに包まれて、短時間で病気を克服していた。

「そうさなあ、わしも男だから昔は恋もしたさ」

 遠くを見る視線になった。風の穏やかさを示すように雲がゆっくり流れている。大きな雲を追いかける小さな雲。親子雲がカイデンの心に小さな痛みを与えた。

 カイデンの心がどこかに飛んでいた。寂しそうな横顔を初めて見た。

「ねえ、恋ってつらいものなの?」

 カイデンを思いやって小さな声を出す。

「ん?何か言ったか?」

 果たしてカイデンの心はこの場になかった。

「もう!恋はつらいのかって聞いたのです」

 ポレルが大きめの言葉を投げる。カイデンの目に生気が蘇っていた。

「なあ、ポレルや。お前は、恋をどう思っておる?」

「本には『相手を好きになって、もっと好きになるのが恋』と書いてあったわ。もっと難しい本では、『相手のためなら自分を犠牲にしても惜しくなく、相手の気持ちが自分に向かないと、不安と焦燥に駆られる』とあるけど・・・。私も困っている人がいれば自分を犠牲にできるけど、相手から見返りなど貰おうと思っていないわ。カイデン様も好きだし、村のおじいさんもおばあさんも好き。それ以外の人も全部好きなの。本の内容とは少し違うわ」

 カイデンはポレルのこの言葉で、未熟さを感じ取った。

・・・これは、これは。気持ちのやさしい娘だが、恋について全く知らず、入り口にも辿り着いていない・・・

「では、何故恋のつらさを聞くのだ?」

「実はね、前から誰かに聞こうと思っていたの。何でも知っているカイデン様ならきっと分かりやすく話してくれると思っていた」

「その信頼を失ったら大変じゃ。よく聞くとしよう」

 テーブルを挟んでポレルと向かい合わせに座っていた。ポレルは両肘を突いて顔を支え、カイデンは椅子に深く腰掛け、両足をテーブルの上に斜めに投げ出していた。窓から入ってくる日差しがテーブル上のスプーンを鈍く光らせる。

「幼馴染でいいお友達が二人いるの。ほら、バーブルとサイノスの二人よ。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるの。その二人がある日思い詰めた顔をして、『ポレル、君が好きだ』って別々に言ったわ。私もそう思っていたから、『私も好きよ』と答えたら、飛び上がって喜んだわ。その後また二人は、同じ質問をしたわ。『どの位好き?』って。で、私が『あなたのことはお父さん、トーレル、ショバン、コーモランデさん、私の踊りをよく見てくれるおじいさん、おばあさん・・・う〜ん・・・村の全ての人と同じよ』と言うと、がっかりして下を向いたわ。なぜそんな顔をするのかわからなかった。昔も今も私の心は一緒でしょ」

 カイデンは、込み上げて来る笑いを無理に押し殺した。

・・・話にならないほどの初さじゃ。ポレルは今までに恋をしていない。誰かが気持ちを打ち明けても、少しも気付かないだろう。何度告白しても、期待する返事は返って来ない・・・

「では、何故恋のつらさを聞くのだ?」

 初な娘心を聞く機会などめったにない。カイデンの心はわくわくしていた。

「実はね、幼馴染でいいお友達が二人いるの。ほら、バーブルとサイノスの二人よ。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるの。その二人がある日思い詰めた顔をして、『ポレル、君が好きだ』って言うのよ。それも一人一人別々に。同じなら一緒に言ってくれればいいのに、そう思いません?」

「うん、確かにそうじゃ」

 そう言ってカイデンは奥歯を噛み締めた。こうでもしないと笑いの誘惑を断ち切れなかった。

「それでね、二人のことは大好きだから『私も好きよ』と答えの。飛び上がって喜んだわ。その後でまた二人は、同じ質問をしたわ。『どの位好き?』って。で、私が『あなたのことはお父さん、トーレル、ショバン、コーモランデさん、私の踊りをよく見てくれるおじいさん、おばあさん・・・う〜ん・・・村の全ての人と同じよ』と言うと、ぽかんと口を開け、それからがっかりした顔をして下を向いたわ。なぜそんな顔をしたのかがわからないの」

「それで、二人はどうした?」

 カイデンは右手で自分の大腿部を強く摘んだ。苦痛を与えて笑いに耐える。気持ちを打ち明けた二人の落ち込んだ様子が目に浮かんだ。生意気なサイノスの最大の弱みを握った。

「それでも気を取り直した風に私に聞くの。親友だから気持ちが通じるのかしら・・・全く同じ問いかけだった」

「ふん、ふん」

 誘惑との戦いが続く。右手に力を込めた。

「『俺を好きな気持ちはおじいさん達と一緒?俺だけに特別な気持ちは感じない?』と聞くから、私は『小さい頃からずっと変わらないわ。誰もが大好き。それに好きな気持ちに差を付けられないわ。だからあなたもバーブルと大好きよ』と言ったの。そしたら『そうかあ・・・ポレルの心は空のように広いのか・・・ポレルへの恋はつらいなあ・・・』って泣きそうな顔で言うのよ。それから『恋はつらい』って言葉が気になって、誰かに聞きたかったの。恋と好きは違うの?カイデン様・・・だから聞いたのよ」

 笑いを押さえ切れなくなった。カイデンの目に涙が浮かんでいた。

「はっ、はっ、は。お前の言う通りだ。二人以外にも言い寄る奴はいなかったのか?」

「それがいないの。私を呼び出して何か言おうとする人はいたけど、肝心な話になると何も言わないで逃げて行くのよ。私は真剣に聞こうと相手の目を見て待っていた。もう少し微笑んであげればよかったかしら?」

 ポレルは小さく首をかしげた。カイデンも思わず見とれる可愛い仕草だ。

 カイデンは若者の気持ちを想像して、楽しくなった。

・・・恋心を高めて思い悩んだ末、気持ちを打ち明けるまでになったが、いざポレルの前に立つと言葉が出ないのであろう。打ち明けて振られるよりも、普通に話せる関係でいる方がずっといい。ポレルの青い瞳と微笑みにはそれだけの魅力がある・・・

 万人に対する愛情を持つポレル。そんな娘に恋の講釈は難しい。ポレルが恋を知り、悩んだ経験を持つ娘であったなら、こう言ったに違いない。

「恋というものはあこがれであって、つらいなんてめったに聞かないものだ。わしはな、『恋は楽しみであり、愛は喜びと悲しみである』と思っておる。本物の愛を知りたいのならつらい恋にも耐えなくてはならん」

 もしバーブル、サイノスのどちらかを選ぼうとして悩んでいれば、こうも言っただろう。

「ポレル、お前はまだ若い。二人がお前を好きなら、好きなままにさせておけ。男同士で最後は決めるだろう。それにな、ポレル。世間には大勢の男がいる。もっとお前を悩ませる男が現れるかもしれない。時間はいくらでもある。ゆっくり考えるがいい」と。

 カイデンはあれこれ考えを巡らした。

「ねえカイデン様、黙り込んで何を考えているの?」

 無言になったカイデンの顔を今度はテーブルに両腕をつき、その腕に顎を乗せて上目で見上げるポレル。青い目に吸い込まれそうになったカイデンは、現実の世界に戻ろうと数回首を振った。

「ポレル、将来夫となる者をどう選ぶつもりじゃ?」

「夫?・・・まだまだ先のことだわ。私は外の世界に出てみたい」

 ポレルはシュットキエルだけで一生を終わらせたくなかった。この村を嫌っていないが、小さな世界での暮らしが自分には合わないと感じていた。国中はもとより他国を旅したカイデンの話を聞いて、外への憧れを以前に増して強くしていた。

「友達は『戦いが早く終わり、復活するミエコラル祭りで結婚相手を見つけたい』と口にするけど、私は全然そう思わないの。戦いの終わりを望む気持ちは同じだけど、それはこの村から出るためよ。いつ戻って来るかわからない。どこへ行きたいのかも決めていない。だから結婚なんて考えていないの。カイデン様・・・私は変かしら?」

 ポレルの顔に憂いが走り、一層美しく見せる。ポレルの抱く憂鬱がカイデンにも伝わった。

・・・困ったものじゃあ。これからも多くの若者がポレルに恋心を抱くだろうが、その心は得られないだろう。だがポレルの傍にいるだけで満足するだろう。ポレルのためなら命を投げ出す気持ちも抱くに違いない。婆さん達の言う『ミエコラル山の聖女』はあながち嘘ではないかもしれない。聖女を頂点にした新しい流れが始まりそうな予感がする。混沌とした世をポレルが救うかもしれないな・・・

 カイデンの脳裏に予感が走った。

「恋の意味などわからなくても、何一つ気にすることはない。お前は周りから恋され、愛される娘だ。若者に限らず誰からもな。これから先、お前に魅せられる者が増えていく。望めば喜んで命も投げ出すじゃあろう。サイノスの言う『老人世界のお姫様』も、強ち冗談ではないかもしれん。外に出たいなら迷わずそうしなさい」

「からかわないで下さい。私はそんな大層な娘ではありません。でもカイデン様の言葉は間違いありませんから、恋についてはそう思うことにします。外に出たい気持ちを打ち明けたのはカイデン様が初めてなの。賛成してくれて勇気が湧いてきた。だからカイデン様は大好きなの」

 悩みを解決できたのか、さっきまでの沈んだ表情が消え、娘らしい華やいだ顔になった。「カイデン様、大好き」の言葉はカイデンをどきっとさせた。ポレルの恋心講釈を聞いていなかったら、老いた胸に恋心を育てるところだった。

「ポレルや。今のお前は、わしから見ても美しいぞ。わしが若ければ、そうした若者の一人になったところだがな・・・」

「まあ、カイデン様ったら何をおっしゃいます?カイデン様は絶対駄目。私のおじい様ですもの」

「おじい様か・・・それは残念だ」

 二人は顔を見合わせ、笑った。日差しはいつの間にかテーブルから退場し、山の彼方におちようとしていた。もうすぐポレルの家に腹を空かせた若者が帰って来る。ポレルは前掛けをすると、腕まくりをして台所に向かった。カイデンは見送ると立ち上がり、大きく背を伸ばした。そして心地よい一日をすごせたことを神に感謝した。


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