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十七章 トーリア 200 出会い

・・・六・・・


「トーリア、そろそろ帰りましょう。お父様があちらでお待ちになっているわ」

 いい雰囲気で話している二人の後ろから、遠慮がちな声がした。振り返ってみるとすらりとした体型の、気品のある女性が立っていた。変に着飾った夫人が多い中で着ている服は娘同様に地味だが、今までの宴席で会った同年齢の女性の中では群を抜いて美しかった。太り気味の娘の母親とは信じ難かったが、目元から口元をよく見ると、娘がもう少し痩せれば母親似になりそうな感じもあった。

「あ、お母様、そんな時間なの・・・残念だわ」

「その方はどなた?」

 彼女はサイノスと話すトーリアを遠くからか見ていて、これまでにない娘の楽しそうな姿を見て喜んだ。そして母親として相手の正体を知りたくて声をかけたのだ。

 サイノスは母親らしき女性の視線を受けた。娘を紹介する他の母親のような値踏みする視線など一切送らず、真直ぐにサイノスの目を見る。サイノスは視線を避けることなく、母親の目を見返した。

 しばらく見つめ合っていた二人だったが、先に母親は視線をはずすと微笑んだ。自然な笑みを見て肩の力が抜けたサイノスは、その時になって互いに自己紹介をしていなかったと気づいた。今母親の声かけで娘の名前がトーリアと知った。

 一方のトーリアはサイノスの名前を聞かない内に母親に声をかけられ、困った表情をした。紹介者無しで初対面の相手と話し込むなど、貴族の娘として許されない。

「お母さん、はじめまして。サイノスです。お嬢様には命を助けられました。私の命の恩人です」

 サイノスは抜け抜けと初対面の母親を『お母さん』と呼んだ。

「命を・・・ですって!」

 母親は驚いて二人の顔を見た。いきなり『お母さん』と言われたことにも戸惑ったが、娘がこの逞しい若者の命を助けたという話の方が信じられなくて、その内容に強く気持ちが動いた。母親の探るような視線を受けて、トーリアは笑いを堪えた顔をしたが、その無理をした表情がサイノスの話を認める格好になった。年上好きと言われているサイノスは、その言葉を証明するかのように母親にも如才なく椅子を勧め、如何に自分が苦しい思いをしている時にトーリアに助けられたかを話した。母親は最初真剣に話を聞いていたが、途中から驚くほどの話ではないと気づいた。それでもサイノスの話を中断させて席を立つこともせず、最後まで話を聞き終えると周りが注目する程の明るい声で笑った。

「あ、お母様が笑ったわ。久し振りだわ」

「だって、サイノスさんの話には嫌味がないもの。からかわれたけれど怒る気にもならないわ。いい方のようね」

「そうよ、私も素適な人だと思うわ」

「まあ・・・」

 これをきっかけにして母娘はサイノスと旧知の間柄のように和やかに話した。次々に話題が出て来て、初対面ではありがちな話のネタ切れで黙り込む時間はなかった。時々母親は視線を遠くに送って、待っている夫を気にするそぶりを見せた。もっと話す時間が欲しいとサイノスが思い始めた頃、母親はこれ以上夫を待たせられないと判断したのか、トーリアを促して立ち上がった。トーリアは急いで紙にサービアでの住所を書くと、母親の目の前でサイノスの手を握り、「サービアに着いたら訪ねて来て。楽しみにしているわ」と名残惜しそうな顔をして渡した。

「トーリア、娘が恥かしいことをして・・・でも、サイノス、私も待っているわ」

 母親は娘にたしなみを教えたが、娘の仕草はひとまず肯定した。そして何を思ったのかサイノスに近づくと「私を抱きしめて頂戴」と言い、サイノスの返事も聞かず胸の中に細い体を寄せた。サイノスは一瞬躊躇したが母親の背中に手を回し、しっかりと抱きしめた。母親はサイノスの胸の中で目を閉じ、無言で抱かれていた。トーリアは母親を引き離すこともしないで、傍で静かに待っていた。サイノスが母親の頭越しにトーリアを見ると、彼女は片目をつぶって『お母さんの好きにさせて』という風に・・・これはサイノスがそう感じたことだが・・・合図をしてくれた。それを見て安心したサイノスは、母親が体を離すまで抱き続けようと思った。

 密着した姿勢が続き、母親の体温と懐かしい香りがサイノスを穏やかな気持ちにさせた。周りの者は突然の抱擁は三人が親戚関係だと思い込んだようで、微笑ましい光景と見ていた。これが二人の間に親戚関係がなく、初めての出合いと知ったら、大騒ぎになっただろう。

「必ず行きます、お母さん。トーリアさんと待っていて下さい」

 サイノスは抱きしめた力を緩めることなく、顔を形のいいトーリアの母親の耳元に近づけると、恋人にささやくような思いを込めて自分の気持ちを伝えた。母親はサイノスのその言葉を待っていたわけでないが、両手で逞しい胸をそっと押すと静かに体を離した。母親の優しさと慈愛に満ちた美しい目には涙が浮かんでいた。トーリアは何も言わずハンカチを取り出すと、母親の涙をそっと拭いた。母親は目でトーリアに礼を告げ、サイノスには優しい微笑を見せると背を向けて歩き始めた。トーリアは母親の後をすぐ追いかけたが、サイノスを振り返り片手を小さく振った。

 二人はサイノスに見送られる格好で待っている父親の所にいくと、もう一度振り返った。母親は夫に何事か告げ、夫はそれを聞いて妻を抱きしめた。妻はサイノスに抱きしめられた時とは違って夫の背に腕を回し、夫をしっかりと抱きしめた。トーリアは二人の間に割り込むように体を入れて、両親に抱きしめられる格好で抱擁した。サイノスから見ても羨ましくなるほどの家族の情景だった。三人がそのまま帰るのかと思ったが、今度は夫がサイノスの所にやって来た。  

 夫は妻と娘を捜していたが、娘が軍服を着た若者とにこやかに話をしている姿を見つけると、妻に様子を見に行かせたのだ。妻がすぐに娘を連れて戻って来ると思っていたが、若者の隣に座り娘と一緒に話し始めた光景を見て首をひねった。娘はともかく妻までが、笑いながら自分以外の男と話すところを、長い間見ていなかった。その時間を自分が行くことで中断させたくないと思い、辛抱強く待っていたのだ。妻と娘が立ち上がるのを見て、これであまり乗り気ではなかった宴会から帰れると思った矢先、妻が若者に抱かれた。夫はさほど驚く様子も見せず、妻が宴会場で気に入った若者に会えたことを喜んだ。ここ数年塞ぎがちだった妻が笑顔を見せているのは、夫にとっても何よりも嬉しいことだった。その予測が間違いでない証拠に、戻って来た妻の顔にはここ何年なかったような生気が満ち、娘の顔にも恋する者特有の輝きが宿っていた。

「サイノス君、妻と娘が礼を言えというものだから、戻って来た。私はサーライグルレ家のコレスという。娘が話したかもしれないが没落貴族の一人だ。妻の名はサーリアだ。慎ましい妻だが、先程君に自身を抱きしめさせて驚いただろう。あれは妻の昔からの癖で、自分を抱きしめさせることで相手の心がわかると言うのだ。私も若い頃、初対面で『抱きしめ頂戴』と言われて驚いたものだ。だが妻の名誉のために言うが、誰にでもそうするわけではない。君を入れても指で数えられるほどの人数だ。それと我家には子供が二人いて、さっきのトーリアには兄がいる。兄は没落貴族のままで終わりたくないと軍に志願して戦いに出たが、負け戦で敵に捕えられてもう何年も消息不明のままだ」

 コレスは真摯な態度で初対面のサイノスに事情を打ち明けると頭を下げた。サイノスはその話とコレスの正直さに感動した。

「いえ、構いません。私には母親がいません。母に抱かれた気がしました。嬉しかったとお伝え下さい」

「そう言ってもらって嬉しい限りだ。サービアに入ったら是非我家を訪ねて欲しい」

「わかりました」

「待っているよ、サイノス君」

 コレスはサイノスと握手をして妻達の方へ向かったが、何か言い忘れたことがあるのかまたサイノスの所に戻って来ると、

「サイノス君、これは娘には内緒にして欲しいが・・・」

「何でしょうか?」

「親の私が言うのは何だが、娘は私達の誇りだ。母親似でな・・・それで、サイノス君。君は目が高い。実はあのように太っているが、恋でもして痩せると母親以上の美人になる。誰にも打ち明けたことがない我家の秘密だ・・・内緒、内緒」

 コレスは歌うような調子でこう言うと、飄々として去って行った。貴族としての誇りなど既に棄てたようでもあったし、そうでもない様子でもあった。捉えようのない性格をサイノスはどう思っていいのか混乱したままで、コレスを見送った。

 コレスはサイノスにこの先の希望を残して帰って行った。サイノスは肩を並べて帰って行く三人を見て、一挙に家族が増えた気がした。人の出合いとはこれほどまでに呆気ないのだ。会った瞬間に自分の人生に大きな影を投げかけられる出会いもある。サイノスはその影の中に入ったが、それは心が落ち着き安心できる場所となる予感がした。その証拠にこうして三人を見送るだけでも言いようのない悲しみに浸ってしまうのだ。彼女の一家と一緒に行きたい気持ちがサイノスを包んでしまう。

・・・何としてでも再会したい。あの気高い家族を守ってやりたい。もう一度トーリアの笑顔を見たい。もう一度母親と話がしたい・・・

 だがサイノスには他の仲間と目指す大きな目的があり、それが形を見せるまでは勝手な行動はできなかった。今はサービアで再会できるのを楽しみにして、自身の高ぶる気持ちを押さえなければならない時だと思った。こうしてサイノスにもサービアに行く明快な目的ができた。


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