十六章 ピピ物語 191 遠い記憶
・・・三・・・
「ピピ、聞いていいかな?」
「何を?」
「色々なこと」
「いいわ」
コレディノカは落ち着きを取戻した。テーブルに両肘をつき両手であごから両頬を包み込むようにすると、少し見下ろす位置にピピの卵を置いた。二人にとって一番話しやすい距離だった。
「僕は君のことを全然知らない。ヘドロバ様との関係も知らない。これは聞けることなの?」
コレディノカはヘドロバからピピを紹介されていたものの、自分からピピにあれこれ身の上話を聞いたことがなかった。ピピが話すことを黙って聞いていれば良かった。ピピも悩みは持っていたが自分で解決できないほどの悩みではなく、コレディノカに聞いてもらえるだけで気持ちが収まる場合がほとんどだった。コレディノカに対する恋心は話せなかったが、やっとお互いの気持ちを確かめ合うことができ、この時点では悩みといえば恋より先に歩むことであった。これもコレディノカには話せなかった。
「あなたの聞きたいことはヘドロバ様のことを語ることになるわ。あなたはヘドロバ様にも気に入られているから、話してもお叱りにならないわね」
ピピは少し上目がちにして、コレディノカの目を見ながら自分に言い聞かせるように言った。過去に誰にも話さなかっただけに、どこから話したらいいか見当がつかなかった。
「ピピ・・・小さい頃からの話を聞きたい」
コレディノカはピピの話のきっかけを作ってやった。
「私とヘドロバ様が会った時は、二人とも幼かったわ。ヘドロバ様は小さい頃から特別な力があり、両親は他の子供達と遊ばせることがなかったの。その遊び相手、話し相手として私が選ばれたの」
ピピはヘドロバに初めて会った時のことを懐かしく思い出した。小さなピピにも驚きもしないでにっこりと笑ったスターシャの顔が、目を閉じるとはっきりと蘇ってきた。
「ヘドロバ様に会う前の君はどうしていたの?」
「私にはヘドロバ様に会う前の記憶はありません。ヘドロバ様のおばあ様に会ってすぐ、ヘドロバ様にお会いしたのです」
ピピ自身の記憶はヘドロバの祖母との出会いから始まっていた。
誰かがピピの名前を呼びながら、肩をとんとんと叩いていた。目を覚ますとやさしそうな顔をしたおばあさんが微笑んでいた。
「私を起こしたのはあなたなの?」
「そうよ。私はコンドレラ」
「私に何か御用ですか?」
「孫のお友達になって欲しいの」
ピピはコンドレラというおばあさんの頼みを聞くと、小さく頷いた。ピピが幼いせいもあったかもしれないが、コンドレラは頼んだわけを詳しく話してくれなかった。しかし訳は聞かなくても、ピピの心にそうしなければならないと強く働きかける何かがあった。
「わかったわ。私がその方の友達にもなるわ。よくわからないけれど、そうしなさいと誰かが言っているの」
ピピはヘドロバの祖母との出会いを話した。
「ピピ・・・その前の記憶はないの?お父さんとかお母さんとかは・・・」
「お母さん?お父さん?・・・ないわ・・・」
「忘れたの?」
「違うわ。私の記憶はコンドレラ様に起こされた時から始まったのよ。その前はないわ」
「おかしいよ。それは」
「どうして?」
「どうしてってどうして?」
ピピはコレディノカの言っていることがわからなかった。
コレディノカはピピが何故わからないか、わからなかった。ピピの不思議そうな顔を見て、自分の世界と違いすぎるのではないかと不安が胸をよぎった。
「僕の記憶は母と遊んでいる頃から始まっているよ。もちろん父もいた。友達と遊んだ記憶はもっと後になってからだよ。自分を生み、育ててくれたのは両親だよ。一番身近なその記憶から始まるのが普通じゃあないかと思うんだ」
ピピにもコレディノカが聞きたいと思っていることがわかった。それはピピがどこで生まれ育ったかということと両親のことだった。今までコレディノカに聞かれるまで、人間のいう両親のことを深く考えたことはなかった。言われて初めて自分に両親の記憶がないことが不自然に思えた。ヘドロバにだって両親とおばあさんがいた。コレディノカの顔を見て、顔が曇っていることを感じた。
・・・コレディノカは私に両親の記憶がないことが理解できないのね。私がヘドロバ様か誰かによって作られた怪しい生き物と思っているのね。ひどいわ・・・体はこんなに小さいけれど、あなたと同じように心があるのよ。私のことをわかってくれて好きだと言ってくれたじゃあないの!私はどうすればいいのよ・・・
大きく見えるコレディノカの顔がはっきり見えなくなった。悲しい気持ちになってしまった。目から何かが零れ落ちるのを感じた。それは両目から止めどもなくなく流れ、頬を濡らした。悲しい気持ちは益々強くなり、やっと口に出した言葉そのせいか続かなかった。
「ひどいわ、コレディノカ。ひどいわ、ひどいわ・・・」
言葉を出そうにも唇が震え、自分でも何を言っているのかわけがわからなかった。顔を手で拭うとさっき念入りにした化粧が手についていた。化粧がぐしゃぐしゃになっていた。ピピはそれを見て恥かしさのあまりテーブルにつっぷした。感情は更に高まり、大きな声を出し続けた。
コレディノカは自分の言葉が、ピピをこんなに深く傷つけるとは思っていなかった。テーブルに突っ伏して泣くピピの背中を、何もできないまま見ているしかなかった。ピピが泣くことなど考えてもみなかった。
・・・ピピに聞いてはいけないことを聞いてしまった。両親の記憶がないなんて、どんなにつらいことか考えてやらなければ・・・僕が守ってやると約束したのに・・・ピピ・・・




