十六章 ピピ物語 190 ときめき
・・・二・・・
「ピピ、揺れなかったかい?」
蓋が完全に開いた時に覗き込んだコレディノカが発した最初の言葉だった。
「やっと二人きりになれたね」とか、逆に黙って自分の言葉を待たれたらどうしようかと考えていたピピは拍子抜けした。
「揺れるって?」
「卵に君が入っているだろう。早く二人きりになりたくて駆けようと思ったけど、卵が揺れて君が気持ち悪くならないかと心配でゆっくり歩いたんだ」
ピピは心配そうに見ているコレディノカを見て笑ってしまった。さっきまでの緊張感が一気に弛んでしまった。
「コレディノカ様はそんなことを心配されていたのですか?」
「勿論だとも。蓋を開けた時に君が怪我でもしていたら、悔やんでも悔やみきれないよ」
真剣な顔でそう言った。まだ心配なのかピピの顔や後姿を顔を近づけて見ていた。
「大丈夫ですよ。母親のお腹の子が、母親が走っても気持ちが悪くならないのと一緒です」
「そうだったのか・・・いやあ、心配したよ」
汗を拭きながらコレディノカは安心したのか、椅子にどっかりと座り込んだ。ピピはもう少し悪戯をしようと、
「コレディノカ様、私が怪我をしたら・・・そう、この顔に傷がついていたらどうなされるつもりだったのですか?」
コレディノカはピピを見つめ、
「その時は僕が一生君の傍にいるよ。傷ついた君を独りにさせないよ」
ピピは軽い気持ちで言った言葉に、直に反応したコレディノカが嬉しかった。
「嬉しいわ、コレディノカ様・・・」
いい雰囲気になった。普通の恋人どうしであればここで抱き合うところだが、とんでもなく小さなピピと、大きなコレディノカではそれは無理だった。
「卵の中にいるから、私はこんなに小さな体でも安心して暮らせるのです。外がどんなに寒くても暑くても、卵の中はいつも春の暖かい季節の中でいるようなものです。水の中に落ちても浮かんで流れるだけ。溺れることもないのよ」
その場の雰囲気を元に戻そうとピピは卵の家の話をした。
「蓋を閉められると自分からは外に出られないのかい?」
「試したことがありません。ずっとヘドロバ様と一緒でしたから、お任せしていました」
「その間、ずっと独りで寂しくないの?」
「慣れました。それに今は毎日が楽しくて、出た時のことを考えると時間が早く経ちます」
ピピは明るい顔で話した。コレディノカはピピの顔をもっと近くで見ようと顔を近づけた。コレディノカの目が体の隅々を見ているようで、ピピは恥かしい思いを感じて数歩後ろに下がった。
コレディノカはピピの様子を見て、
「ごめん、近づきすぎたね。大きい顔、目、食べてしまいそうな口が近づくのは怖いだろう」
近づけていた顔を後ろに引いて、いつもの距離に戻した。
二人の会話が途切れてしまった。いつもならピピが自分のことを話して、コレディノカが聞き役に回っているが、今夜のピピは二人きりだというのに日頃の元気さがなかった。ショルタの外からは最後の休日を楽しむ兵士達の声が聞え、前を歩く足音がひっきりなしに聞えていた。酔っ払った女達の嬌声もかすかに混じり、静かな夜の落ち着きを取戻すにはまだまだ時間がかかりそうだった。
「ピピ、ヘドロバ様のところでコボス殿から何を言われたの?」
沈黙に耐えられなくなったのか、コレディノカが先に問い掛けた。数日前までは話す時間が短いと感じるほど話題が次々に出てきたが、ピピに対する好意を口に出してからは変に緊張して馬鹿話ができなくなってしまった。
コレディノカはドルスパニア王国では幼年期から寄宿舎に入り、異性と付き合うこともなかったからどうしていいかわからなかった。好意を口に出しただけでも、ドルスパニアの若者からすると大変な決断と行為だった。兵士達は商人の連れて来た女達と騒いで酒も飲んではいたが、それは軍務の緊張感を和らげる方法の一つと教えられており、気持ちがどうのこうのとの意識は少しも入っていなかった。
「お聞きになりたいのですか?コレディノカ様・・・」
「はい、ぜひお聞かせ下さい」
「コレディノカ様にとって良くないことでもよろしいのですか?」
「あなたにとって悪くないことであれば、聞かせて下さい」
堅苦しい会話になっていた。コレディノカは堅苦しい言葉遣いを徹底的に教育された自分が、この時ばかりは嫌になった。緊張した場面で身に染み付いた口調が、無意識の中で自然に出てしまったのだった。家庭での会話も恋人との会話もドルスパニア国民はこんな感じだった。
・・・変わらなければ・・・変えなければ・・・サイノス、ポレル、バーブル達の親しい関係を見てうらやましく思った。僕にも親友はいたけど、あんなにうちとけた関係にはなれなかった。本心から話をしたこともなかったし、ぶつかり合ったこともない。キトもそれに気づいて軍を辞める気になったのだろう。『自由』の言葉と考え方をもっと広めよう。そのためにも僕は一歩踏み出すんだ。
コレディノカの気持ちはこの場を離れて、明日からの生活に動いた。
「あっ!コレディノカ様・・・今別なことを考えていたでしょう。もう教えない!」
ピピは唇を尖らせて抗議した。彼女の口調はポレルのようになっていた。
・・・そうだ、自分の気持ちを出すことをピピから始めたのだ。ここから自分を変えよう・・・
「ピピ、そう言うなよ。僕は君が好きなんだ。せっかくの君と二人きりの時間をもっと楽しみたいよ」
真剣な顔でピピに言った。口調が元に戻っていた。
「私もあなたが好き・・・マヤフジ・・・」
小さなピピが顔を両手で隠し、消えそうな小さな声で言った。
コレディノカは両手を伸ばしてピピをそっと左右から包むように持つと自分の顔に近づけた。そして自分の頬を彼女の頬にそっと触れさせた。それから体全体に頬擦りした。ピピの柔らかい頬の感触、体の感触、香りを感じた。ピピも体全体にコレディノカの体温を感じ、今まで感じたことのない幸福感に包まれていた。
「コレディノカ・・・ずっと私が傍にいて欲しい?」
「ああ。ピピから離れたくないよ」
「嬉しいわ・・・コレディノカ」
ピピは初めて抱かれ?て、コボスに愛されるスターシャの気持ちがほんの少しわかった。ただ自分があまりにも小さいことが悲しかった。目を閉じてはいたが、コレディノカの顔の高さから地面までの高さを思うと不安感があった。
「コレディノカ、高い所は苦手なの。悪いけど下に降ろしてくれない?」
コレディノカは驚いたようにピピを見て、それから足元を見た。ピピまで身長の八倍以上の高さがあることがわかると、ピピの気持ちが理解できた。直にピピをテーブルに降ろした。
「ピピ、ごめんよ。夢中になって君の気持ちを考えなかったよ」
「いいのよ。ねえ・・・コレディノカって言ってもいいの?」
ピピは会話の中で呼び捨てにしたことが気になっていた。真面目なコレディノカに対してまだ遠慮があった。
「気にするなよ。ピピ・・・愛しいピピ。僕もそう呼ぶよ」
コレディノカの目はやさしさに満ちていた。ピピの体をテーブルに降ろしたが、両手をピピの両肩に置き、指先はピピの髪をそっとなぞっていた。コレディノカにもそれ以上の行為は思いつかなかったし、知らなかった。
・・・私の体が大きくなるかコレディノカが私みたいに小さくなれば、もっとしっかりと抱き合えるのに・・・今度スターシャ様にお聞きしよう。少し恥かしいけれどコレディノカのことを考えればどうってことないわ・・・




