二章 カイデン 19 広場にて
・・・三・・・
昔から自分だけでは判断できない出来事が生じると、誰ともなく集まる広場に、多くの村人達が姿を見せ始めた。互いに仲間の姿を見ると安心するのか、思っていることを何でも口にして、少しでも不安を和らげようとした。
「何だろう、あの音は」
「とても嫌な予感がするんじゃあ・・・」
「今日のようないい天気だと、雷でもなかろうし・・・」
大勢集まったが、自信を持って断言する者はいなかった。経験豊かな長老達でさえ顔を見合わせ、何か不幸の臭いだけは嗅ぎ取ったかのように、眉間に皺を寄せるのが精一杯だった。
村人達は辛抱強く長老の言葉を待った。いい知れない不安を、家に持ち帰るわけにはいかなかった。不安と焦燥、それが徐々に高まって行く。
突如、馬に乗った兵士が、緊張感が溢れた広場に駆け込んで来た。たった一人の兵士の出現だったが、敵か味方かの判断をする前に、もう何人かが逃げ出し始めた。経験豊かな長老が、「慌てるな!味方だ」と告げなかったら、収拾のつかない大混乱に陥ったであろう。
「味方」と聞いて、一気に緊張感が緩んだ。逆に今度は、その兵士を我先に取り囲んだ。
馬から降りた兵士を見て、村人達がどよめく。
シュットキエルから召集された鍛冶屋の息子、コボスだった。
見送った時から比べると、体が一回りも大きくなり、逞しくなっていた。しかし・・・兵士特有の血生臭さは少しも感じられず、修羅場を潜って生き抜いた姿には、とても見えない。
村人達には、コボスの雰囲気などどうでもよかった。期待を込めて一斉に取囲み、さっきまでの不安など忘れたように、顔をほころばせた。シュットキエル出身兵士の初めての出現は、肉親を送り出している家族にとって、心に抱いている諦めを望みに変えてくれそうな力があった。戦地からの便りや国の使者が途絶えていただけに、自分達の息子、父親、或いは恋人の消息を、コボスから聞けるのではないかと期待したのだ。
いつの時代でも戦いが長引くと、肉親の消息に心が奪われ、戦いの帰趨には誰も関心を示さなくなる。勝敗に異常な関心を向けるのは、敗れたら全てを失う支配階級者と、戦場に出た経験がない、まやかしの愛国者だけである。
コボスを取囲んだものの、村人達はすぐには口を開けなかった。近くで見るコボスに以前の面影はなく、疲れきった表情をしていたからだ。視線が定まらず虚ろな目をして、どことなく落ち着きがなかった。それに、彼以外に他の兵士の姿が見えないのも腑に落ちなかった。
コボス自身も何か話したい素振りを見せるが、言葉にならず、何度も唇を舌で湿らせて落ち着こうとしていた。そしてやっと村人達の苛立ちが沸騰する前に、やっと話せる状態になったようだ。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ。俺は上官から皆をここから逃がす命令を受けて来た。我軍はすぐ近くで戦っているが、苦戦している。信じられないかもしれないが、明日には敵がこの村にやって来るだろう。奴等は無慈悲な連中で、女、子供、老人だって容赦しない。早く逃げなければ、皆殺しにされてしまう。すぐに逃げ出す用意をするのだ。残された時間はわずかしかない」
国の使者が訪れないのにも馴れ、普段の生活に戻っていた村人達には衝撃的な話だった。戦いが身近に迫っていると、初めて知らされたのだ。前触れもなく、いきなり明日と告げられ、ゆっくり考える時間と心の余裕を一挙に奪われてしまった。
「聞いたであろう。もうあれこれ議論する時間もない。急いで村を去らねばなるまい。年寄り、幼子はこの広場を動くな。後の者は家に戻り、武器、食糧をかき集めて来い。戦いになると考えた方がいい」
長老は個人個人に意見を言わせず、手短に指示を出した。動揺した村人達の意見を一々聞いていたら、混乱に拍車をかけてしまい、騒ぎが大きくなるのは明らかだった。深く考えるのは後回しにさせて、体を動かす指示をしてやれば事態は動く。やるだけのことをやれば、納得できる結末を迎えられると考えたのである。
一時の動揺から立ち直った村人達は、経験深い長老を中心にして整然とした行動を取り始めた。コボスが告げた敵兵の残虐さを聞き、家々にある弓、剣、槍、斧などの武器を持ち出した。荷車には長期の逃亡生活に備えて、持ち出せる限りの食糧を積み込んだ。
村人達は長老の指示で村から離れ、ミエコラル山に向かった。シュットキエルの地理に疎い敵が、目印としては最適なミエコラル山を目標に侵攻すると予想したが、それでも敢えてミエコラル山に隠れることにした。天然の要害となる深い谷や森に潜み、いざとなったら敵と戦うには慣れ親しんだ場所が一番だ。森の民、山の民としての誇りと、それだけの力はあった。ただ・・・この時点では、襲って来る敵軍が一万人以上の大軍と予想する者はいなかった。ミエコラル山と鐘の搭があるだけの村に、敵が攻めて奪い取らねばならない戦略的な価値は一つもなかったからである。




