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十六章 ピピ物語 189 物思い

・・・一・・・


 卵の中でピピはコボスの言葉を考えていた。コボスは卵の蓋を閉める時に小さな声で、

「ピピ、スターシャの言葉だよ。『自分の気持ちに素直になりなさい』って言っていた」

 と教えてくれた。

・・・気持ちに素直になりなさい・・・コレディノカ様のところにずっといてもいいことかしら?・・・

 そう考えたが、違うと思った。コレディノカもヘドロバにピピを欲しいとも言わなかったし、一晩だけ連れ出せたことで満足しているようだった。ピピが『ずっと傍にいたい』と言っても、喜びこそすれヘドロバの許しを得る行動に出ることは想像できた。食事の時に三人に話したあの遠大な目的を棄ててまで、一緒に逃げようとしないことは間違いなかった。

・・・何かしら?素直になれって・・・

 ピピはコボスの伝言を考えたが、その言葉の意味が思いつかなかった。そうしている内にコレディノカのショルタに帰ったらしく、蓋を開ける合図が聞え、ゆっくりと天井が回り始めた。ピピの胸はどきどきしていた。二人だけで話すことはあったが、いつもヘドロバのセルタの中に限られていた。初めてヘドロバと離れてコレディノカ、それも自分に恋心を打ち明けた者と二人だけで話すのだ。ピピもコレディノカには好意を持っているだけに、緊張した思いで天井が開くのを待っていた。

・・・スターシャ様とコボス様のような素適な関係になりたいわ・・・

 ピピのコボスについての記憶は、スザナがヘドロバに初めてあの酒場の二階で話した時から始まっていた。ピピはその時ヘドロバの傍にいたのだった。

 スターシャは周囲の者との会話を、ピピに聞かれることを気にしていなかった。ただコボスと会ってからは卵の底のつまみを押し、ピピに外界の音を聞かさないことが増えてきた。最初はその理由がわからなかったが、ある晩スターシャがそれを押し忘れた時があった。その時ピピはスターシャの苦しそうな、それでいて途切れ途切れの言葉にならない声を聞き、彼女が急病になったかと心配した。ピピは自分で卵を中から開けて外に出たことがなく、スターシャが開けてくれるのを待つしかなかったが、とうとう朝までその時は来なかった。スターシャのうなされるような声もいつの間にか聞えなくなり、いつもの静かな室内に戻ったが、彼女のことが心配で一晩中眠れなかった。翌朝外に出してくれたスターシャの美しく輝く顔を見て、ピピは昨晩自分を悩ませた声を出したことなど微塵も見せない様子に戸惑った。スターシャは綺麗だが特にその朝はピピから見ても綺麗で、体全体から発する幸福感に覆われているようだった。

「おはよう、ピピ。ごきげんはいかが?」

 スターシャの上機嫌さを示す、歌うような口調で話し掛けてきた。いつもは一緒に起きて来るコボスはまだ眠っているのか、その場にはいなかった。

 ピピはコボスがいないことを確かめ、それでも小さな声で心配事を聞いてみた。

「スターシャ様、昨夜はどうされたのですか?スターシャ様が何かにうなされている声を聞いて、私は眠れませんでしたよ。怖い夢でもみられたのですか?」

 スターシャの顔が見る見る真っ赤になっていった。そして赤くなりながらも慌てて卵の底のつまみを確かめていた。つまみは押されてなく、スターシャは外の音を聞えなくすることを忘れていたのに気づいたようだった。昨晩のコボスとの愛の行為を全部聞かれたと思うと、恥かしくてどうにも身の置き場がなかった。

「そうだった?きっと怖い夢をみてうなされたのね。でも、ほらこんなに元気よ」

 赤面した顔を隠すように慌ててスターシャは、ピピの前で体を軽やかに回転させておどけて見せた。

「そう聞いて安心しました。心配で朝まで眠れなかったのですよ」

「コボスにはこのことは内緒よ。彼は心配症だから」

「はいはい・・・仲のよろしいことで・・・」

 今度は心の広い母親の役をするピピだった。

 ピピはスターシャの答えに満足したのかそれ以上は聞かなかった。スターシャは昨夜の声を快楽の悦びの声ではなく、悪夢にうなされた声とピピが聞いてくれたことで少し恥じらいも薄らいだ。

 スターシャはピピには愛された経験がなく、声の正体に気づいていないことがわかりほっとした。ピピにもいつか自分と同じ経験をして欲しいと思う反面、いつまでも清純なままでいて欲しい気持ちもあった。

 それからのスターシャはコボスに愛される時は、念入りに卵のつまみを押してはいたが、ピピの存在を知らないコボスが待ちきれなくなる場合もあった。

「コボス待って、卵をしまわないと・・・」と言っていたが、その言葉は途中で途切れてスターシャのうなされているような声が聞えるのであった。コボスの要求にスターシャが抗し切れなかったのだ。ピピも悪夢ではないと次第に思うようになっていたが、どうしてもそれが何だかわからないままだった。

 こんなことが幾度かあった。ピピにもおぼろげながらその声の正体がわかる時が来た。

 ピピは卵の中で本を読んでいた。卵の中はピピの世界であったが、小さな外見とは違って一人で暮らすための物は何でも揃っていた。ピピは普段開くことがほとんどない医学書を読んでいた。ピピは病気を患ったことなどなく、医学書を開くこともなかった。それを読んでやっとスターシャの声の正体がわかった。

・・・まあ、どうしましょう・・・調べなければよかったわ。でも・・・愛されるってどんな感じがするのかしら・・・スターシャ様にも聞けない・・・

 ピピはコレディノカに愛される自分を想像したが、あまりの体の大きさの違いに到底実現しそうもないと思っていた。ただ恋する気持ちの先を知ったことで、少し成長した気がした。


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