十五章 コボスの復活 188 自由の芽生え
・・・九・・・
四人の食事が始まった。ピピはあまり口をきかず、自然とコレディノカとコボス、ヘドロバの会話が中心になっていた。
「コレディノカ殿、軍をお辞めになるとか・・・それは残念です」
「ちょうどいい機会です。父の残してくれた屋敷もあるし、しばらく暮らせる蓄えもあります。今はゆっくりしたいと思っています」
「何をするのですか?」
コレディノカは、この三人になら自身の気持ちを話してもいいと思った。
「尊敬するカイデン様を屋敷にお招きし、私学校を開こうと思います」
コレディノカは、カイデンとの交わりの中で、自由な思想と博学を知り、自国の若者を育てるために、誰もが学べる場所を作りたくなったと説明した。
「私は若者達がカイデン様から様々な教えを受け、わずかな間に成長する姿を目にしました。行動中のわずかな時間での結果を思えば、ドルスパニア王国で本格的に活動すると、集まる者も桁違いに多くなります」
「コレディノカ殿、それは素晴らしい考えです」
コボスは賞賛したが、ヘドロバはそうでもなかった。
「カイデンもそれでいいと申したか?」
「屋敷で教える願いは、聞き届けていただきました」
「コレディノカ、カイデンは部隊での教えと同程度と考えてのことだろう。お前がそんなに本格的にやろうとは思っているまい」
「ヘドロバ様、『鉄は熱いうちに打て』と申します。カイデン様にその気があるうちに走り始めればよいのです。勢いがつけば、少々障害があっても止まるものではありません」
コレディノカは自信たっぷりにそう断言した。若い仲間は着実に増えており、彼らの熱気を冷まさないためにも、途切れることなく風を送り込む必要があると思っていた。
「カイデンにその気であればいいが、何事もゆっくりな・・・」
ヘドロバはコレディノカの試みは、ドルスパニア王国の基礎を揺るがし、ドンジョエル国王を否定しかねない危険性があると気がついた。私学校が大きくなればなるほど、支配階級から迫害されるだろうと感じた。今は若いコレディノカがそこまで深く考えていないであろうと思った。
「ヘドロバ様はどうされますか?」
「わし達も館に帰る。コーランデリアに小さな館を構えておるから、しばらくはそこにいる」
「コーランデリア・・・私の領地の近くですね」
「お前の領地はどこだ?」
「アキバです」
「馬で半日の距離か・・・」
ヘドロバは目を閉じて何かを思案しているようだった。
しばらく思案した後、
「お前に助言したいが、聞く気はあるか?」
「あります。ヘドロバ様の言葉で私はいつも学んでおります」
「一つだけ言っておこう。カイデンを迎えて私学校を作るのはいいが、ザービアの屋敷はよくない」
「何故でしょうか?」
「カイデンの考えはドルスパニア王国の制度と相反するものがある。陛下も心の広いお方だが、自身の立場を危うくするものを黙って見過ごされまい」
自分の考えが王国の制度自体を揺るがすとは思っていないだけに、コレディノカはヘドロバの言葉が意外だった。尊敬するカイデンの教えを多くの若者に広め、彼らに自由な発想と様々な知識を得る機会を与えようと単純に考えただけだ。
コレディノカのそんな心がわかったのか、ヘドロバは言葉を続けた。
「王国では男子は七歳になると、タイガルポットに入れるかどうかを選別され、選別から漏れた者達は普通に学校に通う。タイガルポットでは身分による差別はないが、それ以外では厳格に区別される。貴族の子供は貴族校へ通い、貴族の歴史、ふるまい、平民を隷属させ方法を学び、一般の国民は国王が作った国民校で学ぶ」
「ほ~。ショコラム王国とは大違いだな」
コボスが口を挟む。ヘドロバは目で夫に『あなた、真面目な話なのよ』と、黙るように合図をした。コボスはピピに片目をつぶって、抗議の意思を示した。ピピは笑うわけにはいかず、必死で耐えた。
「最も大多数を占める国民校では、国王に対する忠誠心と貴族に対する尊敬心を主に教え込む。そこでは読み書きの能力よりも、忠誠心、尊敬心の強さが求められるのじゃあ」
「そうです、ヘドロバ様。少しでも国王に批判的な者は容赦されません。それに女性は貴族でもひたすら子供を産み、育てることを求められ、軍人になる子供を産んだ母親は良妻だと評価されています。果たしてこれでいいのでしょうか?」
コレディノカは疑問をヘドロバにぶつけた。
「お前がカイデンから教えられた『自由』という発想はこの国にはない。お前が軍を辞められるのは『自由』ではなく『制度』なのだ。ショコラム王国の者が軍に入るまでの期間が『自由』で、その後は束縛され『自由』を奪われてしまう。ドルスパニア王国の軍を辞める『制度』はショコラム王国民からみれば『自由』に見えるが、それまでの束縛を知ってはおるまい」
「それでは二つの考えを結びつけて『自由』という新しい考えを確立すれば、両国が戦う理由がなくなりますね」
「それはそうだが、その考え方を突き詰めていくと、二人の国王、取り巻く貴族達も不要となる。わかるか・・・支配者達にとっては到底容認できない考え方なのだ。二つの国に留まらず、多くの国には絶対的な支配者が君臨しているのじゃあ。お前は全世界を相手にする道を歩くと言うのか?」
「う~ん・・・確かに・・・」
コレディノカは自分が向かう方向に、立ちはだかっている大きな壁を意識した。しかし逆に自分の目指す道の困難さがわかったことで、これから進む方向がはっきりと見えた。
・・・もう決めた道だ。歩き出す前に座り込めない。進むしかない・・・
それにしてもヘドロバの指摘は、カイデン同様に正確なものであった。
「わかりました。肝に銘じます。長い道のりになります。ザービアの屋敷は売り払い、アキバの別宅に手を加え、同じ思いの仲間が集まるのを気長に待つことにします」
「そうするがいい」
「ヘドロバ様のコーランデリアにも近いし、またお会いできます」
「それはいいことだわ。ねえコボス様」
今まで沈みがちだったピピが、コレディノカのこの一言を聞いて、テーブル上の小さな椅子から立ち上がってすぐに賛成した。一時はコボスの仕草で気が紛れたが、コレディノカからの申し出が重く心にのしかかっていたのだ。
「コレディノカ殿、私もヘドロバ様の意見に賛成です。もう会えないと残念に思っていましたが、また会えそうですね
「できればコボス殿にも加わって欲しいのですが・・・」
「僕はヘドロバ様の警護役です。ヘドロバ様の傍を離れるわけにはいきません」
「それではヘドロバ様が加わっていただければいいのですね」
ヘドロバは顔を左右に振ったが、はっきりと否定する言葉は言わなかった。
「私もコレディノカ様の考えに賛成します。ヘドロバ様も、きっといつか力をお貸しになられます。その日が来るのが楽しみですわ」
コレディノカの誘いを心ならずも拒んでしまったピピは、彼が近くに住めばまた会う機会ができると喜んだ。コレディノカの誘いを真剣に考えたかった。彼が望むヘドロバの協力は、この瞬間からピピ自身の願望となった。
・・・おやおや、ピピを忘れていた。コレディノカはピピの心を掴んだようじゃ・・・
ヘドロバは何事かコボスに耳打ちした。コボスは頷くと、
「コレディノカ殿。今日はヘドロバ様もお疲れの様子で、お一人にはできません。今宵はまだ時間があります。ピピもあなたと別れを惜しみたいはず。ピピを散歩にでも連れてやって下さい」
コボスはピピをコレディノカに預けるために、卵の家に入れようと左手に乗せた。蓋を閉める前にピピに何事かささやいたようだったが、コレディノカには何を言ったのかよく聞えなかった。
「コレディノカ殿、ピピを一晩お預け致します。明朝にでも卵に入れてお返し下さい」
コレディノカにはこれ以上ないほどの嬉しい申し入れだった。
喜び勇んでピピの卵を持ち帰ろうとしたが、好意を見せてくれるヘドロバに贈り物を持って来ているのを思い出した。
「ヘドロバ様、これまでのお礼です。この剣をお受け取り下さい」
ヘドロバは差し出された剣を受け取った。すぐに目の前で剣を抜き、重さを確かめるようにゆっくり上下に動かした。
「なかなかの名剣だな。わしにくれるというのか?」
「はい。華奢な造りで男には不向きです。或る人から譲られました」
コレディノカは手短にザイラルから手に入れた剣について説明した。ヘドロバはザイラルの持物だったことや、レヨイドを傷つけたことは気にならないようだった。
「わしはこれに合う物をお前にはやれないが・・・」
「気になさらないで下さい。ピピに会わせていただいたお礼です。足りないくらいですが・・・」
「そうか・・・わしはこの剣とピピを交換してくれと言うのかと思ったぞ」
「ピピは金品で購うことはできません。ヘドロバ様、ピピに失礼です」
珍しいヘドロバのからかいに、気色ばんでコレディノカが抗議した。その言葉にヘドロバは笑ってしまいそうだった。ピピに恋心を抱く者などこれまで誰もいなかった。ヘドロバすら考えたことがなかった。
・・・長く生きていると思わぬ恋を見ることになるものよ・・・
ピピの入った卵を大事に持ち帰るコレディノカの後ろ姿を見送りながら、ヘドロバ自身も複雑な思いを抱いていた。彼女自身もスターシャになった時の恋心は、コボスだけに留まらずバーブルにも及んでいたからだ。
・・・他人の恋を笑えないわ。でもピピ、恋心を突き詰めていくと大きな川を渡らなければならないのよ。あなたに今夜その決心ができるのかしら?・・・
スターシャはピピからその話が聞けると思うと、朝が来るのが待ち遠しい気持ちになった。親しい者だけの晩餐とコボスの復活もあって、遠征に出て以来一番の幸せな夜だった。そして正気のコボスと一緒に眠れると思うと、酒の酔い以上に全身が熱くなるのを感じた。恋心は時には違う方向に動く場合もあるが、夫はコボス以外にいないことは、スターシャにはよくわかっていたのだ。




