十五章 コボスの復活 187 素顔
・・・八・・・
コボスは本当に治ったのだろうか?ヘドロバは半信半疑だったが、目の前でコレディノカと談笑するコボスを見て、昨夜の出来事を思い出していた。
スターシャになってのバーブルとの一時は、彼女にとっても忘れられない記憶になった。夫以外の者に抱かれた事は後悔していないが、それよりも純真なバーブルを惑わせたようで、それがわだかまりとして心に引っかかっていた。
・・・私の恋心はその時々で燃え上がるもの。心のままに生きるしかないわ・・・
セルタに帰った時にはコボスはもう眠っていた。スターシャに姿を変えてセルタを出る時、先に休むように命じておいたのだ。湖から戻ってそのままベッドに入ったが眠られず、ベッドに腰掛けると、シュエードを取り出して弾き始めた。バーブルに繰り返し弾かせるうちに体に馴染んだ曲になった。夜でも彼女が遠慮する必要はなかった。小さく奏でていたが、曲の美しさに包まれていつしか夢中になっていた。
最後まで弾き終えた時、人の気配を感じて振り返った。いつのまにかコボスが起き上がり、ベッドから下りて静かに立っていた。彼女はコボスを見て驚いた。何と・・・コボスは仮面を外していた。仮面を付けていない顔は、かつて見慣れたコボスの穏やかな顔そのものだった。それにしても何故顔に貼り付いた仮面を外せたのだろうか? それとも夢なのであろうか?話しかけることもできず、ただ夫の顔を見詰めていた。
「スターシャ、それはシュエードだろう。君が弾けるとは思わなかったよ。それにしても心が落ち着く美しい曲だ」
コボスが口を開いた。スターシャは思わずよろめいてしまった。二度と見られないと思っていた顔を見、二度と聞けないと思っていた声を聞き、彼女は魂を抜かれたような表序のままでコボスに近づいた。
スターシャはまず顔を触ってみた。以前の頬の感覚は覚えていた。
コボスの顔には仮面を無理して外したような跡もなく、以前スターシャが触った時の肌の感覚と一緒だった。何一つ変わっていない。傷一つない。
顔と同化した仮面は力ずくでも外せないことは、以前に試してわかっていた。それがなぜ?・・・時間が経てば自然にとれるのだろうか?頭の中で古文書をめくってみたが、その頁はどうしても浮かんで来なかった。仮面が外れた理由が全くわからない。
・・・理由なんかどうでもいいわ。今は喜ばなくては・・・
「あなた、仮面はどうしたの?」
「仮面?仮面をするのは外に出る時だけだろう。君が美しいスターシャでいる時に、仮面姿になるはずがない。君が美しい顔をヘドロバ風にして怒るなら考えるけど・・・」
コボスの自然な軽口が、スターシャには嬉しかった。
「そうね、私どうかしていたわ。ところで昨日は何をしていた?」
スターシャは夫の記憶を確認するために、何気ない調子で尋ねた。コボスが以前の姿にもどっているかどうか半信半疑だった。
「昨日?昨日はシュットキエルに引き返して、村で略奪していたソイジャル、ドニエリ軍と戦った。戦いの後は、薬のせいかも知れないが、よく覚えていない。正直ここまでどうやって戻ったのかも記憶にない。長い夢をずっと見ていたが、君のシュエードで目が覚めた」
スターシャは森での悲惨な光景が、記憶からそっくり抜け落ちているのを知った。夫がその光景を覚えてなければ、仮面を通じて見た彼女が教えない限り、彼が怒りのために仮面と同化する過ちは起こさない。姉の不幸はいつしか伝わるだろうが、その時には涙を流すくらいで耐えられるに違いない。間違いない!以前のままで彼女の元に戻って来たのだ。
・・・ありがとう、バーブル。あなたのおかげよ・・・
「どうした?スターシャ」
コボスは泣顔のスターシャに近づき、きつく抱きしめた。前と変わらぬコボスの優しさを感じた。今すぐにもコボスに抱かれたかった。そのままベッドに倒れこもうとしたが、バーブルの顔が頭に浮かんだ。バーブルの顔が悲しそうな顔に変わっていた。
・・・まだそんなに時間も経ってないというのに、もうコボスに抱かれたいなんて・・・私もどうかしているわ・・・コボスはいつでも私の傍にいてくれる。せめて今日一日はバーブルとの恋に生きよう・・・
冷静な気持ちに戻れた。バーブルの顔が浮かんだ時、コボスを救ってくれたのは誰だかがわかった。
・・・バーブルの曲が夫の悲しみを癒してくれたのね。何度も繰り返して聞くことで、憎しみが溶けてしまったのだわ・・・
感謝はするが、真実はバーブルには告げられない。バーブルを誘って彼の心を惑わせ、夫が正気に戻れば彼への恋心を永遠に閉ざしてしまう・・・バーブルに立ち直れない仕打ちを二度するわけにはいかない。
スターシャはそっと体を離した。
「明日にはドルスパニアに入るわ。今夜あなたに会わせたい人がいるの。きっと楽しい時間が送れるわよ。そうそう・・・その前に私の大事な友達を紹介するわ」
「友達?」
「そう・・・」
スターシャはテーブルにコボスをつかせると、ピピの小さな卵を取り出し、目の前で軽く回した。コボスの目が自然にスターシャの手元を見る形になった。
蓋が取れ小さなピピが現われた。ピピはテーブルの上をゆっくりと歩むと、コボスに近づき、スカートを少し持ち上げながら膝を曲げて挨拶した。
コボスはピピの姿を見て、“ヒュー”と口笛を吹いた。スターシャには驚かされてばかりだが、今までで一番素敵な驚きであった。
「あなた、ピピよ。私の昔からの友達」
コボスは『昔からの友達』という紹介で、自身に匹敵する深い関係を読み取った。
「コボス様、ピピです。初めまして」
「コボスだ。新参者だけどよろしく。どういうわけか君の大切な友達の夫になってしまった」
コボスは両手で水を汲む形を作ると、そっとピピの足元に近づけた。ピピを両手に乗せたいらしい。 ピピは戸惑い気味にスターシャを見た。スターシャが頷くと、その手に乗った。
コボスは自分の顔の前にピピを持ってくると、
「スターシャ、可愛い友達だな。もっと早く紹介して欲しかったよ。僕が夫でいる間は君とも長い付き合いになるのかな?」
「コボス様、スターシャ様の夫でいる間は永遠でしょう」
「そうだったな。この話になるとスターシャがすぐ泣き出してしまう・・・昔から泣き虫だったのだろう。その都度君がなぐさめて来た」
「コボス様、その役目をあなたがおやりになっています」
「できれば僕はその役目を降りて、二人の美人からなぐさめられる方がいい」
「まあ・・・」
コボスの誉め言葉につい頬が弛んでしまった。
・・・素適な人。スターシャ様にはいい人が引き寄せられるのかしら・・・
ピピはスターシャがコボスを選んだわけがわかった。初対面であったが、見せ掛けでは作れない温かいものを感じた。そんな中でもピピは、コボス以上に親しみを感じている者の顔を思い浮かべていた。




