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十四章 ザイラルの罠 179 魔曲

・・・九・・・


 サイノスとキトは動けなかった。スターシャとバーブルの話で二人の関係は理解したものの、二人が重なっていくとは考えもしなかった。腹ばいでいる所からは、スターシャとバーブルの様子は見えなかったが、若い娘の切れ切れの甘い声は嫌でも耳に届く。サイノスはコーデラルと愛し合った経験があるから想像出来た。若い二人の感情が最後の別れで高まり、どうしようもなくなったのだろう。バーブルを責められないと思った。

 横で見ていたキトの方が衝撃を受けていた。想像を遙かに超えた展開に感情が追行けず、動けず、どうしていいかわからなかった。サイノスに話しかける余裕もなく、長い時間黙って待つしかない状況だった。

 ようやく二つの影が立ち上がった。別れの抱擁をしているのか、二つの影はもう一度重なる。

「スターシャ、さあ帰ろうか」

「ええ・・・バーブル、忘れないわ」

 二人は坂道に向かって歩き始めた。

 そんな時だった。松明を手にして坂を下りてくる数人の姿が見えた。道は一つしかなく、その者達との出会いは避けられそうにない。

「サイノス、まずいぞ。誰かはわからないが、鉢合わせになる」

「ああ・・・。俺達はまだ出られないからバーブルに任せるしかない」

 二人は固唾を飲んで見守った。

 バーブルは坂の途中より、視野の開けた岸辺の出会いを選んだようで、スターシャを背中に庇ってその者達を迎えた。

 先頭に立っている者は、思わぬ出会いに驚いたようだった。まだ後ろに立つスターシャの顔は見えてない。バーブルは彼等が厳しい軍律のザイラル軍兵士とわかって何となく安心した。あの部隊の兵士なら乱暴はしないはずだ・・・。

「おっ・・・バーブルではないか!こんな所で何をしている?」

「ダシヨ様こそなぜここに?」

 バーブルは相手の正体を知って落ち着いた。ただ少し気になったのは彼が酔っていることだった。

「聞いてくれ。ザイラル様がお決めになったことだから仕方がないが、俺達の部隊の軍規は厳しい。それに輪を掛けてレヨイドの奴が毎日小うるさくあれこれ命令する。ザイラル様へ忠誠心を表すためであろうが、俺達には迷惑なことだ。他の部隊の仲間達は任務が終われば自由に過ごせる。女も酒も望むままだ。俺達だけが損をしている」

 バーブルも他の部隊の兵士から同じ話は聞いていた。彼等には同情する点もあるが、バーブルにはその厳しさが好都合だった。ヘドロバのセルタに夜でも安心して行けたのは、ザイラル軍の宿営地の近くを通っていたからだった。

「でも今夜は羽目を外されているようですね。飲酒の許可がおりたのですか?」

 足元をふらつかせダシヨは目の前で手を煽ぐようにした。

「馬鹿を申せ。ザイラル様がお許しになるわけがないだろう」

「では・・・黙って飲まれたのですか?」

「そうだ。レヨイドの奴が何か問題を起こしたようでザイラル様に追放された。あの男がいなくなってうるさく言う者がいない。いくらザイラル様でもここまで細かく目が届くまい。俺達は今まで我慢して来た分を取り戻すのだ。なあ・・・みんな」

 その言葉に他の者は歓声を上げて賛同の意思を示した。

「それでも少し遠慮して宿営地でちびちび飲んでいたが、大騒ぎしたくなってここに来たわけだ。大騒ぎになればザイラル様も黙っているまい」

「そうでしたか・・・それでは気をつけて下さい。私は一足先に帰ります」

「お前も一緒に飲んで行くか?」

「いえ、私はバイトルです。明日も朝から働かねばなりません」

「それは残念だ。気をつけて戻るがいい」

「わかりました」

 バーブルは兵士達と別れようと歩き出した。兵士達はバーブルに道を譲った。そのまま行けるかと思ったがやはり無理だった。彼等の持つ松明の明かりは、後ろに続くスターシャを浮かび上がらせた。

「おおっ」

 兵士達からどよめきが上がる。夜目でもはっきり娘とわかる彼女を隠しようがなかった。俯いたままでも松明に照らされたスターシャの美しさは際立っていた。

「バーブル、お前の後ろの娘は誰だ?」

「ダシヨ様、私の友人のポレルです」

 とっさにバーブルはうそをついた。ポレルの存在は部隊内で知れ渡っており、この場にいたとしても問題はないと思った。

「お~・・・噂に聞いたポレルか・・・美しい娘だな。仲間も傷の手当てをしてもらったと自慢しておった。うん、うん・・・奴の言った通りだ。世話になった。そうか・・・こんな場所で・・・なあ・・・。まあ気をつけて行くがよい」

 バーブルは歩き始めた。その時だった・・・すれ違っていた最後の兵士が松明をスターシャの顔に近づけると大声で叫んだ。

「ダシヨ、違うぞ!この娘はポレルではない」

「何!本当か!」

 兵士達は松明を高く掲げ、スターシャを照らした。

「バーブル、ようもポレルなどと・・・俺達をなめているのか!」

 酔いが回っているダシヨの表情が醜く変わっていた。その言葉に反応して二人の回りを仲間達が取囲む。バーブルは返事に窮した。

「わかったぞ!ポレルでないとすれば商人共が連れて来た商売女だな。お前は一番いい女を選んでこんな場所に連れ込んだわけだ」

 ダシヨの目が充血している。酔いのせいではなく、男をひきつけるスターシャの力がそうさせたのかも知れない。

「そうではありません。ポレルと偽ったのは謝ります。この娘は・・・」

「弁解は聞かぬ。バーブル、生きて帰りたければその娘を置いて行け」

 こう言った時には剣に手をかけていた。ダシヨの知るバイトル達は一度剣に手をかけると、理不尽な要求でも手向かいせずに従う。バーブルもそうすると思った。

「ダシヨ様、私の命にかけてこの方を置いていけませぬ」

 意外な返事にダシヨは驚いた。

「たかが商売女ではないか?それとも誰かの娘なのか?」

 バーブルは『ヘドロバ様が大事にされている孫娘ですよ』と言いたかったが、それはこの場では絶対に口に出せない。

「お話できません。道をあけて下さい」

 きっぱりと言い切るとスターシャを促して立ち去ろうとした。バーブルの気迫に押されたように他の仲間は道をあけようとしたが、ダシヨは意地もあってかそうしなかった。

「バーブル・・・戯言ではないぞ・・・」

 ダシヨは剣を抜いた。一人が抜くともう止められない。一緒に来た仲間達も数歩下がってダシヨに合わせたように剣を抜いた。

 バーブルは取囲んだ者達の顔を見て、これ以上話しても聞き届けられないと判断した。

「仕方がありません。ここに至っては私が引かざるを得ないようです」

「そうであろう・・・この娘は明日には送り届ける。酒の相手をさせるだけだ。心配するな」

 ダシヨは剣を鞘に戻すと、ほっとした顔で言った。他の者もダシヨを見て剣をおさめた。

「ところでダシヨ様、ご覧のようにいい月が出ております。一曲お聞かせしたいのですがいかがでしょう・・・」

「お前のシュエードはいつ聴いてもいい。長いのは困るが、短いのを頼む」

「わかりました」

 バーブルは鞄からシュエードを取り出すと静かな曲を奏で始めた。兵士達は自然とバーブルを中心にして座り込んだ。スターシャはバーブルから少し離れて立っていた。

 サイノスとキトは地面に伏せたままでこのやり取りを聞いていた。濃密な場面が一変し、バーブルの窮地になった。流血が避けられない場面となっていた。それでもバーブルがスターシャを残して引き下がらないと思っていた。バーブルを助けたいが剣は分かれ道に隠している。武器無しで最強のザイラル軍兵士と戦うことは無謀であった。

「サイノス、バーブルの危機だ。奴は剣をつかえるのか?」

「俺も見た記憶がない」

「助けたくても剣は坂の上だ。困った・・・」

「曲が終わってもスターシャを残して去るわけがない」

「もう一度やつらが剣を抜いたら、その時は飛び出そう」

「ああ・・・剣を奪い取って戦おう」

 二人がいつでも飛び出せるよう身構えた中で曲は進んで行った。二人の耳にも静かな曲が入り込んでいた。曲はスターシャに聞かせていた静かな曲に似ていたが、もっと静かで音の強弱が規則正しく繰り返す不思議な曲だった。

 二人が緊張して見つめている中で、取囲んで座っていた兵士達に異変が起きた。ダシヨ達の体はバーブルの曲に合せて左右に小さく揺れていたが、その揺れが次第に大きくなっていき、その内一人、また一人と地面に横になっていく。

 バーブルは兵士達が横になってからも弾き続け、最後に一本の弦を強くピンと鳴らせて弾き終わった。

「スターシャ、お待たせました。帰りましょう」

「この人達は疲れていたのかしら?みんな眠ったわよ」

「はい」

「懐かしい響きの曲ね」

「実を言うと今の曲は子守唄なのです。それにちょっと手は加えましたけど・・・」

「今はいいけど明日になるとあなたを捜すわよ」

「大丈夫です。目が醒めた時には今日のことは忘れています。そんな弾き方もできるのです」

「最後の音が仕上げね」

「そんなところです」

「バーブル、あなたってやっぱりすごい音楽家よ。さっきは最後と言ったけどまた会ってくれる?」

 スターシャは恥かしそうに下を向きながら、最後は聞えないほどの小さな声で聞いた。心を病んでいる夫がいながら、少女のように顔を赤くして『また会いたい』と言うスターシャ。一度別れを決意したバーブルだったが、ここで拒むことはできなかった。

「僕もそう思っていました」

 バーブルは夫の存在はもう気にならなかった。スターシャが夫ある身でありながら、心を開いてくれただけで十分だった。一度だけの愛で終わっても、音楽家のバーブルにとってはその心を得たことが一番の喜びであった。スターシャの美しい体は既に彼の驚異的な記憶力の中に永遠に消さないものとして既に焼き付いていた。でもその彼女が再開を望んでくれたのだ。

・・・ポレル、君への愛をスターシャに注ぐよ。でも友情はいつまでも変わらない・・・

 ポレルの顔が浮かび上がった。悲しげな顔だった。その顔を思うと心が痛んだが、隣で可憐な姿を見せたスターシャに心をすっかり奪われていた。


 サイノスとキトは腹ばいになったままで寄り添って去っていく二人を見送っていた。そして完全に姿が消えると立ち上がった。倒れている兵士達に近づいてみた。兵士達は体を丸くして、口元には笑みを浮かべ、安心しきった表情で静かな寝息を立てている。

「子守唄で眠らせる・・・うまく考えたな」

「自分の力を恋人のために出し切ったのか・・・すごい奴だ」

「いや・・・まだ全部力を出し切っていないよ・・・バーブルなら聴くだけで死んでしまう『死の曲』を持っていてもおかしくない」

 兵士達の様子を見て更に興奮した二人は熱心に話し合った。

「それにしても、何故同じ曲を聴いた俺達は眠くならなかったのかな?」

「それはよくわからないが、兵士達のようにあの娘に邪な気持ちを抱いてなかったからだろう」

「そうだろうな・・・とにかく何事もなく終わってよかった」

 サイノスとキトは兵士達を起こさぬように静かに湖を離れ、宿営地に向かった。

サイノスがセルタに戻った時には、バーブルはもう寝入っていた。サイノスはその顔を見ながら、不思議な奴と友達になったと改めて思った。

・・・明日の楽しみは、バーブルがどんな顔で俺の前に現れるかだな・・・

 ベッドに入って目を閉じてそう考えたサイノスだったが、スターシャの甘い声が耳に残っていて、なかなか寝付けなかった。サイノスは一度だけのことではあるが、忘れられない一時を過ごしたコーデラルのことを思い浮かべてしまった。

・・・俺もバーブルももうポレルの相手としてはふさわしくない。ポレルを守り抜く気持ちは変わらないが、恋人にはなれなくなってしまった。こんな俺達を知ったらポレルはどう思うだろうな・・・

 明日の朝どんな顔でポレルの前に出たらいいのか考えると、ますます眠れなくなった。剣の素振りをするには遅すぎる時間であった。サイノスは何度も寝返りをうちながら、悶々として朝を迎えようとしていた。 



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