十四章 ザイラルの罠 176 待ち人
・・・六・・・
目の前に小さな湖が見えて来た。バーブルの視界にも入っていたのだろうか・・・歩いて来た大きな道を外れると、湖に向かう緩やかな坂の小道に方向を転じた。
二人はバーブルの目的地が近いと感じた。気づかれないように、背中が見えなくなるまで距離を空けた。もう誰かに襲撃される心配もなく、これから先はバーブルの待ち人だけに注意を払えばよかった。
「様子を知るために、声が聞える場所まで近づこう」
「しかし・・・大丈夫か?湖の周りには草むらか藪しかない」
「バーブルもまさか俺達がいるとは思うまい。這って行けば見つからないだろう」
「・・・となると、剣は邪魔になる」
剣をさしたままでは、腹ばいになって近づけない。不審者の影も見えず、湖へは一本道だった。宿営地に引き返す時には必ず分かれ道には戻って来る。
「サイノス、剣はここに置こう。持って行く者などいない」
「そうだな・・・」
二人は剣を分かれ道の傍に置き、それでも用心して、引き抜いた草を被せた。
「これで安心だ。まずはバーブルの姿が見える場所まで行こう」
「うまい具合に湖への道はここしかない。待ち人も必ずこの道を歩いて来る」
サイノスとキトは小道を下って湖へ向かった。上の道からは湖面しか見えなかったが、下り切った所は手頃な広さがあった。この場所は上の道からは全く見えない。隠れて待ち合わせするには格好の場所になっていたのである。
バーブルは倒れた老木に座って、湖面に目を向けていた。足元では岸辺に小さく寄せ返す波が心地よい水音を立てる。
「ここで彼の待ち人を見よう。俺達の目の前を通り過ぎるぞ」
「ああ。その後で静かに這い寄れば、話しも聞ける」
「それにしてもサイノス、バーブルも大胆な奴だなあ。宿営地の中ならいざ知らず、こんな離れた場所で会うとは・・・な」
「奴はやっぱり詩人だよ。場所そのものが既に絵になっている」
「俺達には考えられない所だな。それに姿も上からは見えない。この時間に湖に来たいと思う者などいないから、誰にも邪魔されないと考えたのだろう」
「それだけ見られたくないのだな。何か特別なわけがあるに違いない」
「相手の女も夜道を一人で歩いてくるわけだろう。普通の娘には真似はできない」
「まだ女と決ったわけではないぞ」
「それもそうだが・・・」
ここで立ち去る気など起きなかった。好奇心が友への思いやりを凌いでいた。
「キト、バーブルは思慮深い男だ。俺は信じている」
「わかっている。お前は彼の変な噂を打ち消したいのだろう。俺も同じ思いだ」
小さな声で話している内に、バーブルは鞄からシュエードを出すと奏で始めた。バーブルとしては押さえた弾き方であったが、名手といわれるだけに心地よい音色が辺りを包んだ。
バーブルの奏でる音色に誘われるように、小さな明りを持った人影が坂道を下りて来た。
「キト、どうやらお目当ての待ち人が来たらしい」
「バーブルには悪いが、いよいよお楽しみの始まりだ」
「女であれば、相手は商売女だな」
「どうしてそう言える?」
「当り前だろう。部隊の中で若い娘はそんなに多くない。それに若い娘なら一人でここまでは来ない。それ以外の女となると、怪しげな商売女しかいないだろう」
二人は夜になると何処からともなく現れる商売女達の顔を思い出した。味より酔えるのを主にして作った酒と、それに似合ったまずい食べ物を荷馬車に積んだ商人達が、派手な格好のけばけばしい化粧をした女達と一緒に宿営地に来ていた。女達は酒の相手と夜の相手をしていた。行軍中に金の使い道がない兵士達は、高い金にもかかわらず争って女達を追いかけていた。
「・・・それもそうだ・・・」
「なあ・・・まさか・・・ポレルってこともあるよな・・・」
「う~ん・・・もしもポレルだったら・・・この場を去ろう。悔しいけど友として引き下がろう・・・」
二人もポレルを巡る関係で、バーブルが恋敵としては侮れない相手だと感じていた。だからこそポレルが選んだのであれば、潔く引き下がろうと決めていた。
灯りを持った人影が大きくなった。
二人は身を隠している藪の中で息を殺し、手を伸ばせば届きそうな目と鼻の先に近づいて来る人影を待った。胸の動悸が高まっていく。
そんな二人に気づかないまま小さな足音を立てて通り過ぎたのは、見知らぬ娘だった。二人が心配したポレルではない。月明りの下では足元を照らすランプは必要ないはずだが、青白い月の光より暖かげなランプは娘の好みなのだろうか・・・伸ばした右手に小さなランプを持ち、左手で長めのスカートを少し持ち上げるようにして、ゆっくりと歩む。周囲に対しては全く警戒心を持っていないかのようだ。
二人が見たこともないような美しい娘だった。胸元が大きくあいた白い服の上に、薄青色の服を重ね着し、首筋をよく見せるかのように髪を結い上げている。歩く度に耳飾りと豊かな胸が揺れ、全身から隠しようもないほどの色香が漂う。
「見たか・・・キト・・・」
「ああ・・・」
娘が目の前をゆっくり通り過ぎた後、ほのかな残り香を嗅いで二人はため息をついた。ポレルも美しい娘だが、言いしれぬ妖しげな魅力という点から比べるとまだ幼かった。ポレルには娘の輝かしい美しさがあったが、この娘が放つ男を引き込む色気はまだ備わっていなかった。
「信じられない。俺はこれまでに今の娘のような美人に会ったことがない。ポレルも衣装を調え化粧をすれば大層美しくなるに違いないが、見ているだけで心まで溶かされる女になるまでにしばらくかかるだろう」
サイノスより年上のキトが、物知り顔で解説した。キトにしても数多くの娘を見ているわけではないが、村育ちのサイノスに言い聞かせることはできた。ただサイノスが既に女を知っているとは夢にも思っていなかったが・・・。
「あの娘はどこからやって来たのだろう?」
「この辺りには村はない。宿営地からに違いない」
「バーブルの恋人なのか?」
「どうかな・・・考えられないが・・・」
「もう少し近づいて、様子を見よう」
サイノスとキトは藪の中から出ると、幾分か背をかがめて娘を追った。
娘は湖の辺まで来ると周囲を見回し、バーブルの居所を捜している風だった。そして奏でられるシュエードの響きに導かれるようにその方向に向かった。幾分か早足になった彼女の姿に少しでも早く会いたい気持ちが表れていた。
サイノスとキトは娘がバーブルの傍に行くのを見届けると、それから先は腹ばいになった。そして見つからないように細心の注意を払い、二人の近くに這い寄った。バーブルがシュエードを弾いている間は、楽曲に集中していて周囲に気を配らないと考えた上でのことだった。




