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一章 シュットキエル 16 父との別れ

・・・十六・・・


 父親達との別れが来た。鐘の音を聞くまでもなく、大勢の村人達が広場に集まっていた。若者を送り出した頃のような熱気はなく、どの顔も一様に暗かった。一線を退いたかつての勇者を激しい戦場に送り出す術を思いつかなかった。死の扉を開けようとしている者への励ましは空々しいものになる。無言で旅立つ時間を待つしかなかった。

 天蓋のない馬車に三人が並んだ。天蓋がない分、格好の式台になった。

「わしらにセレヘーレン・テスが届くとは夢にも思わなかった。何十年か前なら自信もあったが、この年ではどうなるかわからない。しかし若者達を村に戻すためなら命も捨てる覚悟だ。残された子供達を戦場に送りたくはない。その思いは誰も同じだろう」

 三人を代表してハンスが挨拶を始めた。白い頬ひげと目尻のしわが年齢を感じさせる。

「そうだ、同じだ」

 同調する言葉がすぐあがった。

「この村に戻れないかも知れない。命は惜しくはないが、残す子供達が心配だ。三人とも親一人、子一人の家だからな・・・」

 言葉が少し震え、大粒の涙が零れた。

「はっはっは・・・。つい泣いてしまった」

 ハンスは苦笑いをして、右手で拳を作ってこめかみを叩く仕草をした。その可笑しさで少し場が和んだ。

「長い挨拶は苦手だ。子供達のことを頼んだぞ」

 そう言って話を終えた。ハンスの息子、サイノスとトカレイの娘、ポレルは父親の顔を見るのが辛いのか、ずっと後ろの方に並んで立っていた。

「ねえ、手を握らせて」

 ポレルがいきなりサイノスの手を握った。幼子同士ならともかく、大人並の少年にはこの振る舞いは恥ずかしいものであった。

「よせよ」

 サイノスは慌てて手を振り払おうとしたが、いつもは明るいポレルの思い詰めた顔を見て、それ以上何も言わず好きにさせた。

「バーブルはどこにいる?」

 前を向いたままポレルに聞いた。視線の先には仲間に取り囲まれて談笑する父親達がいた。三人とも気負った様子はなく、肩を叩かれたり贈り物を受け取ったりしていた。

「馬鹿ね、バーブルは今日から鐘撞き役をしているわよ。朝の鐘の優しさって言ったらなかったわ。うっとり聴いている内にまた眠ってしまったわ。毎日あの鐘を聴けると思うと嬉しくなってしまう」 

 ポレルは握った手を離し、胸の前で手を組んで夢見るような表情を見せた。

「まったくポレルはこれだからな・・・」

「何よ!文句あるの?」

「いや・・・別に・・・」

 ポレルの問い詰めにサイノスは尻込みした。幼い頃からサイノスはポレルに弱かった。まだバーブルがいれば言い返しもできるが、一人では立ち向かえない。

 カーン、カーンと鐘が鳴らされた。三人を取り囲んでいた村人達の表情が固まり、使者の現れる道に目を向けた。十日後の鐘を合図に広場に来る約束だった。もうすぐ別れの儀式が始まるのだ。サイノスの手をポレルがまた握った。

 広場に静かな時が流れる。男達は時折空を見上げて気持ちを入れ替え、女達は前掛けの端を口に咥えて泣きたいのを我慢している。

「おい、使者はどうした?」

「まさか寝過ごしたわけじゃあなかろう」

「酒でも飲んで遅れているのか?とんでもない奴だ」

「そういえばここ数日、奴の顔を見ていない」

「それともセレヘーレン・テスが取りやめになったのか?」

 セレヘーレン・テスの配達と宣言、召集者の引き受けが使者の役目だ。引き受けは地理に不案内な招集者のためだが、戦争が長引くにつれて逃亡を見張るためだと、まことしやかに伝えられていた。その噂がさらに迎える側の感情を悪くしていた。村人達はなかなか姿を見せない使者にいらだちを募らせ始めた。

「聞いてくれ。使者はここには来ない。実は患ってずっとトカレイ家で寝付いている。あの年での長旅と、人々からの恨みを買って心労を重ねたせいじゃろう」

ハンスは使者が来ない理由を誰よりもよく知っていた。

「病?天罰じゃ」

「誰か叩き起こして来い。役目を投げ出していい気な者じゃ」

 何人かが走り出そうとした。使者に対する非難は国王への非難として罰せられるが、使者自らの過ちであれば罪にはならない。鬱憤を晴らすいい正当な理由ができた。幸い幼子達はこの場におらず、少々手荒なことをしても後ろめたさは感じない。

「待て、待て」

 ハンスが引き留めた。

「奴は役目に従っただけだ。役目を恨んでも人は恨めない。それに十日間の猶予をくれた。奴の独断に違いない。治るまでしばらくこの村においてやろう。名前はカイデンと言う。これも何かの縁だ。みんなよろしく頼むぞ」

「トカレイの妻は死んでいる。娘一人の家に老人とは言え、男をおいても大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。使者の人柄は申し分がない。わしも安心して出発できる」

 トカレイが答えた。

「わしもカイデンに会った。息子達にも『ポレルを助けるように』と言いつけておいた」

 ヨードルが付け加えた。

「親が許すならそれでよかろう。それに子供達も賛成しているとなると、あえて反対もできない」

 村人達はバーブル、ポレル、サイノスが、血の繋がった兄弟以上の仲だと知っていた。それに本来他所者に寛大な土地柄だけに、人柄がいいと聞かされると反対する理由がなかった。死のセレヘーレン・テスを配る迷惑な使者ではあるが、本人には何の罪もないとわかっていた。

「セレヘーレンまでは三人だけで行くのか?」

「道筋はカイデンから聞いている。わしらは昔一度セレヘーレンまで行った。風景が変わっていなければ、遠い記憶が呼び覚まされるだろう。心配するな。後をたのむぞ」

 古びた馬車に乗り込むと三人は旅立った。

バーブルは塔の窓から広場の様子を見ていた。馬車が動き出すのを待って送別の鐘を鳴らすのだ。しかしなかなか動かない馬車に首を捻った。

・・・何かあったのかな?広場まで行くわけにもいかない・・・

 待つ時間がとても長く感じられた。退屈しのぎにシュエードでも弾こうと手を伸ばした時、ようやく馬車が動き出した。

「別れの鐘を鳴らすぞ」 

 深呼吸して気持ちを落ち着かせると、天井から下がる紐を掴んだ。最初の音出しがその日の出来を決める。父親に最高の音を聴かせたかった。息を止め、全体重を乗せて紐を引いた。「お父さん、心配しないで。あの鐘は僕が命懸けで守るよ」との決意を込めて。

 ヨードルは鐘の音色を聞いて、息子の気持ちを感じた。目を閉じると優雅に鳴らす息子の姿が見える。あの病弱な幼子が逞しい息子に成長したことを、亡き妻も見ているのであろうか。見上げた空はどこまでも青く、透き通った鐘の音が馬車を追いかけて来る。ヨードルはもう聞けないであろう十六鐘の音を心に焼きつけた。

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