十一章 再会 142 嘆き
・・・八・・・
スターシャはセルタ(テント)の中でコボスと向かい合っていた。ドレス姿でないものの、コボスの好きな白色の服を着ていた。青く輝く小さな耳飾りをつけ、唇にも紅を差していた。テーブル上には数本のロウソクが灯り、淡い光が二人の顔を照らす。コボスが仮面を外していたら、シュットキエルに向かう前のいつもの光景そのものだった。
彼女はピピの小さな卵にちらっと目を向け、後でコボスに紹介する場面を想像した。その中でピピは待っているのだが、スターシャは新妻の愛情を優先させて貰おうと思った。死ぬほどの思いで待ち焦がれていたのだから。
「再会を祝して乾杯!」
スターシャは明るくそう言って銀色の杯をかかげた。コボスも同じように杯をかかげる。彼女は相手の杯に自分の杯を当てた。
ちん!と小さな音が心地よく響き、コボスの目を見ながら一気に飲み干した。コボスも彼女に合わせて飲み干す。スターシャの目は潤み、相手のコボスの顔がぼやけてしまった。
「さあ、食事にしましょう。全部私が作ったのよ」
自作の料理を説明しながらコボスに勧めた。コボスは勧められるままに料理を食べ、注がれるままに酒を飲んだ。その間スターシャは別れた時から今日までのことを夢中で話した。仮病を装ってまで待っていただけに、ほとんどしゃべり通しだった。コボスは黙って聞いていた。ひとしきり話し終えた後で、夫に元気がないのに気付いた。
「ごめんなさい。私がしゃべり通しだったから、嫌になるでしょう。疲れているのね。いいわ、今日は解放してあげる。ベッドの用意もできているから先に休むといいわ。私はもう少しやりたいことがあるから・・・」
言われてコボスは静かに立ち上がると、ベッドの周囲を包んでいる薄い布を押し開き、そのまま横になった。疲れと酒のせいだろうか・・・スターシャが指を何本も折らないうちに寝息を立て始める。
「可愛い人。でもそうやすやすと眠らせないわよ」
スターシャは悪戯っぽくそう言った。眠る前に彼女がしたかったのは、ピピに今夜紹介できないのを謝ることであった。
卵を手に載せて蓋を開けた。
ピピがいつも通りの、にこやかな表情でスターシャを迎える。
「ピピ、あの人が帰って来たわ」
「私など相手にされないで、コボス様とお話しなさって下さい」
「そうしていたけど、疲れているみたいだったから先に休ませたわ。悪いけどあなたに紹介するのは明日になるわ」
「それを気にされたのですか・・・。お気遣いは無用です。明日からはずっとご一緒できるのですから。それにしても今日のスターシャ様は、輝くばかりにお美しいこと」
「あら、誉めても何も出ないわよ」
それからスターシャはピピと話をした。ピピとの会話はいつも心が安らぐ。ピピはスターシャが求める時はいつでも話し相手になった。悲しい時は励まし、落ち込んだ時は勇気付けた。小さな体だが友達であり、時には大きく包んでくれる母親のような存在でもあった。
「あら・・・もうこんな時間だわ。眠らなくては・・・ピピ・・お休み」
「スターシャ様、お休みなさい」
スターシャはピピが戻った卵の蓋を静かに閉めた。そして底の小さなつまみを押した。こうすれば外の音が聞こえなくなるのだ。これから始めるコボスとの秘め事を彼女に聞かせるのは恥ずかしかったのである。
裸体が透けて見える薄い服に着替えてベッドに入ろうとした時、仮面を入れた箱が目に入った。部下に仮面を外させ、元の箱に入れてコボスが持って来たものだ。仮面は貸したのではなく贈ったはずなのにと、スターシャは意外な感じをしながら受け取っていた。今それを見て新たな気持ちが湧き上がってきた。
・・・昼間のレヨイドという若者の言葉に、つい胸を躍らせてしまったわ。もう少し起きてあの人の行動を見ようかしら・・・
箱の蓋を開けた。青色の仮面が五列に並んでいる。彼女はその中から白い目の仮面を取り上げた。白い目の仮面は一つだけですぐに選べた。
・・・これだわ。これを付ければ、仮面を通して過去が見られる。コボスには内緒にしていたけれど、この位は夫婦間の秘密などとは言わないわね・・・
仮面を付けた。すぐに目の前に昼間の明るい田舎の風景が広がった。
コボスの背中が見えた。この仮面を付けた兵士は、ずっとコボスの様子を見ていたらしい。スターシャは仮面軍の兵士達間にも、白仮面を中心にした秩序があることを初めて知った。彼女にとって嬉しいことに、白い目の仮面を付けた兵士はコボスを常に見守る役割を演じていた。
スターシャと別れた後、コボスは部隊をずっと駆け続けさせていた。馬上で仲間通しで話し合う者も誰一人いなかった。馬に飲ませた薬の効き目で休む必要もなく、ひたすらにシュットキエルに向かう。
スターシャは単調なその場面を見飽き、飛ばそうと仮面の目の部分を触った。駆ける速さが倍以上になり、風景がとてつもない速さで変わっていく。
砦に到着した時に普通の早さに戻した。砦の門を抜け、燃えさかる櫓を背景にしたザイラルとのやり取り・・・確かにザイラルは戦いが終わるまで砦にいた。レヨイドの姿も見え、ザイラルの有能な部下としての働きをしていた。
ソイジャル、ドニエリとの戦いの場面もあった。仮面軍の圧倒的な強さは彼等を全く寄せ付けなかった。レヨイドの話通り、最後に二人の部隊長を討ち取ったのはザイラルであった。コボスは皮肉をこめた会話をしてザイラルと別れ、すぐに砦を後にした。
・・・これからあの人は真っすぐ私の元へ帰るのね・・・
スターシャは目の部分を触り、また早送りにした。
戦い終えたコボスの行動は帰るだけかと思ったが、途中で違う方向に向かった。時折遠くに煙が見えたが、櫓の燃え残りの煙に違いなかった。
・・・どこに行くのかしら?・・・
ぽつんぽつんと家々が見えて来た。どうやら村に向かっているらしい。
小さな坂を登りきった時、正面に小さな森が見えた。その森を抜けて行こうとしている。
・・・この森の先がコボスの目的地ね・・・
森に入るとすぐに、スターシャの目にも不思議な光景が見えた。
そこは小さな森で大木は少なく、そのせいか陽射しが十分に差し込み、周囲がはっきりと見える。戦いがここでも行われたのか、幹、枝、地面・・・そこら中に夥しい数の弓矢が突き刺さっている。敵はいないはずなのにコボスの背中が緊張するのが見えた。
・・・どうしてだろう・・・
スターシャも不安な気持ちになっていた。ここから先はよく見なければならないと思い、早送りを止めて普通の速さに戻した。
・・・あっ!誰か倒れている・・・
この面の兵士も周囲を見回したらしい。彼の目を通してスターシャにも周囲が見える。あちこちに矢を体中に浴びた者、小さな体と大きな体・・・母親と幼い子供・・・が倒れている。
・・・誰が・・・こんなむごいことを・・・
コボスが馬から下りた。コボスを見守る役の兵士も馬を下り、その背中を追う。コボスの背中越しに犠牲者の顔が次々に見えた。シュットキエルの村人達であった。
「駄目!!コボス!これ以上この場にいては!」
スターシャは叫んだ。過去を見て叫んでも何にもならないとわかっていながら、そうせざるを得なかった。自分にとってもよくないことが起きそうな気がした。
スターシャの思いとは逆に、コボスは倒れている親子の間を歩いて行く。そしてある親子の顔を見て足が止まり、座り込んでその親子を抱き締めた。
「姉さん・・・どうして・・・モレリア・・・までが」
顔が見えた。美しい女性と可愛い娘が抱きあったままで息絶えていた。スターシャにとっても初めて見る夫の近親者だ。自分の義姉になるはずの人が、体中に矢を受けて息絶えていた。矢を一度に何本も受けたせいか、大きく目を見開いている。
コボスが指で目を閉じさせ、静かに眠りについた顔にした。
コボスは姉を抱き締め大声で泣き始めた。悲しみの大きさが、大きく揺れる彼の背中にはっきりと現れていた。あの陽気なコボスが人目をはばからず泣くなど、スターシャには信じられなかった。
激しく泣き続ける姿をそれ以上見ていられず、スターシャは場面を早送りにした。しかし何回早送りしても周囲の明るさが時間と共に変わるだけで、コボスの泣く姿は変わらなかった。数ジータ(数時間)も延々とその場面が続いたのである。
コボスが急に立ち上がった。今まで抱き締めていた親子を地面に横たえると、馬に乗りゆっくりと去って行く。彼は姉達を葬りもせず置き去りにし、一度も振り返らなかった。
その場を離れて森を進む途中で、他にも弓矢を受けた何組もの親子の姿があった。まだ息があって必死に助けを求める若い母親もいた。しかしコボスはそんな助けを求める声にも全く無関心な風で、馬を止めるようともしない。かといって悪夢の森を抜けようと馬を早く駆けさせもしないで、同じ速さでゆっくりと進んで行く。
暫くして凄惨な光景の森を抜け平地に出たが、それからのコボスは進む速さを変えず、先を急ぐ素振りさえ見せなかった。仮面をつけた部下からもせっつく声も出ず、無言の行軍が葬列のような静かさで続いた。
スターシャはやっとコボスの帰りが遅くなった理由がわかった。これでは馬にせっかく秘薬を飲ませていても何の役にも立たない。彼女が帰りを待ちわびても、予期した時間に戻れなかったのは当然であった。
コボスの騎馬隊はそれからずっとのろのろと進んだが、それでも歩兵を引き連れたザイラル軍に追い付いた。そのままザイラル軍に合流するかと思ったが、コボスはそうしなかった。ザイラル軍の動きに合わせて前進、停止を繰り返し、常に一定の間隔を保ったまま行軍を続けたのだ。
先を行ったはずのコボス軍に追い付かれたザイラルは、不可解な行動をとるコボスの意図がわからず困惑したに違いない。レヨイドが使者になって探りに来たが、コボスに相手にされなかった。彼の真意を掴むきっかけさえ得られなかった。
スターシャは仮面の目に触れて、もう一度場面を遡った。コボスの姉や村人達を死に追いやったものが何かを掴もうと考えてのことだった。
・・・これだわ。これを使って矢を森に撃ち込んだのね・・・
スターシャが答えを見つけて止めた場面は、コボスとザイラルが燃えさかる櫓の前で話している光景だった。二人の後ろに巨大な攻撃兵器が映っていたのだ。移動時は分解して運ぶコルゲリオンが組立てられ、それも三台並べて据え付けられていた。砦を攻めるために使った後で、森に隠れた村人達を狙ったのは疑いようもなかった。
・・・ザイラル達だわ。コルゲリオンを使ったのは・・・義姉さんばかりか、あの人までも奪ってしまった・・・
スターシャは仮面を外すと元の箱にしまい込んだ。仮面を通して見始めた頃の胸の高まりは無残に打ち砕かれ、森の中での異様なコボスの慟哭が重く彼女にのしかかっていた。途中からコボスの様子が急変したことに不安を感じた。
・・・無理をしてでも、私も一緒に行くべきだったわ・・・




