一章 シュットキエル 14 秘密の鐘
・・・十四・・・
出発前日になった。
ヨードルは息子と一緒に搭に入った。最後の数日は一人で試したいとの申し出を受けて塔には入らなかった。ただ塔から流れる鐘の音を聞いて、息子が役目を十分こなせる水準に達したことを知っていた。
「鐘の音を聞けばもう十分だ」
それでも鐘を鳴らす姿を焼き付けておこうと思い、最後の仕上げの見届け人として塔に入った。
「父さん、鳴らすよ」
真新しい服に身を包んだバーブルが動き始めた。ヨードルは息子の動きに無駄な動きがなく、その上自分には到底真似できない優雅さがあるのに感心した。二、三日前から一人で鐘を鳴らしていたが、その間に自分なりに動きを考えたのであろう。
「よく短時間で身に付けたものだ。もうお前はわし以上の立派な鐘撞きだ」
ヨードルは汗を拭く布を手渡しながら笑顔を見せた。
・・・代々守ってきた役目を引き継がせた。これで何の憂いも残さずセレヘーレンへ向かえる・・・
ヨードルは最後にもう一つ、息子に大きな秘密を打ち明けることにした。表向きの役目が村人達のための十六鐘とすると、最後に打ち明ける事柄は一家が代々密かに受け継いできた裏の役目であった。これだけのためにヨードル家があったとも言えるものであった。
息子を誘って部屋を出ると、長い螺旋階段を降り始めた。もう開けることのない扉を閉めた時、何とも言えない気持ちになって柄にもなく涙をこぼしてしまったが、バーブルに気付かれぬように素早く拭き取った。親子は無言で厚い木の階段をとんとんと音を立てて下りて行った。
「この裏側に回るぞ」
中程の踊り場でヨードルは突然立ち止まると、内搭の膨らんだ壁を手の平で何度か叩いてみせた。
「えっ!裏側に?」
「気をつけろよ。落ちたら死ぬぞ」
ヨードルは短くそれだけ言うと、内塔を回るように水平に取り付けられた手摺りにぶら下がった。もちろん足の置き場はどこにもない。腕だけで身体を支え、両手を交差させながら横に動いて行く。
「父さん、待って」
バーブルも手摺りに取り付くと後に続く。下を見ると目のくらむような高さで、サイノスのように腕力がないバーブルにとって命懸けの冒険だった。途中で休むこともできず、支えきれなくなったら落ちるしかない。
ようやく先に行ったヨードルの姿が見えた。もう少しだ。父親は裏側の小さな踊り場に立って心配顔で待っていた。外搭の明かり窓からうまい具合に陽射しが差し込み、その踊り場を照らしていた。
「ここは何?」
父親の横に必死の思いでたどり着いたバーブルが、緊張と疲労でこり固まった腕を擦りながら尋ねた。もう少し搭の径が大きかったら、途中で力尽きたかもしれない。それだけのものがあるとは思えなかった。これが単なる肝試しと聞かされたら、文句の一つも言いたい心境であった。
父親は何も答えず、壁を見ている。どの視線をバーブルが追う。
・・・扉だ。鍵穴も付いている・・・
扉の線が見えた。ヨードルは服のボタンを外し、胸を大きく開けた。金色の鎖が見えた。ヨードルは右手の指先で鎖を掴んで引っ張り出した。鎖の先には小さな鍵が付けられていた。バーブルはそれをいつも首にかけて外さないのを見ていたが、初めてそれが何の鍵なのかを知った。十六鐘のある部屋には鍵穴はなく、父親にとってここがよほど大切な場所らしい。何を見せられるのかとわくわくしてきた。
軽い音を立てて鍵が開いた。ヨードルはその音を聞くとその鎖をバーブルの首に掛けた。もう自分が鍵を使わないと心に決めた所作だった。
ヨードルが扉を押すと、内側に向かって音もなく動いた。光が入り込むがほんのわずかな範囲だけで、室内は真っ暗だ。父親は暗闇の中でも勝手がわかるのか、素早く動いて扉近くの窓を開けた。明かりがさっと射し込む。
「父さん、外搭の明かり窓は、螺旋階段を照らすためだけと思っていた」
「それもあるが、何個かの明かり窓はこの部屋のためだ。内塔の窓は裏側だけに造られ、外塔の明かり窓と太陽が一直線になった時にしか陽射しはここに届かない。一日の内で限られた時間だけだ。最も陽射しが当る時間を見計らってお前を連れて来た」
明かり窓が開かれる度に、室内の様子がはっきりした。高さは鐘を鳴らす部屋よりずっと高く、天井を見るには首を持ち上げるしかない。部屋の奥行きも深く、さっき死ぬ思いで回った内塔がそのまま内壁となっていた。
白壁だけの殺風景な部屋でバーブルの目を引いたのは、正体を隠すように皮で覆われて天井から吊された大きな物体であった。その他には馬車の車輪風のものが壁側にあるだけで、父親がこの部屋に連れて来たのは、皮に覆われたものを見せるためだと思った。
バーブルの考えを裏付けるように父親は部屋の隅に行き、大きな輪を両手でゆっくりと回し始めた。皮の覆いが輪の回転に連動して巻き上げられ、その姿を惜しげもなく曝し始めた。
「父さん、これは・・・・?」
教えられる前にその正体を掴もうとしたが、あまりに奇怪過ぎて、物知りのバーブルにもわからなかった。父親がよく使う円筒形の盃を何百倍も大きくして、そのまま逆さに吊るした格好であった。
「これが我家に代々伝えられている秘密の鐘だ。よく見るがいい」
バーブルは全体の姿を見るために後ろに下がったが、こんな不思議な形は初めてだった。
まず鐘の上部を見ようと、室内にあった踏み台の上に乗った。
円丘形に膨らんだ頂部の中央に大きな飾りがあって、天井から伸びた鎖がその穴に通されていた。その飾りは鐘と一体になっていて、何を模したものかはわからない。
「この飾りは生き物のように見えるけど、何なの?」
早速疑問を父親にぶつけた。
「それか・・・おじいさんは『異国の龍という生き物の頭だ』と言っていた」
「龍?不思議な鐘に不思議な生き物・・・」
夢中になった。踏み台を使ってさらに熱心に調べた。
それにしても大きな鐘だ。表面は横方向に廻る三本の帯と、縦に伸びる四本の帯によって区切られ、上部を除いて平らな面ばかりだ。それでもその一面だけには、読めそうもない異国の文字が彫り込まれている。意味を尋ねたが、その文字は父親も読めないらしく、ただ首を左右に振るばかりだった。
唯一目立つものは一番上の横帯の下で、半球体の突起物が百個以上の数で五、六段規則正しく並び、五分の一ほどの部分を埋め尽くしている。この理由も聞いたが、今度も父親は答えられなかった。何も知らないに等しい。バーブルはそれを不満に思わない。鐘の形よりもっと違うものを教えられるような気がしていたのだ。
厭きることなく鐘を見ていた。・・・と、突然窓からの陽射しが鐘を捉えた。太陽が動き、外搭を通った光が直接この部屋まで届いたのだ。
その瞬間だった。鐘が輝きを放ち、部屋を金色に彩った。白い壁まで黄金色に染まった。バーブルは鐘から放射される神々しい光に圧倒された。口と目を大きく開け鐘を見つめるしかできなかった。
「どうだ!見事なものだろう」
ヨードルは息子の驚く様子を見て笑った。呆然と見ている姿に、かつて自分が祖父から見せられた時の姿を重ねていた。この鐘を見て一族の受け継いだ役目の重さを実感したのだ。あれから年月が流れ、息子に見せる日がやっと巡って来た。もっと平和な時にゆっくりと時間をかけて伝えたかったが、与えた感動の大きさは変わりなかった。
「これは鐘なの?こんな鐘は初めてだよ」
バーブルは興奮を隠そうとしなかった。日頃から父親の役目を誇りに思い、少しでも詳しく知ろうと多くの本を読んでいた。本にはショコラム王国はもとより、他国の有名な鐘が描かれ、形、大きさ、後は文字での表現が難しい音色の違いが記されていた。記憶を辿ってみたが、このような不思議で巨大な鐘は思い浮かばなかった。
鐘の美しさを十分に堪能したバーブルは、次に鳴らし方に興味が沸いた。
・・・動かして鳴らすのではなく、何かで叩いて音を出すのではないだろうか。叩く場所や力の入れ方で音の強弱を出すのだろう。十六鐘のように違った音を組み合わせて響き合う美しい音は出せない・・・
鐘の内側を覗き込んでみたが、鳴らすための金具がないのを見て首を捻った。十六鐘は鐘を動かして音を出すものだったに、この鐘には何もない。動かないとは思ったが、それを確かめるために両手で押してみた。力一杯押しても固い壁を押しているようで、微動だにしない。力自慢のサイノスならば少しは揺れるかもしれないが、ここでは頼みようがなかった。
頭の中で十六鐘を受け継ぐ時の苦悩が蘇ってきた。幼い頃から耳で覚えた鐘の音と、カイデンの暗示があったから習得できたが、この大きな鐘を上手く受け継げるのか心配になった。
「父さん、どうすれば鳴るの?明日の出発までに覚えられる?」
「大丈夫だ。今から見せてやろう」
ヨードルは大きな輪の軸に巻かれた綱を緩め始めた。すると両端を綱で結ばれた一本の丸木が、天井からゆっくりと下がって来た。片側は切られたままであったが、もう片側の端は瘤のような丸みを帯びていた。
「驚くなよ」
少年のような悪戯っぽい笑顔を浮かべると、ヨードルは丸木の下に立ち、先に結ばれた小さな綱を両手に持って静かに前後に動かし始めた。そして身体毎反動をつけると丸木を勢いよく動かした。
丸木は大きく水平に動き、そのまま吊るされた鐘を打った。当たった場所はバーブルがさっき調べた小円の部分だった。そこの窪みの謎が目の前で解けた。同じ場所を長年打たれ続けた結果、窪みが生じたのだ。
「ドーン」とも「ゴーン」ともとれる音が部屋全体に響く。
激しい振動がバーブルを襲い、いきなり宙に投げ上げられた感覚に陥らせた。足元から振動が湧き上がり、体全体を襲いながら頭上に抜けていく。そしてすぐに内塔の厚い壁にぶつかり再び戻って来た。十六鐘のような騒々しさを感じる暇はなかった。体全体が音に打たれ、思わずよろめいてしまった。鐘は一度しか鳴らされなかったが、小刻みに震えながら不思議な響きを発し続ける。部屋の空気も止まることなく震えた。
・・・魂まで吹き飛ばされるような音と響きだ・・・・
バーブルはこんな感動を味わったことがなかった。生まれて初めての経験だった。鐘の表面から放たれた光で室内が金色に染め上げられる様に感動した。
・・・もっと強く鐘を撞けば目も開けていられないほどの光に包まれるに違いない・・・
心を揺さぶる重々しい音と響き、神々しい輝きはバーブルを魅了した。心の中でもっと激しく、長く、何度も鳴らしたい気持ちが渦巻いた。
しばらくして鐘は静まり、輝いていた光も淡くなって消えた。しかしバーブルの心に二度と消せない輝きを刻み込んだ。




