十一章 再会 138 将軍の休日
・・・四・・・
イロガンセ将軍は各部隊に出発準備はさせていたが、肝心のザイラル達が戻る兆候はなかった。準備が整うまでは忙しく動き回っていたから忘れていたが、一通り終わってしまうと自分の手抜かりが頭を持ち上げ、あれこれと悩んでいた。ザイラル達の勝手な行動を察知できなかったことを気にしていたのだ。
コレーション将軍の思わぬ処罰で信じ難い高地位を得たのであるが、今回の事件で彼女の信頼を失いそうで気が気ではなかった。そのためザイラル達の未着とその後の指示を仰ぎたくても自分では聞きにも行けず、若い兵士を彼女のセルタに送っていた。その伝令が真っ青な顔をしてヘドロバの急用を知らせて来たのだ。呼ばれた理由を聞いていない兵士を怒鳴りつけたが、ヘドロバの呼び出しである以上、駆けつけなければならないと急ぎに急いだ
「ヘドロバ様、イロガンセです。失礼します」
息を切らしてセルタに着いた彼は、はあはあと喘ぎながら中に入った。外で息が整うまで待てばいいのだが、実直さが売り物のイロガンセ将軍にはそんな考えは起きなかった。それよりも、若い兵士をヘドロバの元に行かせたのが拙かったと、不安な気持ちの方が大きかった。
伝令の兵から聞かなくても、セルタの中にはヘドロバしかいないことは知っていた。警護の兵を置かないのがヘドロバのやり方だったからだ。もっとも警護役のコボス一人がいれば、他の者には必要がなかったのである。
「イロガンセか・・・こちらに参れ」
ヘドロバの弱々しい声が、仕切り幕の向こう側から聞こえた。
「失礼します」
イロガンセは幕を両手で開け、声のする部屋に入った。小さな明りがゆらゆら揺れている。その光がやっと届く片隅に小さなベッドがあり、誰かが横になっていた。小さな顔がイロガンセを見ていた。イロガンセは目を細めてその顔を確かめた。
「へ、ヘドロバ様・・・」
ヘドロバの寝姿を初めて見て驚いた。この時間にまだ寝ているとは思わなかった。
「どうされたのです?伝令からセルタに来るように伝えられました・・・」
「どうやらこれまでの無理がたたったようじゃ。気分がすぐれぬ。皆には悪いが今日の出発は中止じゃあ。そのように手配してくれ」
イロガンセはヘドロバの発病を知った。兵士の病気などで行軍は中止しないが、指揮者の場合は回復するまで待つしかない。
「承知いたしました。本日の行軍は取りやめるよう命令します。軍医を呼びましょうか?」
「要らぬ世話じゃあ・・・わしを誰と思っておる!」
ヘドロバはベッドの上で起き上がると、イロガンセ将軍を一括した。体から発せられる威厳に打たれ、イロガンセはうろたえた。
「申しわけありません。私が明朝また御様子を窺いにまいります」
「そうしてくれ・・・」
ヘドロバはそう言うと横になった。イロガンセ将軍は足音を立てないように気をつけながらセルタを出て行った。
翌日、同じ時間にイロガンセ将軍はヘドロバを訪ねたが、結果は同じだった。
翌々日も同じだった。
翌翌々日も変わらなかった。
イロガンセ将軍にも手の打ちようがなかった。ヘドロバの病気は伏せていたが、部隊内でいつの間にか噂になり始めていた。遠征軍が同じ場所に何日も留まるなどめったにないからだ。兵達は一日中休めて喜んだが、各部隊長達はそんな気持ちにはなれなかった。部隊の駐留を知って、抜け目ない商人達が開く酒場に入り浸る兵士達が心配なのである。彼等が不祥事を起こせば、自分達が監督不行届として罪に問われるのだ。それに出発時期がはっきりしないのも悩みの種だった。
将軍からはっきりした指示もなく、兵達の暴走に気を遣いながらヘドロバの命令を待つという緊張を強いられる日々に、各部隊長はじりじりするほどの苛立ちを感じた。その部隊長の苛立ちが将校に伝染し、殺気立った将校によって兵が鞭打たれる事件が多発した。こうした兵達の不満が、将軍に対する非難に変わるのも時間の問題であった。
イロガンセ将軍は部隊長達から催促されて毎日ヘドロバを見舞ったが、出発延期の弱々しい声の命令を受けるだけで、いつ治るのかさっぱり見当がつかなかった。
ヘドロバが出発の延期を続けて三日目、イロガンセ将軍は不満を抱く部下達の機嫌を取る方法を考えついた。彼は各部隊の隊長、副官、高級将校達を自分のセルタに招いて、大掛かりな昼食会を催すことにしたのだ。心配性の彼にしては珍しく、ヘドロバに伺いを立てなかった。将軍の名で招待したのである。
四日目、将軍の予期した通りヘドロバは延期命令を出した。彼は残念そうな素振りを見せたが、内心胸を撫で下ろした。延期を見込んで昼食会を開くことを決め、昨晩からサービアでの晩餐会に見劣りしない会場を徹夜でドモデスに作らせていた。
彼等は夜の雰囲気を出すためにセルタの内部を厚手の布で暗くし、内径に沿って小さな色違いのランプを照明用として並べた。ランプだけでは物足りないと指摘されると、天井から大きなランプを吊り下げた。装飾性に富むシャンデリアがあれば完璧だったが、行軍中ではそこまでは望めなかった。しかし大小のランプが放つ光が空中で混ざり合い、外からは想像できない幻想的で華やかな別世界を作り出した。
招待された軍の幹部達は鎧を脱ぎ、軍人としての正装で出席した。
ドルスパニア王国の軍服は将校ともなると肩章、襟章以外にも金、銀がふんだんに使われ、意匠も派手で見栄えがよかった。ここに着飾った女性、高貴を鼻に掛ける貴族達がいれば、サービアの晩餐会と変わりなかった。怖いヘドロバは病で臥せっていて姿を見せない。それに加えて彼女のセルタからは遠く、少々騒いでも彼女の耳にはとどかないのである。憂さ晴らしにはもってこいだった。
昼食会は部下を抱き込むためのものであったから、凝った演出がされた。
招待客を心地よくもてなすために、楽団までもが呼ばれていた。宮廷楽団の足元にも及ばない拙い演奏であったが、音楽の巧拙を聴き分ける者など誰もおらず、自分達のために演奏してくれる楽団に感激した。
「イロガンセ将軍、お招きありがとうございます。このような盛大な昼食会は初めてです」
『日頃のわしへの骨折りに対する礼だ。楽しむがいい』
「美しい音楽まで聴けるとは思いませんでした」
『戦うだけが武人ではない。音楽は心を豊かにしてくれる』
「イロガンセ様、これほど楽しめる宴の席は初めてです」
『そうだったのか・・・もっと早く宴席を設ければよかった』
「将軍、今度の遠征で御出世されましたなあ。国への凱旋が楽しみでしょう」
『凱旋するまでは指揮者として気が抜けない。一層の手助けを頼むぞ』
「コレーション将軍より、あなた様が適役と前から思っておりました」
『はっはっは・・・お世辞でも嬉しく思うぞ』
各部隊長がイロガンセ将軍を取囲み褒め称える。イロガンセ将軍は上機嫌で部隊長達に丁寧に言葉を返した。自分に対する幹部達の好感触を感じ、正に得意の絶頂期であった。
将軍は更に招待客を驚かす企てを用意していた。
宴が乱れ始めた頃を見計らって片手を挙げた。彼の合図でセルタ内の明りが一斉に消される。客達はセルタ内が暗くなったことで、何か余興が始まると察知して会話を中断した。
耳障りのいい曲ばかり演奏していた楽団が曲調を変え、自然に体が動く軽快な曲を奏で始めた。暗かったセルタの端の方が明るくなる。誰も気付かない内に小さな舞台が作られていた。
舞台の上には、自分達が探し出した鐘より一回り大きな鐘が置かれている。緑色のその鐘は布で作られているようで、柔らかい曲線を描いていた。
客達は視線を鐘に集め、期待を高めた。音楽もそれらの感情を煽るように、更に激しく演奏された・・・と・・・突然、鐘が割れた・・・驚いたことに中から若い娘が何人も飛び出して来た。そして彼女達は激しく踊り始めた。その格好は裸に近く、豊かな胸を惜し気もなく見せ、小さな布で腰回りを隠しているが、音楽に合わせて跳んだり回転したりすると思いがけない秘部が見え隠れし、全裸以上に刺激的な感覚を見ている者に与えた。彼女達はイロガンセが出入りの商人に頼んで、ひそかにセルタに呼び寄せていた踊り子達だった。くどいほど念を押して頼んだだけに、美しい娘ばかりだ。すらりと伸びた美しく長い脚と、豊かな胸、見え隠れする禁断の園、流れる汗、嬌声・・・見る者を圧倒する若さの乱舞であった。
一瞬の静寂の後、セルタの中は爆発したように盛り上がった。持っている杯を取り落とす者や、そこら中に酒を振りまく者も現れた。決して冷静さを失わないと評判の部隊長も、音楽に合わせて踊り始める。それまでの遠慮がちだった場ははじけ、止めようもない感情の爆発があちらこちらで見受けられた。誰一人として将軍の饗応を低俗だと非難する者や、蔑む表情を見せる者はいなかった。
「ここ数日、部下が問題を起こさぬかと心配で、気持ちが荒んでいました」
「命の洗濯とは、正にこれでしょう」
「あなたのことを堅物と誤解していました。申しわけありません」
先程までの浮ついた言葉と違って、今度の言葉は嘘、偽りのない真実の言葉だった。商人達への支払いは高くつくが、自分の企てが思った以上に招待客を喜ばせたことに大満足した。人気が出るなら、この程度の出費は惜しくなかった。
「イロガンセ様、あの娘はいい。わしのセルタに連れて帰りたいほどです」
一人の部隊長が踊っている娘を指差して、イロガンセに言った。彼は遠征前に妻を亡くして人一倍慎み深くしていたが、躍動する若い力に圧倒されたらしい。指差された娘はことさら激しく腰を振り、妖しげに光る目で彼を挑発する。
「そうしてやりたいのは山々だが、商人どもにすぐに帰すと約束しておるからの〜」
「それは残念です。しかしそれにしても美しい。もう会えぬと聞かされるとなおさらです。彼女をこのまま帰して、明日から悶々とした日々を過ごすと思うと気が狂いそうです。どうやら一目惚れしたようです。今夜一晩だけでも何とかなりませんか?」
いい年をした強面の部隊長が、心底残念そうに言った。宴席での言葉だけに酔いが醒めれば忘れるであろうが、彼の目には初めて恋する若者に通じる真剣味があった。色恋沙汰は年齢と無関係なものと今更ながら思い知らされた。
「ははは・・・お前もその顔で・・・恋の病は、もうずっと昔であろうに」
イロガンセは大笑いしたが、その時はっと思い当たった。今まで気付かなかったことが突然頭の中で閃いたのだ。
・・・そうか!わかったぞ。ヘドロバ様の臥せっておられる原因が・・・何と、恋の病とは・・・
イロガンセは宴が終わるまで待ちきれずそっとセルタを出ると、腹心の部下に何事か耳打ちした。部下はすぐに数人の騎馬兵に将軍の命令を伝える。それを受けると彼等は馬に飛び乗り、大急ぎで宿営地を後にした。




