十一章 再会 136 ヘドロバの追想
・・・二・・・
ヘドロバは設営されたセルタ(テント)の中にいた。
セルタは部隊の将軍や高級将校用に考えられた野営用のものだ。布地は寒さや雨を通さないほど厚く、更に特殊な液が何度も重ね塗りされていた。中央を一本の長い柱で持ち上げ、周囲を八本の短い柱が支えて組み立てると、室内は五十人近い兵士が寝起きできる広さになる。ヘドロバはこのセルタを一人で使用していた。
ヘドロバからスターシャに戻り眠ろうとしたが、コボスと明日にも会える興奮が彼女の眠りを妨げた。それに苦くて切ない思い出があるカイデンとめぐり合い、気持ちが高揚してそのまま眠れそうになかった。過去に愛した男と未来を誓った男・・・その二人が偶然にも同じ場所で相見えるのだ。そう考えるとヘドロバといえども平常心ではいられなかった。
カイデンと会ってからスターシャの心の中に、コボスに会うまでに過去のある出来事を整理したいとの気持ちが湧いていた。勇気を出して唯一頼りにしているピピにカイデンとの関係を全て話せたら、一つだけ残っている過去の忌まわしい記憶を拭い去れる気がしたのである。
スターシャはベッドに座ると、ピピの住んでいる?小さな卵を取り出すと蓋を開け、カイデンについてこう話しかけた。
「ピピ、今珍しい男に会ったわ」
「スターシャ様、眠れないのですね。お珍しいこと。で・・・珍しい方とはどなたなのです?」
「カイデンよ。覚えていて?」
「カイデン様・・・勿論ですとも。スターシャ様が私を他の人に紹介してくださるなどめったにありませんでした。カイデン様もその御一人でした。カイデン様は私を見ても驚かれず、優しく接していただきました」
「そう・・・優しい人、強い人・・・だったわ」
「そのカイデン様に巡り会われるなんて・・・よりによってコボス様がいらっしゃらない時に・・・でも・・・結構なお年になられていますでしょう」
ピピやヘドロバにとって何十年の歳月はほんの短い時間なのだ。
「そうよ・・・もういいお爺さん。でも彼には大変な重荷を背負わせたわ。それが今でも気になっているの。私の心の傷なのよ。真剣に愛した人だもの・・・」
「私にもわかっていました。でもどうしてスターシャ様の元を去れられたのです?」
ピピもカイデンのことをよく覚えていた。そのカイデンが突然いなくなった時のことも覚えていた。あの時スターシャは何日も泣き明かし、ピピは片時も離れず彼女を慰める日々の連続だった。暫くして、やっと自分を取り戻した彼女に、どんなに聞いてもカイデンが去ったわけを話してくれなかった。
「私のせい・・・カイデン・・・ごめんなさい」
と繰り返すばかりだった。あれから四十年以上過ぎた今、スターシャはピピに当時話せなかった真実を打ち明けてもいい気になっていた。
「そうね・・・もう話してもいいわね。今なら話すこともできるわ。カイデンもすっかり老いたけど私の元に帰って来てくれた。彼との再会も運命なのね・・・ピピ、あなたには言わなかったけど、カイデンと会った時、彼には既に家族がいたの。私は彼が一緒に歩いているのを何度も見たから」
「そうでしたか・・・だからスターシャ様と結ばれなかったのですね」
「ええ、そう。私は彼が好きだった。愛していたわ。だから本当の姿も見せたし、あなたにも紹介したわ。でも彼は家族を一番に愛していた。私にも好意は持ってくれたけど、口に出さなかった。到底叶わぬ恋だったけれど、私はそれでもよかったの。だって彼に夢中だったから・・・」
「輝いておいででした。時折お泣きにもなっていましたけど」
「彼は私の気持ちに気付いている素振りも見せず、忠実な警護役として護ってくれたわ。十分すぎるほどに・・・」
スターシャは語り始めた。人間界にとっては遠い昔の話であるが、長く生きる彼女にとってはまだ記憶に新しい出来事なのである。
「ある時機、私に危害を加えようとする企てが何回もあったの。カイデンは警護役として、どこからともなく現れる敵と戦い、全ての企てから私を守ってくれたわ」
「誠実で強いお方でしたからね」
「それでね・・・敵も考えたのね。私を殺そうとするなら、その前にすることがあるのを」
「カイデン様をスターシャ様から遠ざけることですね。私にだってわかります」
「そう。カイデンは常に私の傍にいたから邪魔だったのよ」
「それで・・・どんな手段を取ってきたのですか?」
ピピの問いに言葉が詰まった。これからの話が、スターシャ自身が思い出したくない心の傷なのだ。でもここから先がとても大切なのである。スターシャは自身を励ましながら話を続けた。ここで打ち明けなければ、二度と話す機会がないような気がした。
「或る日いつものようにカイデンを含め数人の警護役達と一緒に出かけた時、敵が私達を待ち伏せしていたの。相手は数十人もいたわ。当然警護役達は私を守ろうと剣を抜き、敵と斬り合った」
「カイデン様がいるのに無謀な試みですよね。勝敗は呆気なくついたのでしょう・・・」
「あなたもそう思うでしょう・・・。ところがその日は違っていたわ」
「え?」
「カイデンは私の傍にいたけど、剣を抜いて戦おうとしなかったわ。部下が目の前で次々に斬られても、目を閉じていた。私の『カイデン、どうしたの!早くしないとみんな斬られるわ』と言う言葉も、部下の『カイデン様、戦って下さい!このままではヘドロバ様を守りきれません』と助けを求める叫び声にも、耳を両手で塞いで聞こうとしなかった」
「それでは・・・スターシャ様が戦われたのですか?」
「いいえ。カイデンの前では剣は抜けなかった」
「命をなくしてもですか?」
「そう・・・。私は激情に駆られて剣を抜けば、敵味方構わず生ある者を全て斬る悪魔に変わる。カイデンだって区別できず斬り殺すのよ。剣を持たずに愛する人の前で殺されても悔いはないけど、愛する人を自分の手で殺せば、生きられても悔いが残るわ」
「恋する娘であれば誰もそう思います。その後はどうなりましたか?」
「敵の指揮者は部下を全員斬り殺した後、ニタニタ笑いながら私達に近づいて来たわ。彼はカイデンに向かって『カイデン、この場から消えろ。お前との約束は必ず守る。コーラル通りの石置き場に約束のものは置いてある』と言ったの」
「それは・・・カイデン様が裏切ったのですか?」
「その時はそう思ったわ。私もそれを聞いて覚悟を決めたわ。カイデンが私を売ったなら仕方がない。抵抗しないで目の前で斬られてやろうと思ったの。それで相手に『斬りたければ斬りなさい』と言ってやった」
「カイデン様はどうされていました?」
「黙って目を閉じたままだった。相手の男は剣を抜くと、『望み通りにしてやろう。お前を抱きもしないで殺すのは惜しいが、お前の存在が邪魔なのだ。手間取ったがやっとこれで終わりにできる』と振りかぶったわ。無抵抗な娘を斬るのを何とも思っていない風だった」
「・・・・」
「私は目を閉じてその瞬間を待ったわ。・・・でも・・・その時は来なかった」
「カイデン様・・・ですね」
「ええ。男の叫び声で目を開けると、剣を抜いたカイデンに斬られて倒れるところが見えたわ。彼は断末魔に『カイデン、裏切ったな。この酬いはお前が受けるのだ』と叫んだ。刺客として選ばれた者達らしく、残りの男達は指揮者が倒されても逃げずに斬りかかって来たわ。でも血に狂った野獣と化したカイデンの敵ではなかったわ。彼は今まで見せたことのない怖い顔で、次々に襲撃者達を斬り倒した。最後の数人にまで追い詰めた時、一人の男がやっと隙を見つけて弓を構えたわ。私はカイデンを射るものとばかり思っていたけど、その男は空に向かって矢を放ったの」
「空に向かって・・・矢を・・・ですか?」
「そう。思い切り弓を引き絞ると、空に向けて矢を放った。その矢は高く上がって破裂し、緑色の光を出したの。カイデンは『しまった!これでは間に合わない!』と口走り、戦いから目を逸らしてその光を悲痛な顔で見ていたわ。私も見上げたけど、その光が消えると違った場所で同じ様に緑色の光が上がったわ。誰が打ち上げるのかわからないけど、その緑色の光が次から次へ上がり、それが私達の住んでいる街に向かっていた。カイデンはそれから再び戦い始めたけど、後は戦いとは言えなかった。一方的な惨殺よ。戦意をなくした者達は剣を棄て命乞いしたけど、彼は無表情で彼等を斬捨てたわ。幼顔の若者もいたけど誰一人許さなかった」
「あのカイデン様が・・・信じられません・・・」
「カイデンは敵を全て斬り殺すと急いで馬に乗り、私を置き去りにして駆けて行ったわ。私は大声で彼の名を呼んだけど、振り向きもしなかった」
「それで・・・」
「カイデンを見たのはそれが最後だった。それから今日まで四十年以上も会わなかったわ。でも彼を忘れたことがなかった。だから老いたバイトルの彼を見た時に、すぐにカイデンだとわかったの。心で呼びかけたら拒まずに応じてくれた」
「それはよかったですね。でも・・・当時は毎日泣き明かされていました」
「カイデンに黙って去られて一度は泣いたけど、もっと違うことで泣いていたの。彼が去った本当の理由を知ったから泣いていたのよ」
「本当の理由・・・ここで打ち明けられるのですか?私がお聞きしてもよろしいのですね」
ピピに念押しされて、全て言うべきかどうか一瞬迷った。四十年前の真実を話しても、過去は後戻りしない。しかし新しく出発するためにはそうせざるを得なかった。しばらく考えた後・・・
「あなただから話せるわ。・・・私のせいで・・・カイデンは家族をなくしたの」
「家族を?カイデン様がなくされた・・・スターシャ様のせいで・・・?」
「私の話を聞けばあなたも納得するわ。事実なの」
「・・・」
「襲われた時に敵が『コーラル通りの石置き場に約束のものは置いてある』と口走ったから、てっきりお金で私を売ったものと思ったわ。あまりの情けなさに追いかける気もしなかったけど、それでもコーラル通りのその場所に行ってみたの。カイデンがまだその場にいたら、彼を殺して私も死ぬつもりだった。一足違いで会えなかったけど、そこで見た光景は今でも忘れないわ。数人の男達の死体と一緒に、若い母親と二人の子供が死んでいた。兵士達はむごい殺され方をしていたけど、母親と子供達は綺麗な服を着せられ化粧までされていた」
「スターシャ様・・・まさか・・・」
「その・・・まさかよ。カイデンの妻と子供達だった。横たえられた母子を見て、初めて私はカイデンが戦わなかったわけが飲み込めたわ。カイデンを私から遠ざけるために、卑怯にも襲撃者達は家族を誘い出したのよ・・・。緑色の光の矢は彼の裏切りを仲間に伝える合図だったのよ。カイデンは敵が矢を放つ前に私を助けようとしたけど、それができなかった。一度上げられた矢の合図は、待ち受けていた者達の手によって次々に伝えられ、カイデンより早く石置き場に届いたのよ。悲しい結末は見えていたけど、それでも彼は石置き場に駆けつけた。そしてまだその場に残っていた者達を斬って敵討ちを果たし、化粧だけをして立ち去ったのよ。私は彼の最後の頼みごとだと思い丁重に埋葬したわ・・・。ピピ・・・私のせいで三人の命が奪われてしまった。愛する人の最も大切な人達を死なせた。そして私も命より深く愛した人を永遠に失ってしまった・・・これ以上の悲しみはある?」
「スターシャ様・・・お二人のことを考えると、涙が止まりません」
ピピも状況が理解できた。カイデンはスターシャに危害を加えようとする者達にとっては邪魔な存在だった。彼等は警護役のカイデンを抵抗できない立場に追い込むために、家族を連れ出したのだ。カイデンは悩んだ末、スターシャを見殺しにしても家族を守ると決めたのであろう。だが自分を慕う人が目の前で殺されるのを黙って見逃せなかった。彼女を守れば家族の命が危うくなると脅されていたが、それでも身近な者を救う方を選んだ。スターシャの窮地を救い、それから家族の捕われ先へ駆けつけるという難題に挑んだのだ。警護役の使命からなのか、それともスターシャへの愛なのかは、カイデン本人も判別できなかったに違いない。その決断を過ちと責められるのは、彼自身しかいないのである。
カイデンにはスターシャと一緒になる道が残された。しかしカイデンはそうしなかった。遠からず真実を知る彼女とは暮らせなかったのだろう。スターシャを嫌ったわけではなく、彼女が自身の心と葛藤する場面を見たくなかったに違いない。スターシャと一緒にいれば愛は深まるが、互いの意識の仲に失った者と失わせた者として目に見えない隙間が生じ、遅かれ早かれ必ず破綻が訪れる。後になってもっと傷つくより、今の悲しみに耐えて離れて生きる方が互いのためだと思い切ったのだ。ピピはカイデンの行為はスターシャへの愛だと思った。だからこそ愛する人に愛した妻と子供達の最後を委ねたのではないだろうか。
カイデン、スターシャ・・・二人は愛し合いながら、互いに愛するものを一度に失ってしまった。スターシャは四十年振りというけれど、永久に生きられる彼女には、ついさっきの話の様に感じられるのだ。しかしカイデンに巡り会えた彼女は、以前のスターシャではない。今はコボスという夫を得、永遠の命を分かち合って生きると誓っている。過去のカイデンとの悲しい出来事がスターシャにそうさせたのであろう。ピピはコボスと結婚を決めたスターシャの心に初めて触れた気がした。
「そのカイデンがすぐ傍にいる。ピピ・・・どう思う?」
ピピはしばらく目を閉じ、スターシャへの答えを考えた。彼女を強く勇気付け、背中を押し出してやらねばならない。
「スターシャ様。カイデン様にはお気の毒でしたが、全ては遠い昔です。いくら悔いてもカイデン様の家族は生き返りません。老いたヘドロバ様としてカイデン様とお付き合いなさればいいと思います。でも忘れないで下さい。今はコボス様がスターシャ様の全てなのです。カイデン様との愛は叶わなかったものの、それをすっかり忘れられるほどにコボス様を愛し、コボス様からも愛されていらっしゃいます。だから御結婚されたのでしょう。これ以上何をお望みなのです?」
「そうね・・・そうよね・・・。ピピに話してよかった」
「スターシャ様。もう夜も更けてきました。明日のためにお休み下さい。明日にはコボス様がお帰りになります」
スターシャはピピの言葉に素直に頷いた。長い時間悩んでいた心の内をピピに話せて、気持ちが晴れやかになった。過去を忘れ、未来に向けて生きることがどんなに素晴らしいか・・・。昼間会ったカイデンも許してくれるだろう。今度眠りにつく時は、夫の腕の中で安らいだ気持ちで眠れるのである。ベッドで横になり、コボスとの再会とのんびりとした行軍に思いを馳せながら、静かな眠りにおちていった。
カイデンとの過去をコボスに話すことはない。




